東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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『蛹を破り、蝶は舞う……(おお)の皮を破った時、この皇紫(おおむらさき)が、天に輝く』

 

 灰と消し炭が風に巻かれ、ゆるりと過ぎ去ってゆく中。

 その景色の最奥では、一匹の……いいや、一体の巨大な蝶が、葉の消し飛んだ大木にとまっていた。

 

『やはり、外は良い。地の底とも、臓腑とも違う。生きるに窮屈でないとは、なんと素晴らしきことか』

 

 燐炎と共に煌めく、巨大な紫一色の翅。

 しかし身体は人型で、青白く輝く手足の長い痩身。

 頭部は蝶のようであるが、額には……まるで自らの冠位を主張するかのように、鮮やかな紫冠を頂いている。

 

『そして今や――私は矮小なるムシケラではない。鬼にも鳥にも、風ごときにも怯える必要はない。私はついに、全ての頂に君臨した』

 

 高貴なる紫をその全身で現した、異形の怪物。

 

 いや……異形の……神と呼ぶべきか。

 

 常世の神が……よもや、神として実在していようとは……!

 

「河勝さん。この町の外周全体を、無数の蝶……いえ、もはや怨霊の権化と成った地獄蝶が取り囲み、旋回しています。あの群れに衝突すれば私は当然として、河勝さんでさえ、無事ではいられないでしょう」

「地獄蝶……?」

「ええ」

 

 私のすぐ側で、青娥が極々小さな声で続ける。

 

「地獄に生息すると云われている不吉な蝶です。咎人の血を啜り、怨霊を纏って虚空を飛ぶ、忌々しき蝶……本来は怨霊に満ちた地獄からは出られず、ただの蝶になるとされているのですが……」

「……この地上で、地獄蝶としての実体を保っている?」

「はい。……あれは、高等な妖怪や神々でさえも……触れることを良しとしないモノです。近づくようであれば、優先的に対処を」

「……その余裕があればだがな」

 

 神や妖怪ですら近づけぬ地獄蝶の群れ。なるほど、それはさぞ恐ろしかろう。

 

 だが……私達の目の前にいる巨大な蝶……常世神の実体と比べれば、それでさえおそらくは、生易しいものに過ぎないはずだ。

 先程から静電気のように肌を突く神気は凄まじく、これ以上近づけば、常人であれば容易く身を引き裂けるであろう鋭さを伴っている。

 この私でさえも、アレに近づきすぎれば……それだけで痛みを受けるだろう。それだけの気配を、アレは放っていたのだ。

 

『さて』

 

 常世神“皇紫”と名乗ったその異形は、ついに私たちにその顔を向けた。

 

『この一帯全てを残らず消し飛ばしたつもりであったが、何故に貴様ら害虫は生き残っているのか』

「……」

 

 皇紫は両腕を広げ、首を傾げた。

 その仕草は実に人間らしいが……こちらに向けられた威圧感は、決して人間の枠に収まるものではない。

 私は辛うじて薙刀と扇を手にしているが……正真正銘本物の神に抗うには、心細い。

 気付けば私のすぐ隣にいる青娥も、簪をその手にしてはいるが、極度の緊張のため額に汗しているようであった。

 

『まあ、良い。今の我は寛容だ。順序が前後しようとも、貴様ら害虫が何れ紫燐に焼き尽くされることは変わらぬ。()の羽撃きは世の理であるからして』

 

 その手は、まるで弥勒の如き……いや、まさにそれそのものであろう格好を模倣していた。

 声は穏やかで、あるいは慈愛に満ちているようですらあった。

 

 だが節々から感じ取れる不快感は、奴の傲慢さの表れなのだろう。

 

 圧倒的であろう神力。圧倒的であろう体躯。

 しかし私の中の心は、奴を……あの蝶如きを、決して崇めるべきものであると認めるわけにはいかなかった。

 

「黙れ、神仏を騙る虫ごときが」

 

 自然と、薙刀の刃先が奴に向けられる。

 言葉とともに全身は抗戦の意志を取り戻し、自らの中に力が蘇るのが解った。

 

「神だと? ……何が神だ。貴様のやったことなど、大和の民を騙し、財を掻き乱しただけであろうが。貴様は神などではない。ただの姑息な……虫妖怪に過ぎん!」

 

 私が叫んだその瞬間、余裕ぶっていた皇紫の目が赤く輝いた。

 

『……害虫風情が! 身の程を弁えよ!』

 

 常世神の激昂。

 そして双翅の鳴動と共に、再び吹き荒ぶ紫炎の爆風。

 

 だが既に一度それを防ぎきっている私は、対処法を見破っていた。

 気構えも身構えもあったが故に、より良い動きを取るのは容易かった。

 

「せいッ!」

 

 即ち、扇による本気の一撃。

 常人には耐えられないほどの風を生みだす扇を上向きに全力で振るうことで、向かい来る爆炎の雪崩は見事に穿たれた。

 

「いけ、青娥!」

「もちろん、ここまでくれば一蓮托生ですからね……!」

 

 紫炎に開けられた風穴の向こう側で、皇紫の固まった姿が僅かに覗く。

 あれこそが怨敵。あれこそが、大和を陥れた真の主犯!

 

 ならば私は、それを断ち切ってみせよう!

 たとえ相手が大妖怪、いや神であろうとも!

 

 


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