東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 空も、森も、僅かな草木も。その地域の全ては、怨霊を纏う蝶によって埋め尽くされた。

 それは、秦河勝や霍青娥の力を持ってしても、すぐには変えられないほどの“天災”とも呼べる大異変であった。

 

 水腐り、虫死に、魚腐る。もはや人も小動物も生存できなくなったこの地には、数多の霊と、亡者と、蝶だけが彷徨うのみ。

 しかし僅かばかりのそれらでさえも、意志薄くふらつくばかりで、何らかの営みがあるわけではない。

 

 唯一。

 常世神を祀るこの地で唯一、意志ある者が定住する場所があるとすれば。

 それは教祖たる大生部多が暮らしているという“蝶の社”のみであろう。

 

 

 

 既存の家屋から木材を剥ぎ取り、それを継ぎ接ぎにすることで作られた櫓型の塔、蝶の社。

 しかしその内部には異常成長した橘の樹木が存在し、大黒柱としてしっかりと外壁を支えている。

 社を成す継ぎ接ぎの木板は、ただ見た目を社とするためだけの飾りにすぎない。

 事実、この社において最も重要なのは、巨大な橘の樹木それのみだった。

 

「ォオオ……」

 

 樹木は天高く、枝ぶりは大きく豊か。

 大きな枝には無数の覡達が張り付いており、細い枝には“常世の虫”が止まり、葉を貪っている。

 町の上空を覆い尽くす蝶の大軍勢の原因は、この蝶の社にあったのだ。

 

「害虫は……死んだか」

 

 異常成長した橘の根本で、一人の男が粗末な椅子に腰を据えていた。

 年齢の割に髪は豊かだが色は抜け落ち、頬はこけ、目元には慢性的な睡眠不足による濃い隈が表れている。

 彼の名は大生部多。かつて朝廷に勤めていた壬生部の男であり、現在では常世神を祀り上げる、新興宗教の教祖だ。

 

「害虫を追いかけ、マシタガ……逃げられたヨウデス」

「逃げた?」

 

 多の声に答えたのは、全身がケロイド状の皮膚に変質した異形の覡。

 その覡は額から伸びる長い一本角を各方向に向けながら、何かを探っているらしい。

 

「……反応、アリマセン」

 

 しばらく角を動かしていた覡であったが、それも徒労に終わったらしく、力なく首を振る。

 

「逃げた、のか」

 

 多はまだ青い橘の実を皮ごと齧り、すぐに呑み込んだ。

 

「逃げたか。はは、逃げた……数多の妖怪を屠ってきた(はたの)の戦士も、奇怪な術を扱う女も、この地の覡どもには勝てなかったのか」

 

 浮かべた笑みは、心からの安堵。

 病的な程の蒼白な顔に深い笑みによる皺が刻まれ、開いた口からは真っ黄色に染まった歯が覗く。

 異常な風貌であろう。

 だが多は今この時、ここ数年で最も、心の底から安心したのである。

 

「はは、害虫め。害虫。……そう、奴らは害虫だ。害虫は大人しく原野の雑草にしがみつき、篝火に飛び込んで焼け死ぬべきなのだ」

「ォオ! マサニ、その通りであります!」

「ォオオ! ォオオ!」

 

 蝶の社に、覡達の鳴き声が響き渡る。

 それは多を、そして常世神を称える信仰の叫び。

 

「まぁ、蚕も焼ければ多少は美味く、も……うぐッ……!? ……え、ええ、その通りでございます……かの害虫には、何の価値も……ええ……」

「多様?」

「い、いや」

 

 突然、身体を掻き抱いて苦しみだした多に、すぐ側に居た探知型の覡が気づいた。

 だが多は軽く手を掲げ、“大丈夫だ”と伝える。

 

「こ、この調子だ。この調子で、大和に祠を建て続けるのだ」

 

 脂汗の浮いた蒼白な顔で、多は歯を食いしばりながら、獰猛にも見える笑みを見せた。

 

「害虫を退けよ、常世神を崇めよ。さすれば、我らは……永遠の存在に至るのだ!」

 

 永遠。不老不死。

 それは時代を問わず、人が常に追い求めるもの。

 ある時には神でさえも求めたもの。

 全ての欲求の頂点であり、完成形。

 それへの道を示された覡達は歓喜し、再び異形らしき鳴き声を上げ、神を讃えるのだった。

 

 

 

「――人に永遠など、無い」

 

 覡達の叫びが木霊する中で、一体どれほどの者が、その侵入者に気付けただろう。

 

 音を殺し、気配を殺し。

 

 一切の時間をかけることもなく、多少は頑強であった壁が突破され。

 足音を掻き消す仙術を用いた邪仙を背負いながら、人ならざる脚力によって一瞬のうちに駆け込まれ。

 

「は――?」

 

 多が気づいた時には既に、目の前に薙刀を持った秦河勝が立っていた。

 

「うふふ。あなた方は(タオ)を求める者に近いのかもしれませんが、不老の者があまりにも多い世界だと、それはそれで不都合なのです」

 

 肩に手を添えながら、霍青娥はにんまりと嗤い。

 

「国教と、何よりも“和”を乱す者を、私は決して赦さない」

 

 猿の面をつけた河勝は、薙刀の刃先にまで力と殺気を行き渡らせる。

 

「馬鹿な、何故ここに河勝と、女が――!」

 

 蝶の社は覡達の歓喜に包まれたまま、未だ侵入者に気付いていない。

 しかし、無理もなかろう。音も気配も痕跡も無しにやってきた少数精鋭に、勝鬨という最も大きな隙を突かれたのだ。

 この蝶の社の中では、敵の接近を目の当たりにしている多だけが、今現在置かれている状況を認識できていない。

 

「貴方は知らなくても良いのですよ? 知ることもなく、地獄に堕ちるのですから」

「民を唆し、徒労と絶望を与えた罰。……地獄があるならば、貴様はそこで贖い続けるが良い」

 

 


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