東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 虫の声も、鳥の囀りも無い、沈黙の町。

 ここを支配しているのは、夥しい数の蝶ばかり。

 

 羽音のない斑の蝶は、静かに、だが視界の上では騒々しく、常に不尽河の空を覆い尽くしている。

 

 人の気配は少ない。

 だが、皆無ではない。

 荒れ果てた町には時折、爛れた肌の亡者が所在なさげに行き交っている。

 そいつらの動きに注意すれば、路地から路地へ隠れ動くのは難しくはなかった。

 

「……あれか」

 

 そうしてしばらく町を駆け回る内に、遠くに目立つ建造物を発見した。

 

 あれは、木造の塔であろうか。

 いいや、塔と呼ぶには些か適当に過ぎる。急造の大櫓と呼ぶのが適当かもしれぬ。

 町のずっと奥側に見えるそれは、一見して家屋三つ分程の高さがあるようだ。

 しかし豪族の屋敷にしては作りが粗末すぎるし、大きすぎるようにも見える。

 

 ……中央とは無縁の、何者かの意志によって建てられたものであろうことは間違いない。

 そして、おそらくはあの妖しげな建築物こそが、常世の神の本拠地……多が待ち構える重要施設なのだ。

 

「害虫!」

「!」

 

 突然、背後から声が上がった。

 振り向けばそこには、目深に頭巾を被った男が立っていた。

 こちらを指差す手は不気味に爛れ、膿んでいる。

 

 顔を見るまでもない。奴は、覡だ。

 

「やはり、見つかってしまったか……!」

 

 最善は何者にも見つからぬように本拠地へと潜り込む事だったが、さすがにそう簡単にはいかないようだ。

 覡の叫び声に呼応するように、辺りの住居から一斉に覡達が湧き出てくる。

 

 多勢に無勢。覆せなくもない、かもしれん……が。

 さすがの私も、痛みを恐れぬ連中を相手にするのは骨が折れる。

 

「逃げるしかないかッ!」

 

 怯まぬ軍勢ほど厄介なものはない。

 私は最終目的地を遠方の大櫓とするも、その場から退くように駆けだした。

 

 

 

 人をやめ、不死の妖怪となった覡。

 彼らは非常に打たれ強い肉体と強い力を持っており、ともすれば屋根の上まで飛び乗れる程には屈強な脚を備えていた。

 

「くっ、ここならば撒けると思ったが……!」

「ァアアッ!?」

 

 荒れた屋根の上にて、迫りくる覡の脚を優先して斬り落としては、すぐさま囲まれぬように隣へと飛び移る。

 私は、機動力であれば他の何者にも負けない自信はある。だが、常に包囲され続けながらの闘いというものは、どうも苦手だ。

 その上、相手は人の妖怪ときたものだ。おそらくは、この町で暮らしていたであろう人々の成れの果て。それを討ち倒しているのだから、少なからぬ抵抗もある。かといって、手を休めるわけにはいかず……。

 

「チッ……」

「害虫がそっちにいったぞ!」

「駆除! 駆除せよッ!」

 

 一旦、距離を置かせざるを得ない。

 ……あの大櫓に近づこうと必死に走っているというのに、一向に近づける気がしない……!

 

 なんなんだ、この尋常でない覡の数は!

 どうしてここまで、貴様らは……我欲を求め続けたのだ……!

 

「害虫!」

「いたぞ、そこだ!」

「追い詰めろ!」

 

 迷路のような町を走り続けて、およそ数刻。

 遭遇戦と撤退戦を繰り返し続け、疲労も仮面の内側に出始めたその時。

 私が走る通りの正面から、まるで迎撃に来たかのような数の覡の群れが迫ってきた。

 

 道はいっぱいに人で埋め尽くされ、その両脇の民家の屋根にも、身軽そうな覡達が走っている。

 

 それだけならば。いや、この挟み撃ちというだけでも充分に困窮した事態であるが、それに留まるならば、どうにか対処できたかもしれぬ。

 だが私は、迫り来る集団の先頭に、見覚えのある女の姿を認めてしまった。

 

「あれは……」

 

 薄水色の羽衣を翻し、低空を駆けるその姿。

 忘れるはずもない。

 

「邪仙……!」

 

 そいつはかつて、太子様が斑鳩宮で眠られた時に遭遇した邪仙の姿と全く同じであった。

 あれからそれなりの年月を経たというのに、私の記憶とほとんど姿を変えていない。

 その上、空を飛ぶという稀な妖術を扱っているときた。人違いと言わせるつもりはない。

 

「あら、あら――」

 

 そしてどうやら、向こうも私の姿を見て思うところがあったらしい。

 口元が軽薄な弧を描き、目元は挑戦的に細められている。

 

「害虫!」

「駆除! 駆除ぉ!」

 

 背後と正面から押し寄せる亡者の群れ。

 目の前より迫る疑惑の邪仙。

 

「本当は、こんなことはしたくないのですが――」

「全く、次から次へと――」

 

 邪仙は纏めた髪から鋭い簪を引き抜き。

 

 私は片手に休ませていた薙刀をしっかりと握り。

 

 

 ――次の瞬間には、二つの集団が激突していた。

 

 

 

 ……“壁の向こう側”に逃れた、私と邪仙の女を除いて、だが。

 

「あら、あら。てっきり、邪魔をしてくるものと思っていたのに」

 

 暗い襤褸屋の片隅で、邪仙の女は肩で息をしながら、それでも私を小馬鹿にするように笑う。

 先程“壁に丸く大きな穴を開けた”鑿は、再び簪代わりとして彼女の髪に収められているらしい。

 

「……あのような状況で邪魔をする利など無いと、そう考えたまでだ。邪仙、貴様も貴様で、追われているようだったからな」

 

 私は薙刀を肩に預け、……さすがに疲れを隠すこともできず、そのまま壁に背を凭れた。

 

「お互いに目的があり、等しく追い詰められているならば協力すべきだろう」

「……くすくす。さすがは秦造河勝。勝機は逃さないということね?」

「半分、賭けではあったがね……」

 

 そう。私は向かい側からやってくる邪仙を見て、それが目的を同じとする味方だと、最低でも敵ではないと瞬時に見抜いていた。

 まぁ、悩むほどのこともない。邪仙は額に汗を浮かべて飛んでいたし、手にしている羽衣は一部がちぎれかけ、飛行能力を失いかけていた。そんな姿で覡の群れを引き連れているともなれば、彼女が置かれている状況など簡単に想像がつくというもの。なにせ、私も同じようにして追い回されていたのだからな。

 

「それにしても、良く“これ”に気付きましたね? 何も言っていないのに、私の行動に咄嗟に合わせてくれるだなんて」

「ああ……ま、長年の勘というものだな」

「あら、食えないお人」

 

 邪仙が手に持っていた、簪。

 彼女は向こうから飛んでくる間、それを何度か壁に突き立てようと試みているようであった。

 その簪が何らかの突破口を開くものであることは想像に難くない。

 斑鳩宮で見せた不自然なすり抜け移動を考察していれば、彼女の手にしたそれが逃げに適した道具であることは、すぐに理解できた。

 

 だがその試みは、背後から至近距離で迫る覡を前にしてはあまりにも隙が大きすぎたのだろう。

 彼女はついぞ、私とかち合うまで使えなかったのである。

 

 それ故、私が彼女と合流して行ったのは、薙刀による時間稼ぎだった。

 彼女が壁に“逃走通路”を作るまでの僅かな時間、至近距離まで来た覡を斬り伏せたのだ。

 邪仙がわざわざ私まで穴へと退避させてくれたのは、少々予想外であったが……まぁ、結果として最善であったのだ。良しとすべきだろう。

 

 ……この女そのものは、気に食わないが。

 

「……邪仙」

霍青娥(かくせいが)よ。青娥と呼んで構わないわ」

 

 霍青娥と名乗る邪仙は、羽衣の傷を確かめつつ、私に微笑んだ。

 

「……青娥。貴様は、何故ここにいる」

「何故? それは……」

「答えろ」

 

 先程は、助けた。咄嗟のことであるし、私も追い詰められていたが故に。

 だが、窮地を脱した今は別である。

 

 私は薙刀の先端を青娥の首元に差し向け、己の内に潜む力を高めた。

 

「答えろ。何故だ。何故……太子様を、殺した」

「……」

 

 殺意を乗せた私の問いに、青娥は暫くの間、曖昧な微笑みを浮かべるばかりであった。

 

 

 

 


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