東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 妖怪が増えた。

 それは淡海近辺の者からの話で知っている。だが、人間が弱くなったという話は知らなかった。

 いや、そもそもチルノの言葉だ。妖精の言うことを真に受けては大損をするとは、子供でも知っている事。

 

 ……しかし、それでも一抹の疑念を前に動かずにはいられないのが、私というものらしい。

 私はまずまずの釣果で釣りを終えると、チルノに冷ました焼き魚をくれてやった後、すぐに人里へと向かったのだった。

 

 

 

 私が暮らす人里は、何戸かの襤褸屋が点在するだけの、簡素でみすぼらしいものである。

 が、淡海と森の狭間には食うに困らないだけの豊かさが溢れており、生活は困難ではない。故に、力仕事の担い手が少ない程度では苦しむはずもなかったのだが。

 

「おお、河勝殿……」

「……どうした。顔色が優れないようだが」

 

 久々に会った漁民の爺は、見るからに弱っていた。

 力がとか、身体が、とかではない。……憔悴している、とでも言えばいいのだろうか。彼は日々の生活によって、心を少しずつすり減らしているような顔をしていたのである。

 

「困ったものだな。儂も昔は、もっと動けたものだが……」

「……訳を聞かせていただきたい。一体何があった? 私ならば、力になれるやもしれん」

 

 爺は自嘲するように弱音を吐くばかりであったが、私が少し促してやると、すぐに悩みを話してくれた。

 

「なに、難しいことではない。……物がな、無いのだ」

「物が……何?」

「そのままの意味だとも。今はとにかく……物が高すぎる。前に来た行商の者などは、これまでとは比べ物にならんほどの額をふっかけてきおった。……それだけでは終わらんぞ。最近、目立つ場所にあった畑が誰かに荒らされておってな」

「なんと」

「それだけならばまだ可愛いものだと思ったが、儂がよく出ている釣り場にも、淡海集落の方から人が来るようになったのだ」

「……それでは、こちらの人々が」

「ああ。上がったりだよ。食うものが一気に無くなった。……これほどの困窮は、儂も久々だ」

 

 どうやら、……信じられないことであるが、この豊かな淡海近辺で“食うに困る”という事態が発生しているらしい。

 しかも聞く限り、その飢餓の波は他からやってきたのだという。

 

 ……他所の飢饉が、ここまで広がっている?

 いや、冷害や干害の気配は無い。むしろ近頃に限っては温暖で雨の多い日が続いているはず。

 だとすると一体、何だ? 何が原因で、食が圧迫されている?

 

「儂に昔ほどの力があれば、こうも惨めにならずには済んだのだがな……」

 

 ……年寄りが。

 

 年寄りが、そのような。諦めたような……悔やむような顔をするものではない。

 

 その顔は、貴方のその表情は……きっと太子様が望まれた民の顔ではないだろう。

 

「……すまなかった。ありがとう」

「河勝殿? どうされる」

「しれたこと」

 

 私はすぐさま身を翻し、歩き始めた。

 

「有事の際には、河勝が動く。……そういうことさ」

 

 民に、国に何かが起きた時。私はその都度、問題の対処に当たるべく奔走してきた。

 ……今や主君の無き、隠居の身ではあるが……まだまだ、私の身体は老いることもない。再び民のために、仕事を成すとしようではないか。

 

 

 

 それから私は、聞き込みを行った。

 何分、それまで住んでいた場所が場所である。

 行商人ですら滅多に近づかない辺鄙な場所であった。これでは大和に何が起こっているのかも把握できないため、私は人の多い場所を目指して歩くことに決めた。

 

 旅を始め、道すがら人と出逢えば根気よく訊ねてみる。

 地味な調べ方ではあるが、聞き込みは重要だ。実際、それを何日か繰り返していると、早速行動は実を結び始めた。

 

 なんでも人々の話によれば……実際私が予測した通りではあるが、飢饉に陥っているのだという。

 おそらくは不作であろうとの話を何人かからは聞けたのだが、農家の男に限っては“不作というわけではない”とのことである。

 

 ……不作ではないが、飢饉が起こっている。奇妙な話だが、実際に会う者会う者がどこか不健康にやつれているようだったので、間違いというほどでもないのだろう。

 実際に、食うに困る者は多い。……どうやらチルノが言っていた“弱っている”という話は、この飢饉が原因だったようだ。

 そして妖怪は、その人の弱みに付け込んで力を蓄えている。

 

 ……このままでは弱った人々が妖怪達に襲われ、大惨事を招くかもしれん。

 いや、実際の所すでにそのような事は起こっているのだろう。

 私の耳に入っていないというだけで……大和の事態は、実に悪い方向へと向かっているのだ。

 

「……不作ではないというのに、飢饉。ふむ……とにかく、それなりの集落を目指さなくてはな」

 

 不気味な異変だ。

 そして私の勘が、“早く解決しなければ”とも囁いている。

 

 私は肩に預けた薙刀の柄を強く握りしめて、黙々と歩き続けるのであった。

 

 


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