東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 山暮らし……という程のことではない。

 が、都を離れたといえばその通りである。

 

 太子様を失ったことで、私の影響力全てが失われたわけではない。

 むしろ政治としての力もまだまだ多分に残っていると言って良い。既に私の権力は、太子様を外しても充分過ぎる程に独立したものだったのだ。

 

 だがそれでも私は、これ以上中央に残りたくはなかった。

 ……大和の町並みを見ると、どうしても虚しさと寂しさを感じてしまう。

 故に、私は信頼できるものに財務と外務を委任し、離れた場所で隠居することに決めたのだった。

 

 ……移住した場所は、淡海の向こう側。

 大和からは遠く離れ、そう簡単には都の話も届かぬほどの……とても静かで、長閑な畔だ。

 開拓も疎らな牧歌的な地形と、雄大な淡海。そこに息づいた小さな村では、小舟による慎ましい漁業と僅かな畑による自給自足の暮らしが成り立っていた。

 

 私は何年か前からここで暮らし始め、今ではご老体の農作業を手伝いながら、木彫などを生業として過ごしている。

 ここは元々、口減らしのために追いやられた者が移り住むことで出来た集落なのだという。故にここは老人が多く、私のような力持ちは歓迎された。

 時折現れる妖怪を退治できることもまた、彼らには魅力として映ったのだろう。顔をひた隠しにする一点を気味悪がられはしているが、基本的には好意的に受け入れられている。

 

 ……太子様が居なくとも、まだ辛うじてこうして暮らせることに感謝せねばなるまい。

 まぁ、いずれはこの地も離れねばならんのだろうが……それまでは、平穏に……面でも彫りつつ、静かに暮らそうと思っている。

 

 

 

「おー、かわかつ!」

「む……その声は、チルノか」

 

 人里離れた場所で新たな暮らしを。

 そう考えていた私だったが、この辺境の地にあっても切れない縁が、ひとつだけ残っていた。

 

 それはかつて静木と共に淡海の妖怪を討伐した折に出会った妖精、チルノであった。

 

「河勝! 最近あたいと遊ぶ約束すっぽかしすぎじゃないの!?」

「そうだったか? ……いや、そうか。そうかもしれんな」

「十日に一回は遊んでやるって言ったの河勝でしょ! あたい、約束守れない大人は捕まって打ち首になるって聞いたわよ!」

「ふふっ……それは大変だな。これは参った。では、今日は日が暮れるまで、チルノと遊ぶとしようか」

「良し! それでこそあたいの家臣!」

 

 妖精、といえば悪戯好きだ。

 一つ一つの悪戯は可愛いもので、私としては恐ろしくもなんともないのだが……妖精は加減を知らぬために、時折勢いに任せて人を死や重症に追いやることもある。

 広く長い目で見た時、妖精の手によって命を落とす者はかなり多いという。

 彼女ら妖精は殺そうとしてもすぐさま霊体に溶けてしまうため、殺すことはできない。故に妖精の被害を防ぐためには、彼女らを怯えさせて近付けないようにするか……こうして遊んでやり、積極的に気を逸らすかのどちらかになるだろう。

 

「ねえ河勝、また釣りするの?」

「ああ。どうした、釣りでは不満か」

「ううん。別に。釣れたやつ、あたいが冷やしてやっても良いよ?」

「それは助かる。チルノが冷やすと、日持ちが違うからな。今日は是非とも、大物を釣らねばなるまい」

「ふふん!」

 

 まぁ、煩わしくないと言えば嘘にはなるが……こうして小舟に乗って共に釣りへと赴くのは、それはそれで良いものだ。

 ……悪戯好きな妖精を集落から遠ざけていると思えば、いくらか善行を積んだ気にもなれる。

 

「安物の舟だ。暴れてくれるなよ」

「おー!」

 

 こうして私は、舟を静かな淡海へと漕ぎ出していったのだった。

 

 釣り糸を垂らしたまま、面を削る。

 針にかかるまでの間は、とにかく暇なものだ。

 チルノは釣り餌の虫籠とにらめっこするのにも飽き、舟に寝転んで太陽を見上げているらしい。

 それでも釣れぬと文句を言わないあたり、彼女も最低限、釣りというものを解っているのだろうか。

 

「なー、河勝」

「ん」

「最近忙しいのってさー、もしかして妖怪のせい?」

「ん。まあ、な」

 

 妖精とはいえ、やはり自然に生きる者か。

 どうやらチルノも、近頃の変化を感じ取っているらしい。

 

「元々私は、集落を襲う妖怪だけを狩っていたのだがな。最近ではどうにも、その数が増えて……いや、増えすぎているらしい」

「うん。あたいの友達の妖精も、最近は増えた妖怪にちょっかい出されやすくなったって言ってたよ」

「ほう。チルノもそう思うのか?」

「うん。生意気なの増えた」

「ははは、生意気なのときたか」

 

 普通、妖精は力で妖怪に勝てないものだ。

 が、流石はチルノ。妖怪を生意気扱いするとはな。相応の力があるとはいえ……いや、しかしこうして改めて言われると、面白いやつだ。

 

「……だが、そうか。チルノも感じる程に、妖怪が増えたか……」

「なんか、人間が弱っちくなってるって話は聞いてるよ。それで妖怪達が、みんな力を付け始めたんだって」

「……人間が、弱く?」

 

 それは。……初耳だな。

 

「うん。人間が弱くなった」

 

 私は木を削る小刀を止め、ゆっくりとチルノの顔を振り返り、見た。

 そこには、茶化す風でもない……かといって、真剣と呼べるほど作った風でもない……有り体に言えば極々自然な、素直な童の顔があった。

 

「ま、あたしからしたら、元々人間なんて弱っちいんだけどね」

「……そう、か。……そうだな……」

「あー! 適当に返事した! 今絶対に適当な返事だったー!」

 

 ……人間が、弱く。

 ……ふむ……これは……?

 

 


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