遺品は守られたが、賊であろう邪仙はどこかへと消えた。
あの女がどのような企みを持ってあれらを盗もうとしたのかは……謎である。
結果として斑鳩宮に残されたのは、太子様含む三人の遺骸のみ。
……私はこの日、またもや、自らの主君を失ったのだ。
太子様の死は、私のような近い人間達に伝えられた。しかし、それはいずれも太子様の“事情”を知る、有力な豪族や冠位持ちにだけである。
死は影武者の“男の”太子様へも伝えられたが、太子様が遺された文には影武者を立てたまま、表向きには存命という形で対処された。
これは、太子様が存命中に遺された命令を忠実に守った形である。あの方は自らの死でさえも、何らかの好機として活用されるのだ。影武者が表向きの死体を見せるために命を断つのは、その後になるだろう。
……邪仙の零した言葉の多くは、一顧だにしていない。
当然のことだ。心が堕落した仙人の言うことなど、一体誰が信じられようか。
斑鳩宮には三人の死体が遺されていたが、邪仙が潜んでいた、あるいは逃げていた時の痕跡は全く見つからなかったのだ。あれを見ては……さすがの私も、何か悪い夢でも見た気分になってしまったが……。
……結局、太子様の死因は……闇の中である。
邪仙が現場に残した品々……壷、大皿、そして七星剣は、影武者が死ぬよりも先に蜂岡寺の廟堂へと納められた。
蜂岡寺の一角を占める、質素ではあるが立派な廟堂である。
この寺の中の中であれば多少は護りもあるだろうし……何よりもこの廟堂に限っては地中深くに存在する上、幾つかの仏の品で固めてある。
いくらあの邪仙が強い力を持っていようとも、地獄を司る霊験に守られては手出しはできまい。
太子様縁の品々の殆どは地上からも、そして地下からも決して盗み出せないよう厳重に埋葬されたのだ。
……邪仙は、時に遺骸に偽りの命を吹き込むのだという。
……もし、万が一。太子様がそのようなことになれば……これは、大和にとって悪夢以外の何者でもない。
太子様。貴女は真によく働かれた。
やや急すぎる別れではありましたが……どうか、安らかにお眠りいただければと思います。
……貴女であれば、“悟り”とやらもひらけるやもしれませんな。
……大切な人を失い。
居場所が狭まり。
だがそれでも、私は生きている。
気心知れた同僚がまた一人、この世を去ろうとも。
政変の予感が次々に押し寄せようとも。
新たに飼い始めた馬が、老衰によって倒れようとも。
……太子様の影武者が亡くなり、都が季節外れの悲しみに包まれようとも。
私は生きている。
死ぬことはない。
私の寿命は、まだまだ訪れることはない。
……僅かずつ、己の身が老いている……という、実感はある。
だがそれは、あくまで年若い男が一年を過ごした後のような、その程度の微々たる変化でしかなく……。
それはつまり……その遅々として進まぬ老い方は、周囲に“不死”を連想させる程のものであった。
一時期は面を取り払った私であったが、老いることのない姿は再びの迫害を招く。私は再び木工に傾注し、黙々と……もしくは、太子様を失った悲しみでも紛らわすかのように、作り続けた。
猿の面。男の面。女の面。翁の面。妖怪の面……。
宮廷では一線を退き、財務から離れている。私はどこか上の空な気持ちで、面を作り続けた。
何故作り続けているのかは、わからない。
かつて、太子様が面を彫っていた私に冗談めかして“私のためにも一つ作ってもらいましょうか”と言っていた言葉でも、想い続けているのだろうか。
……まぁ、もう、どうだって良いことだ。
私はもう、仕えるべき人を失ったのだ。
太子様の遺された言葉は、全て忠実に果たしたはずである。
後はこの私が……素顔を知られれば“妖怪”と罵られても可笑しくはないこの私が、機を見て大和を離れるのみ。
既に秦氏もそれなりの地盤を得た。現状、私に出来ることなどそう多くはない。
……大和は、順調だ。
様々なものを失い、感傷的になった私がそう胸を張って言えるのだ。間違いはあるまい。
「……また、どこかへ……往かなければな」
紫色の蝶が庇の下で舞い踊り、山を目指して去っていった。