東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 私が叫んだと同時に、屋根裏に潜む“気配”が急激に動いたのを感じた。

 それを見逃す私ではない。すぐさま薙刀を手に取り、戸を蹴り開けて廊下へと出る。

 

「河勝殿!?」

「賊だ! 斑鳩宮の中にいる!」

「何と!」

 

 気配を追跡しながら廊下を駆け、外側へと移動する。

 私は迷路の如き廊下を本気で走っているが、賊はまるで屋根裏の中を、なんら障害物などないかのように一直線に移動しているようだ。

 屋根裏の構造がどのようなものかは定かでないが、尋常なことではない。

 

「だが……それこそ、敵であるという確かな証!」

 

 薙刀を振るい、薄壁に円形の穴を刻んで蹴り抜ける。

 

「あらあら――やはり、障害となるのは貴方なのですね」

 

 私が壁を突き抜けたのとほとんど同時に、斑鳩宮の屋根からも人影が現れた。

 屋根をすり抜けるようにして出てきたのは、天女のような羽衣を身に纏った線の細い女。

 

 しかし……そいつが持つ圧倒的な邪気は、到底女だからと見逃せるものではない。

 

 私は地を削るようにその場に足を留め、薙刀の刃先を向けつつ、女に叫んだ。

 

「貴様、何者か!」

「うふふふ、素直に答えるとでも?」

 

 女は宙に浮き、私を見下ろしながら微笑んでいる。

 

 ……明らかに、真っ当な存在ではない。

 いや、それどころか、あの気配は……まさか。

 

「邪仙か!」

「……あら、あら」

 

 そう、この感じ……宙に浮かぶ女から発せられるあの気配を、私は一度大陸で経験している。

 あれはそう。まさしく、仙人だ。その中でもとびきり邪悪な、邪仙に違いあるまい。

 であれば、太子様達の奇妙な死にも容易に説明がつく。邪仙が何を目的として太子様を殺めたのかは知らないが……。

 

「許さん。……絶対に、許さんぞ……!」

 

 奴の周囲に浮かんだ数々の品……その中にある、太子様の“七星剣”……。

 それを見てしまっては、もはや逃がすわけにはいかぬ。 

 たとえ強力な妖術を扱う邪仙だろうとも、絶対に!

 

「ふふっ」

 

 浮遊する女が周囲に壺や皿を浮かべながら、ゆっくりと斑鳩宮の広場へと降りてくる。

 その余裕を感じさせる――あるいは意味ありげな行動に、私は思わず自らの装備を顧みた。

 

 武器は、薙刀。懐の短刀。そして……静木から授かった二枚の扇子。

 ……これだけだ。常日頃の妖怪討伐に持ち出す装備よりは一段貧弱であると言わざるをえない。

 

秦河勝(はたのかわかつ)……豊聡耳(とよさとみみ)様の元側近にして財務を司る秦氏の長、そして武において右に出る者はいないという……大和最強の戦士」

「!」

 

 こいつ、私を知っている。そして、太子様の正体も……。

 

「豊聡耳様が最も気にかけていただけのことはありますね。ふふ……それだけに、なんとも。こうして私に刃を向けるのが、滑稽と言いますか」

「……何者だ」

「貴方は忠実だった。そしていかなるときも強く、万難を排し続けてきた」

 

 邪仙が私を嘲笑い、羽衣が控えめに口元を隠す。

 

「しかし……貴方はあまりにも強すぎた。貴方の強さは、豊聡耳様にとって不都合なものだったようですね?」

「何を……言っている? 貴様は……」

「人の身にして神性を宿した、生き続ける英雄……それは、ええ。そうでしょう。豊聡耳様にとって、それほど理不尽で不都合な存在もなかったのだと思います」

 

 ……太子様にとって……不都合? 私が?

 私は……違う。私は太子様の……。

 

「結果として、こうして……この最悪の時を狙ったかのように、私の前に立ちはだかっている。……うふふ、素晴らしいですね? これは豊聡耳様が想定した中で、最も悪い場合ですよ?」

 

 邪仙は嗤い、馬鹿にするかのように私を見つめている。

 いや……その目線には、確かな“恨み”が込められている……。

 

「台無しです。不本意です。ですが……これも豊聡耳様の命令。もしもこれらを運ぶ最中に貴方と出くわした場合、その際には……“品々”を全てその場に置いて、私一人で逃げること。……ただ逃げるだけでも、これらを庇いながらでは難しいそうですからね?」

 

 宙に浮かんだいくつかの道具が私の眼前へと運ばれ、静かに地面へ舞い降りる。

 

 宝物と呼べる程度には、豪奢な装飾の施された皿と、壷。

 そして、最後に太子様の七星剣が私の方へと放り投げられ……。

 

「さあ、大事な方の忘れ形見を灰とするか、私を追うか――選びなさい?」

 

 同時に、邪仙の手から青白い火球が放たれた。

 

「――!」

 

 火球。小さく、手のひらの上に乗るほどの、とても矮小な火球だった。

 しかしその内部に圧縮されたであろう熱量は凄まじく、地に落ちて開放されれば、この一帯が火炎に包まれるであろうことは間違いないほどの、物騒なもの。

 

 火球を投げた邪仙は、既に宙に浮かび逃亡を始めている。

 だがそちらを追えば、間違いなくこの火の玉は太子様の遺品を――。

 

 賊を取るか?

 宝物を取るか?

 太子様ならば、まず間違いなく賊を――。

 

「おの、れぇええッ!」

 

 だが……できん!

 私には、太子様の剣を見殺しにすることなど……!

 

「うおおッ!」

 

 私は薙刀を連続で振り払い、地に落ちる間際の火球を八つ裂きにする。

 斬り捨てたことによって内部の火焔が漏れ出たが、薙刀はどうにか炎を散らし、敵の攻撃を無力化することに成功した。

 

「……くっ……!」

 

 そうして武器を構え直すが、既に邪仙の姿はない。

 どこへ消えたか。どこへ逃げたか……。

 

 ……残されたのは、太子様の遺品と思しき品々と……邪仙の女の、意味深な言葉だけだった。

 

 


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