東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「……ありがとう」

 

 私は、地に伏せる老馬の顔を静かに撫でた。

 キタトゥスは弱々しく声を上げて……。

 

 その声が長引かぬうちに、私はキタトゥスの頭を刎ねた。

 

 

 

「! 誰だ!」

「一体何奴……いや、お主、まさか」

 

 素顔の私が斑鳩宮に近づくと、高官達が色めき立った。

 ……普段、顔を隠し続けていた私がそのままに現れたのだ。困惑するのも無理はない。銀髪も、碧眼も、どちらもこの地域の人種とは程遠いのだから。

 隋でも新羅でもその価値観は変わらない。この顔を見た者は、皆誰もが気味悪がり、私を妖怪扱いしてきたものだ。

 私は今まで常に顔を隠し続けてきたからこそ、こうして辛うじて大和に溶け込めている。

 

 だが今は、何が起こるかわからない。

 ……仮面はもう、必要ない。

 

「大仁、秦造河勝。……事情を聞いてやってきた。入っても宜しいな」

「も、もちろんでございます。……河勝殿、中へ」

 

 私の素顔はどこまで受け入れられるかはわからない。

 

 だが……太子様が亡くなったのだ。

 

 もはや隠す必要も、無いだろう。

 

 

 

「……お主は、河勝殿か……」

「ああ」

 

 斑鳩宮の奥の廊下を進んでゆくと、馴染みのある高官が憔悴した様子で立っていた。

 彼は長く太子様に仕えている、信頼できる男だ。また、太子様の秘密を知る、数少ない者でもある。

 

「太子様が、豊聡耳神子様が亡くなられたと聞いて、駆けつけた。……事実か?」

「……事実だ。亡骸は……すまぬ。未だ、この部屋の中に在る。事件性を調べるために、な……」

「いや、賢明だ。……少なくとも太子様であれば、同じようにしただろう」

 

 彼は、太子様の遺体をそのままにしていることを心苦しく思っているのだろう。

 だが、原因を究明するにあたっては仕方ないことだ。

 ……もちろん、彼の気持ちも私にはよくわかるのだが。

 

「……河勝殿であれば、あるいは……内部の様子を見て、気付くことがあるやもしれん。よくぞ来てくれた。……中へ、入ってくれ」

「ああ、そうしよう」

 

 私は戸を開き、宮の最深部へと踏み込んだ。

 

「……」

 

 そこには、三つの遺骸があった。

 

 一人は布都嬢。

 物部家を裏切り蘇我氏に内通した女性であり、太子様のよき友人でもあった。

 問題行動や発言が目立つ人であったが、太子様の教えに共感できる程には理知的で、賢い人物であった。

 そんな彼女が、壁にもたれるような格好で……死んでいた。

 ……脈はない。息もない。何よりも、冷たい。

 

 あの元気な布都嬢が、まさか、このような……。

 

「……ふう」

 

 続きだ。感傷に浸る暇など無い。

 

「……布都嬢は壁に。しかし、他の二人は……茣蓙の上で、……死んでいる」

 

 蘇我屠自古(そがのとじこ)。彼女もまた太子様の友人であり、昔は共に学んだ仲であった。

 そして……幼少期においては、まだ体つきに起伏が無かった頃の太子様の妻役を務めてもいた。

 ……屠自古殿は、座っていた茣蓙から横側へ、はみ出すようにうつ伏せに倒れている。

 

 そして……太子様は。

 豊聡耳神子(とよさとみみのみこ)様は。

 

「ああ……」

 

 茣蓙の上に胡座をかき、そのまま、まるで今でさえも、うたた寝でもしているかのように……亡くなっていた。

 

「太子、様……」

 

 間違いない。

 この方は、彼女は……太子様だ。

 

 流民に過ぎなかった私を拾い、立場を、目的を与えてくださった、太子様が……。

 

「……」

 

 何故太子様が死んだ。

 何故、いいや、誰が殺した。

 

 三人ともに死んでいるところから、病ではない。同じく疫病でもない。

 死因は……見たところ、外傷によるものではない。かといって、術かといえばそれも少し違うように思える。

 

「部屋は……荒れていない」

 

 調度品はそのままだ。特段、何かが盗まれた様子もない。

 それに、そもそも賊が忍び込むことはほとんど有り得ない。

 太子様の、特に“真の”太子様の周辺は、常に厳重な警備が敷かれているためだ。

 ……馬子殿に謀殺されたにせよ、その痕跡があまりに少なすぎる。太子様も、無抵抗のまま殺されることはないだろう。

 

「……毒殺か」

 

 最も可能性が高いものといえばそれだ。

 三人が同時に死ぬ。それはもはや、毒しか考えられない。

 

 ……が、仮に毒だったとして……こうも部屋が整然と、荒れぬままでいられるだろうか。

 

 毒とはいっても、即座に魂が召されるわけではない。

 死に至るまでには壮絶な苦しみがあるし、人はそれに抗おうと藻掻き、多少なれ傷跡を残すものだ。

 だから、こうも……何も、三人の暴れた形跡が無いというのは……不可解だ。

 

 ……太子様が全幅の信頼を置く者が、極めて強力な毒を盛った……?

 いや、それにしても、この状況は……三人が同時に毒物を口にしなければ有り得ない程であるし……。

 

「……何?」

 

 私が現場を見聞していると、突然、頭の中に違和感が過ぎった。

 

 泳がせていた目線を戻し、違和感の元をゆっくりと辿ってゆく。

 

 そして違和感の根源は、すぐに分かった。

 

「……七星剣はどこだ」

 

 太子様が普段佩いているはずの七星剣が、無い。

 大使様の遺体をよく見聞してみても、やはりそうだ。彼女が普段、少なくともこの姿でいる間は常に身につけていたはずの剣が……剣だけが、無い!

 

 剣を狙った、賊?

 有り得ない。何故そのようなことを。確かに宝剣ではあるが、そのために太子様を亡き者にするなど……いや、しかし……。

 

「――」

 

 私が不可解な賊の存在に神経を尖らせた、その瞬間。

 

 ほぼ直感とも呼ぶべき私の勘が……この宮の上部に、“尋常ではない何か”の存在を感じ取った。

 

「ああ……お前か……?」

 

 私の、外敵を知覚する能力は鋭い。

 殺気があれば遠方の射手にも気付けるし、探そうと思えば屋根裏にいるネズミの数さえ把握できる。

 

 そんな私の勘が叫んでいる。

 

 この宮の屋根裏に、“何か”が息を潜めているのだと。

 

「そうか、お前がッ……お前が、太子様を殺したのだなッ!?」

 

 


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