東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

324 / 625


 

 静木が去った。

 彼の者はついぞ、最後の最後まで、己の出自や正体を語ることはなかった。

 

 怪しい魔道具、仮面、生活用品……。

 彼は短くない間、様々な商売に手を付けていたが……果たしてその影響が、どれほどの間この大和に残るだろうか。

 

 私は静木が作り上げた魔道具の幾つかを手にしているが、この国で私以上に彼の作品を持っている人間もいないだろう。

 私は奴の活動を遠目に眺めて続けてきたが、その売り上げは決して順調と呼べるものではなかった。

 妖怪を退ける護符こそ広まってはいるが、それも消耗品だ。時が経てば数は減り、いつか……この世から消え去ってしまうだろう。

 

 実際、彼が大和を去ってからたった数年の内に、既に彼の名を懐かしむ者も少なくなっていた。

 あの用心深い太子様でさえ、静木の残した影響を“無視できる”と判断された程だ。

 

 

 

 ……静木よ。

 再び戻ると言ったお前が去ってから、もう十年以上が経った。

 

 お前の広めようとしたものは年月の中で忘れ去られ、僅かに遺ったものも風化しつつある。

 お前の作った護符を懐に入れていた警邏の男も、今や仏に手を合わせ祈る世の中になってしまった。

 大陸より運ばれた気風や思想は、既に大和を新たな色に染めている。

 もちろん、太子様の意思により成されたその論調に反対するわけではない。実力主義は、腐敗しかけた国政を正す良い喝だ。新たな社会制度や文化の伝来は、きっとこの国をより善きものへと変えてゆくだろう。

 

 だが……それでも。

 静木よ。それでもだ。

 私はそれでも、思わずにはいられないのだ。

 過ぎ去り、忘れ去られてゆくものを見送るのは、どれだけ長く生きていても、淋しいものだ……とな。

 

 

 

 太子様から与えられる仕事は多い。

 どれも重要だ。太子様はそれだけ私の手腕を買っているのだ。あの方の期待に応えることはもちろん吝かではないし、私にとって望むところでもある。

 寺院の建立、仏像の奉納、使節の迎賓と交渉。……どれも、周囲から妬みを貰うほどには大役だ。

 紫の下に控える鮮やかな濃青は、私の誇り。

 今や私はただの護衛ではないし、ただの成り上がりと罵る者は居なくなった。

 

 しかし……そう。私は太子様の護衛から、自然と離れていった。

 もちろんわかっている。太子様は私を護衛とするには惜しいと判断されているのだ。太子様の意思だ。わかっているのだ。

 

 ……だが……太子様が、どうにか私を遠ざけようとしているように思えてならない。

 布都殿や屠自古殿もそうだ。今ではめっきり、太子様の身近にある彼女らと会うことがなくなった。

 

 ……太子様は善き為政者だ。それを疑うわけではない。

 しかし……あの方は、何故私を遠ざける?

 何故私を信じてくださらない?

 私の居ない場所で、あの方は一体、何を……?

 

 

 

 ……誰か答えてくれ。

 誰か、教えてくれ。

 

 ……静木よ。まだ大和へ戻らないのか?

 私はまだ、ここにいるのだぞ。

 

 布都殿。私を嫌い、騒がしかった貴女が、何故近頃は姿さえも見せてくれないのだ。

 

 屠自古殿。何故太子様の部屋に、影武者の気配が二つもあるのだ。

 

 誰か、私の話を聞いてくれ。

 私の疑問に答えてくれ。

 

 太子様。

 何故貴女は……私に、何も話してくれない……。

 

 

 

 

「河勝殿。先触れも無しに、すまなかった。だが、これはどうしても、いち早くお主に伝えなくてはと思ったのだ」

「いや、構わない。その様子だ、ただ事ではないのだろう」

「……心して聞くのだぞ。取り乱してはならぬぞ」

「む……一体、どうされた? 何があったのだ。火急の問題であれば、私が……」

「厩戸皇子が、斑鳩にて薨御された」

 

 ……。

 

「影武者の男ではない。……ご本人だ。友人の方も、……布都様や屠自古様も、同じように……」

 

 ……。

 

「河勝殿? ……河勝殿。……すぐにでも、生駒へ。支度は整っている。……どうも、死因に不審なところがあるのだ」

「……なに?」

「来られよ。……大きな声では言えぬが。……どうも、死には呪物が関わっているらしい。毒殺とは違う、何か……良からぬ謀の気配がしてならない」

「……!」

 

 太子様。

 不審な死。

 呪物。

 

 私は、自らの頭に巡る血が沸騰したのを感じた。

 憤りのままに猿の面を放り投げ捨て、それまで隠し続けていた異国の顔を、外へと晒す。

 そして私は、感情のままに叫んだ。

 

「キタトゥスッ!」

 

 曇りなき私の呼び声に、死期を目前にした老馬が屋内に飛び込むことで応えてくれた。

 

「先行する! 斑鳩宮だな!?」

「河勝殿! その顔は……!」

「斑鳩宮なのだな!?」

「……ああ、そうだ!」

「承知した! キタトゥスよ、済まぬ……お前の余生、私にくれ!」

 

 何の支度も整えないままに裸馬へと跨り、薙刀だけを手に握る。

 近頃は常に気怠そうにしていたキタトゥスが、死を命じた私に頷くかのように嘶いて、手綱も無しに駆け出した。

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。