東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 湖の畔にて、私たちは控えめな焚き火を囲んでいた。

 私達というのは、行きから一人増えて、今は三人である。

 

 私と、河勝と、氷妖精のチルノの三人だ。

 

「美味しい!」

 

 チルノは今、焚き火から遠い所に作った大きな雪だるまに腰掛け、私の手作りビスケットを食べている。

 ビスケットと言ったが、さほど上等なものではない。魔道具の代金として大量に貰っていた雑穀と木の実や果物から作った、ワイルドな代物である。

 が、砂糖はしっかりと(魔法で精製したものを)使っているので、言うほど悪い代物ではない。あくまで麦を使っていないというだけなのだ。

 

 この時代では甘い菓子など存在している気配もない。上流階級ですら微妙な所だろう。

 それ故か、チルノはとても美味しそうにビスケットを食べていた。

 

「ん……!」

 

 そして、甘いものを食べた驚きはどうやら、河勝の方にもあったらしい。

 仮面越しでは表情などわからないが、一口食べたビスケットを一度まじまじと見つめているので、まぁ“なんだこれは”とでも思っているのだろう。

 先程までは一緒に焚き火を囲むチルノを警戒していたのだが、興味は一気に謎のお菓子へと移ったようだ。

 

 うむ。やはり物を食べる時にはそうやって、あまりギスギスしないで目の前のものに集中するのが一番だ。

 

「……湖の方も、河勝が処理したおかげか、もうほとんど雪が降っていないみたいだな」

「なに……本当か?」

「えー、雪やんじゃったの? むー……」

 

 今は夜。

 街灯も全くないこの飛鳥時代ではあるが、雪が降っているかどうかはいつの時代でもわかるものだ。

 どうやら琵琶湖に集まった冬妖怪のコロニーの大部分を処理したおかげか、これまでの冷気を保てなくなったらしい。

 私達の見立て通り、この季節外れの寒さは多くの妖怪によって作られたものであったようだ。

 

「ま、いっかぁ。これ美味しいし!」

 

 チルノは琵琶湖から寒気が失せた事を残念に思っていたようだったが、お菓子ですぐに機嫌が戻る辺り、やはり単純なのであった。

 彼女の持つ力は非常に強大だが、チルノ単体で琵琶湖を凍てつかせることはできないはずだ。

 今回の冷害事件は、ほとんど解決したと言っても良いだろう。

 

「おい、氷精。お前……チルノ、といったな」

「ん? そうだけど?」

「お前は、妖精にしてはかなり強い力を持っているようだな」

「ふふん、そうでしょ! あたいはここらへんの“かおやく”だからね!」

「うむ……だが、お前ほどの妖精を、私は見たことがない。これまでもずっと、この淡海に棲みついていたのか?」

「淡海ってここのこと?」

「そうだ」

 

 チルノはビスケットの最後のひとかけらを口に放り込んで、目線を斜め上にやり、考え込むように唸った。

 

「……ちょっと前にここらへんに来たけど、その前はもっと別のとこだったわよ?」

「別の所か」

「うん。あたい、海とか山とか越えて来たの」

「海を渡ったのか?」

「うんうん。魚とか鳥おっかけてたらこっちついた。けどここ、暖かくてそんなに好きじゃないなー……あ! けどあたいはもともとずっと強すぎるから、別に暖かくても強いの変わらないからね! ほら、こんな近くで焚き火に当たってても全然死なない!」

 

 そう言って、チルノは焚き火の近くで両手をかざし始めた。

 顔は“どや?”とでも言いたげに笑っているが……既にだらだらと額に汗をかいている姿がちょっと痛ましいので、やめてほしいものである。

 

「わかったわかった。お前は強いな」

「ふ、ふふん! わかればいいのよ!」

 

 河勝もそんな姿に毒気を抜かれたのか、すぐにチルノの強さを認めておだててやった。

 強さを認められたチルノはすぐさま雪だるまの上に退避し、両手を雪塊に押し当てている。

 ……結構暑かったんだろうな。

 

「元々強かった、か」

「うん。あたい最初から強かったよ。まー、昔のことなんて本当に昔過ぎてほとんど覚えてないけどね!」

 

 そこは胸を張るところではないだろう。

 

「……ねえねえ! ていうかさ! これ何!? すごく美味しいんだけど!」

「うん?」

 

 ああ、ビスケットのことか。

 ……五枚あげたのに、一気にバリバリと食べてたもんな。よほど気に入ったのだろう。

 

「それは甘味だよ。老い先短い人間達が生み出した、知恵の結晶さ」

「おお……!」

「どれ、もう一枚あげようじゃないか」

「おー! ありがとおー!」

 

 ビスケット一枚でこれほど懐かれるとは、この時代の子供はかなりちょろいな。

 

「静木、それは……お前が作ったものだな?」

「ああ、もちろん」

 

 河勝に訊かれ、私は頷く。

 ここはさすがに嘘を言えない。食品関係はどうしようもないからね。

 

「この甘み……一体、どのようなもので作り出したのだ? 樹木か、果実か……」

「ふむ」

 

 ほお、樹木か。そこで樹木が出るということは、河勝もある程度は糖について知っているのかもしれない。

 ……闘いだけでなく、絹や糖についても詳しい。

 相変わらず、謎の多い男だ。

 

「まぁ、詳しくは説明できないな。これも私の商品だしね」

「……そうだな、すまなかった」

「おかわり!」

「もうだめ」

「えー!」

 

 あまり糖について詮索されたくないし、子供をドロドロに甘やかしたくもない。

 私は河勝が取ってきたうさぎ肉の串を焚き火の近くに何本か刺した。

 

「私が物の作り方を教えてしまうと、河勝はそれを国のために産業として取り込むつもりだろう?」

「……ああ、そうだな。きっとそうする」

「それは踏み込んだ話だ」

「ああ。悪かったよ、静木」

「んー、そっちの猿が河勝(かわかつ)で、そっちのエビ? が静木(じょうもく)?」

「そうだ」

 

 エビではない。アノマロカリスだ。

 ちなみに味は全くエビではない。

 

「ふーん……よし! 強い河勝に美味しい静木ね! あたい覚えた! 今度会った時には、つーこー……何とか無しでここを通してやってもいいよ!」

 

 別にチルノに何かを求めていたわけではなかったのだが、私達はどうやら彼女に認められたらしい。

 河勝は力で。私は味で。

 ちなみに私自身に味はない。今のところこの地球上で最も無味無臭な物質の一つである。現在同率一位といったところか。

 

「ああ、もしも次に何かあれば、チルノ。お前を頼るかもしれん。その時は、よろしく頼むよ」

「任せて! あ、でもその時はあの甘味も持ってきてくれると嬉しいわね!」

「……難しい相談だが、善処するよ」

「お願いね! あとお肉食べていい?」

「ふっ……構わんよ。たんと食え」

「やった!」

 

 こうして、私と河勝の冷害異変は終わったのであった。

 

 小さく燃える焚き火とうさぎ肉の脂の音が、雪の降り止んだ琵琶湖の畔に響く。

 

 あと何十日もすれば、この寒々しい場所にも虫のやかましい声が戻ってくることだろう。

 

 


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