東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 琵琶湖。

 それは日本最大の面積を持つ巨大な湖だ。

 この湖が無かったら滋賀県の名前と位置を覚えられない小学生が二割くらい増えるかもしれないほど、有名かつ重要な湖である。

 

 位置的にも……琵琶湖で間違いない。うむ。私達はまだ日本海に出るほど走っていないはずだ。

 

「……どうやら、最初の報告者が慣例的に海と呼んでいたものがそのままこちらへ伝わったようだな」

「らしいね」

 

 まぁ、航空写真が無ければ海に見えなくもないかもしれんけどね。

 

 ……それにしても、一面雪景色だな。

 春の芽吹きは分厚い雪に覆われ、夏だというのに土は霜で隆起しているし、水辺はスケートリンクのように凍りついている。

 懐かしい。まるでちょっとした氷河期のようである。

 が、こんな時代に氷河期がやってくるはずはない。この酷寒の夏は、何かしらの不自然な要因によって引き起こされたはずだ。

 

「現場は異なるが、ここで間違いはないな。静木」

「うむ。……ああ、あそこに見えるのが原因かな」

「ん?」

 

 遠くの方に見えた謎の飛行物体を指さす。

 河勝もそれで気付いたのか、すぐに“ああ”と声を上げた。

 

「なるほど。やはり妖怪の仕業だな」

 

 遠方の空に見えたのは、草臥れたボロ布を纏った人形の妖怪であった。

 肉は衰え、まるで凍土に封じられたミイラのような姿である。そいつが空をぐりんぐりんと不規則に回転しながら、冷気らしき輝きを辺りにばら撒いている。

 見るからに知性の無さそうな妖怪だが、振りまく冷気は強力そうだ。この寒気の中で力が高まっているのかもしれない。

 

「移動も探索も、手間が大きく省けたな。奴を斬り伏せ、さっさと夏を取り戻すとするか」

 

 馬を離れた場所に繋ぎ、念のために私の魔道具で簡単な結界を張っておいた。

 後は元凶を討伐して終わりである。

 河勝は意気揚々と薙刀を手に取り、十メートルほど浮かび上がった妖怪に向けて駆け出した……が。

 

「ん……!?」

 

 何に気付いたか、立ち止まる。

 走った勢いさえも、薙刀を凍土に突き刺して殺すほどの焦りようだ。

 

「おーい河勝、どうした。心配しなくとも、あれは悪いミイラだよ」

「……いや、数が……」

「数……? あ」

 

 空を見上げる河勝につられ、私も琵琶湖の上空に目をやる。

 

 すると……。

 

「わお」

 

 曇り空には、雪に紛れて無数の妖怪達が飛び交っていた。

 

 

 

 河勝には内緒で、“望遠”を使って観察を試みた。

 すると、どうやらこの琵琶湖上空及び琵琶湖の湖面には数十にも及ぶ妖怪達が跋扈しているようだった。

 どれも雪やら氷やら、冷気を司る連中ばかりだ。琵琶湖の生態系が絶滅していないかどうか気になるレベルで氷を振りまき、とても楽しそうにはしゃぎまわっている。

 

 ……ふむ。単体の強力な妖怪を予想していたのだが、複数の同じ傾向の妖怪がコロニーを作っていたのか。

 まぁ、その方が自分たちの力を強めるには都合がいいのかもしれない。

 特に、彼らの力が弱まりそうなこの暑い季節においては、妖怪目線で言えば悪くない行動と言える。

 寒さを凌ぐためのおしくらまんじゅうの、丁度逆バージョンといったところだ。

 

「数が多すぎるが、一体ずつ始末する他無いな」

「うむ、そうだね」

 

 解決法は簡単だ。全部倒す。それに尽きる。

 しかし数が多いのは、単純に難しい問題だった。

 あれをただの人間に討伐しきれというのは、あまりにも難しい相談であろう。

 中にはちょっとした凍傷を押し付けるだけの弱い妖怪もいるが、強めの個体の中にはコップ一杯の水を一瞬のうちに凍らせるような奴もいる。

 それが空から襲い掛かってくるのだ。囲まれれば非常に危険だと言わざるを得ないだろう。

 

 ……が。

 

「状況は理解した。では、行ってくる」

「おお」

 

 河勝はその数の暴力を知っていて尚、再び薙刀を手に駆け出した。

 

 底に鋲を打った革足袋が氷面を食い締め、草原の四足獣の如き速さで走ってゆく。

 彼が通った後を雪が抜けるように舞い、その軌跡は真っ直ぐ最寄りの妖怪の真下まで続いていった。

 

「ふッ」

 

 そして、妖怪の直下にて河勝が跳び上がる。

 高低差にしておよそ九メートル。

 

「グギギ……!?」

「まずは一つ」

 

 河勝はその高さを、たった一度の跳躍に埋めてしまった。

 およそ人、いや、生物からは程遠い常軌を逸した跳躍力。

 そして脚が異常であるならば、その腕もまた同じ。

 

「ギャッ」

 

 薙刀が妖怪の首を跳ね、心臓部を断ち、両腕と両足をもぎ取った。

 妖怪の弱点が頭だけとは限らない。全ての弱点と攻撃手段を奪うその連撃は、弱小妖怪の危険性を潜在的な部分まで速やかに消し去ってゆく。

 

「ニンゲンダ!」

「シンニュウシャメ!」

 

 派手に飛沫(しぶ)いた妖怪の青い血液を見てか、周囲に漂っていた妖怪たちが騒ぎを聞きつけたらしい。

 それまでの緩慢な飛行とは打って変わり、蜂のような機敏さで河勝へと殺到する。

 

「来い。その方が早く済む」

「ピギャッ!?」

 

 落ち行く空中にて、河勝が妖怪たちに向けて針を投擲した。

 退魔の力を込めた聖なる鋼の針。似たようなものは既に市井に出回っていたが、あれは効力を見るにちょっと前に私が模倣して作ったものであろう。

 頭部を撃ち抜かれた妖怪は弾けるように死んでゆく。

 

「十三……やはり、随分と効くな」

 

 周囲の妖怪をあらかた斃し終えた直後、凍てついた湖面に着地。

 しかし未だに妖怪は数多く、琵琶湖中から湧いてくる。

 

 私? 私は悠々と見学だ。

 河勝が余裕かどうかは知らないが、彼の仕事には手を出さないつもりなので。

 

「コイツ、ツヨイ!」

「コゴエロ! オビエロ!」

「三十三、三十四ッ!」

 

 群がる妖怪を薙刀のリーチでなます切りにし、闘いは続く。

 妖怪は氷の爪や牙で果敢に襲いかかるが、それが彼のかすり傷になる様子もない。

 数の上では奇妙なことだが、戦力差は圧倒的だった。

 

 ……なんだっけ。あんなゲームあったなぁ。

 雑兵達をバンバンやっつけていく感じのアレ……あんな感じだ。

 

「……うん?」

 

 そんな視点で闘いを眺めていたのだが、どうも様子がおかしい。

 いや、河勝の優勢に陰りが見えたわけではない。彼は至って最強だ。

 ただ……周囲に群がる妖怪たちが、どうも仲間割れをしているように見えるのだ。

 

「ザコドモメ! ワタシコソ、モットモツヨイ!」

「下級が! この獲物を喰らうのは俺様だぞ!」

「どけ! そもそもこの領域はこちらの縄張りだぞ!」

 

 ……ふむ。妖怪たちはコロニーを形成しているかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。

 夏場に集まった彼らは彼らで、醜くも誰が最も強いかを競い合っているようだ。

 

 団結しなければ乗り越えられない暑い夏を押し退けて、その先に同族の調和が待っていた……などということはなかったわけだ。

 魔族の末裔らしい、安定感のある足の引っ張り合いだ。まぁ、その穢れ促進の効率の良さは、ある意味強い個体を作る効率のいい方法ではあるのだが……。

 

「うおー! どけどけー! 一番最強なのはこのあたいだぞー!」

 

 そんな有象無象の妖怪と、天下無双の人とが入り乱れる戦場に、新たに小さな人影が飛び込んできた。

 ダイヤモンドのように輝く眩い冷気を携えたそいつの登場に、妖怪たちの動きが一瞬、固まる。

 河勝も周りの変化を訝しむように、攻撃の手を休めた。

 

「キヤガッタ……!」

「おのれ! 妖精如きが……! この人間を喰らえば、奴を超える力を得られるというのに……!」

「えいやぁああああ!」

「!」

 

 薄水色の濃密な寒波が膨れ上がり、凍てついた湖面に雪崩れてゆく。

 

「ウァァアア!」

「ギィイッ!」

「六十五……!」

 

 寒気の妖怪ですら凍りつくほどの力の波。

 それは、人間の河勝にすら襲いかかった。

 

 あれは、きっと絶対零度にも比肩するほどの、非常に高レベルな寒波だ。

 直撃すれば血液も脳髄も、まとめて結晶化してしまうだろう。

 

 だが――。

 

「――六十六ッ!」

 

 ――河勝はその圧倒的な寒波でさえも、妖怪と一緒に断ち切ってしまった。

 

「ふふん、やるわね!」

 

 ダイヤモンドダストの切れ間から覗いた寒気の源は、幼い少女の顔に不敵な笑みを浮かべていた。

 

 


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