東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 アノマロカリスの仮面が河勝から“妖怪だな”と言われて返品をくらった程度のトラブルはあったが、それを除けば比較的穏やかな日々が過ぎていったように思う。

 

 ちょっと前までは国を二分する戦で多くの血が流れたのだが、その傷も大分癒えてきたらしい。

 人は畑を耕し、獣を狩り、妖怪からダッシュで逃げ……まぁ、それなりに楽しく過ごしているように見える。

 

 だが日本人としての性質なのか。私の腕が悪いのか。

 どうも魔道具の売れ行きは芳しくない。

 ちょっとでも難しいと思ってしまうと、“今のがあるから良いじゃないか”と突っぱねてしまうのだろう。魔界でも同じような人はいたのだが……この大和においては、特にそれが顕著なように感じられた。

 

 このままでマジックアイテムの売れ行きが伸びないと、私の存在が仮面職人だと誤解されてしまうかもしれない。

 最近の作業が専ら仮面作りだけになってきて、若干不安である。

 私としては、四六時中仮面を作っていたいわけではないのだが……。

 

「ほう、そんな削り方があったか……確かに、こちらの方が手元は安定するな」

 

 私のすぐ隣で一緒に仮面を削っている河勝の存在が、作業の中断を許してはくれなかった。

 

 

 

 こんなよくわからない状況まで至った経緯は簡単だ。

 私が幾つか仮面を作ってみせた時、河勝が私の製作技術に感銘を受け、その作り方を少しでも教えて欲しいとせがんできたのである。

 

 断るのは容易かった。しかし、河勝は私にとって唯一の上客であるし、貴重な話し相手だ。

 それに頼み込んでくる河勝の様子には誠実なものもあったので、なぁなぁのうちに請け負ってしまったのである。

 

 そうして、ここ最近は私と河勝が一緒になって並び、コリコリカリカリと仮面を削っている姿が大和で見られるようになった。

 河勝は前よりもちょっと精巧に仕上がった猿の仮面をつけ、私はオオサンショウウオの仮面を付けている。横に並ぶ猿とオオサンショウウオ。……ふむ? なるほど、客が来ないのはこれが原因かもしれない。

 

「なぁ、河勝よ」

「ん、どうした」

「仕事は忙しくないのかい。そっちは国に関わる、大事な仕事があるのだろう」

「ああ……」

 

 河勝の作業の手が止まり、猿の面が少しだけ俯いた。

 

「……なくは、ないはずなのだが」

「うん? どういうこと?」

「いや、太……私の主君が、近頃お一人でいるのを好まれるように……というよりは、近衛の者を遠ざけるようになってな」

「ほうほう」

「直接言われたわけではないのだ。だが、私に割り振られる仕事がどれも、さほど火急でないものであったり……どこか遠くへ遣わすものであったり、でな。言外に、遠ざけられているのだ」

 

 ふむ、適当な理由をつけて距離を置かれているということか。

 

「河勝とその上司さんとは、仲が悪い?」

「いや、そのようなことはない。……私は、あの方に拾われたようなものなのだ。あの方の口添えがなければ、私は……今ここにはいなかっただろう」

 

 河勝の言葉には熱が篭っている。

 どうやら、それだけ主君の事を信頼しているらしい。

 だからこそ、最近距離を置かれていることにやきもきしているのだろう。

 ……けど、私のところで時間を潰すっていうのもどうなんだい?

 

「私が鬱陶しいのか、疑わしいものがあると見たのか……そう思われているのだとすれば、残念ではあるな。だが、もしもあの方が私を信じられなくなったならば……私は、あの方の剣でこの首を落とされても構わない、と思っている」

「えー」

「私如きの存在で、あの方の心を煩わせてはならない。だからこそ、私は……あの方の意を汲み、こうしているのさ」

 

 ……忠誠心が強いというよりは、狂信的という言葉の方が似合っているように思える。

 彼は盲目的なまでにその主君さんとやらを信じ、主君さんのために尽くそうとしている。

 それは、まぁそれで尊く立派なことだとは思うのだけども……。

 

「しかし河勝。そう割り切っているにしては、貴方の顔色はあまり良くないね」

「……面越しでわかるものか」

「なに、仮面を付けていたって角度や体勢によって、いくらでも感情は滲み出るものさ」

「ははは……本当か? だとしたらそれは、興味深いものだな……」

 

 乾いた笑いを浮かべながら、河勝が仮面を削る。

 どうやら今の言葉で、仮面のテーマがはっきりと固まったらしい。ノミを握る手には、力が篭っていた。

 

「……なあ、静木よ。大秦という国を知っているか?」

「ダイシン?」

「うむ。海を越えた大陸の、それさえ越えたもっともっと先にある国のことだ」

 

 名前の響きからして、アジアだろうか。いや、そもそもこの時代ではカタカナ言葉なんて使わない。あまり当てにはならないか。

 大陸といえば中国側のことだろうが、その向こうと言われても……あまりピンとは来ない。ちょっと多すぎる。

 

「信じられないかもしれないがな。いや、静木、お前ならば信じてくれるのかもしれないが。私は以前、その大秦で暮らしていたのだ」

「ほほう」

 

 本人の口から興味深い告白が飛び出してきた。

 

「大秦は……荒唐無稽なようであるが……この大和の都よりもずっと先進的な場所でな。石造の家が立ち並び、道はしっかりと石で舗装され……人は多く、学は高く……それはもう、この世で最も優れた国であると言っても良かったのだが」

 

 石造建築。道路。そして、河勝の……銀髪碧眼の容姿。

 ……なんとなく、イメージは掴めてきた。 

 

「私は生憎とそこでは、あまり良い身分ではなくてね。私自身の少々風変わりな特性も手伝って、各地を転々としていたのだ。……大秦は素晴らしい場所だったが、そこで過ごした時間はほんの少しだった」

 

 大秦での生活は、不満足というものではなかったのだろう。

 河勝の声には、故郷を惜しむような色が乗っていた。

 

「転々……いや、迫害だな。私は迫害され続けてきた者なのだ。罪を犯したわけではない。だが、私を遠ざけようと、迫害しようとする者は多かった。……どれだけ武功を立てようとも、知恵を働かせようとも……最後には、化け物だと罵られるばかりでね。私が長く定住できる国は、無かったのだよ」

 

 自重するような河勝の言葉、そして困り笑いを浮かべる猿の面。

 

 ……私はそれまでの彼の話の中で、素朴な疑問を正直にぶつけることにした。

 

「……河勝」

「なんだ」

「貴方は今、何歳だ?」

「……さてな。あまり、素直に打ち明けて良い思いをした事は、少ないくらいの数字ではあるが」

 

 声は若い。袖から覗く白い腕にも皺は無い。

 しかしそれだけに、河勝が醸し出す老成し、または枯れたような雰囲気が、私にはもの悲しく見えてしまった。

 

「……大和は。そして今の君主はな。私にとっては、最後の寄る辺なのだ。……この東の最果ての島に、次はない。ここから東は、もう無いのだからな」

「日、いづる所の国、か」

 

 はて、このフレーズは一体誰の言葉だったか……。

 

「私はもう、これ以上人から嫌われたくはない。一度私を受け入れてくださったあの方の優しさを、失いたくない。私は化け物ではないのだ。私は人として、あの方の下で働き、あの人に……ただ、笑って欲しい。……私が余生に望むのは、もはや、それだけなのだ」

 

 その時の河勝が、猿の面の下にどのような表情を隠していたのかはわからない。

 だが、私に打ち明けた河勝の手は、かすかに震えているように見えた。

 


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