東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「さて、準備はこれで十分かな」

 

 支度は十分に整えた。私の不在時にも魔界は柔軟に対応できるだろうし、いざとなればすぐに帰還することだって可能である。

 アリスも自分の意志でいつでも外に出られるだろうし、当分の間は外の世界に集中できるだろう。

 

 そう。私はこれから、魔界を離れて地上へと向かうのだ。

 ちょっとした漫遊になるだろう。

 おそらく……ええと500年だから……710綺麗な平城京……? 今は平安か? いや奈良時代? くらいのはずだ。

 現代まで大体1000年くらいの間、旅行し続けることになるだろう。

 

 なにせ、私が学校で学んだことのある世界なのだ。

 そのリアルをこの目で見ることができる。この時をどれだけ待ち望んだことだろうか。

 

 ……まぁ、これまでは若干魔界の文明の興亡とほとんど変わらない原始的なものが多かったので、西暦始まってからもだいぶスルーしてしまったのだが……そろそろ私も動き出す頃合いだろう。

 なに、今回の準備に抜かりはないのだ。これからは暫し、旅行に全力投球していこうかと思う。

 

 ……ふっ、侮ることなかれ。

 今度の旅行はこれまでの失敗から学び、既に長年かけて多くの改善点を洗い出してある。

 人々に怪しまれない姿。受け入れられる設定。そして魔法を教え広めるために好都合な要素……。

 

 そう、私はただ旅行するだけではない。

 世界を旅しながら、同時に魔法を啓蒙するためにこれから暗躍してゆくのである。

 

 人間は己の利益になるものは何だって利用する。

 ただ力を見せつけただけでハイワカリマシタと素直に従い続けるほど、人間は素直ではないし、頑丈でもない。なによりそのような魔法の発展には何の意味もない。

 人間が自らの意志で、自らの手で、魔法に惹かれ、のめり込んでゆく。それこそが私の求めるところの、魔法の発展の形である。

 そういった点で言えば私の作った魔導書は強引なのだが、まぁあれはあれで取っ掛かりとしては悪く無いだろう。魔法の存在を文明に波及させるには、むしろ丁度いいスパイスにはなるやもしれぬ。

 

「……日本、いや、大和か。楽しみだな」

 

 目的地は日本だ。

 おそらくはどこもかしこもまだど田舎なのだろうけど、そろそろ国らしい国も出来て、それなりに人の生活も出来上がっている頃合いだろう。

 きっと平安貴族みたいな姿したみやびでいとおかしなふっくらした顔の目の細い日本人たちが蹴鞠と小倉百人一首を嗜みながら万葉集を読んでいるに違いない。

 

 ……という私の予想はおそらく覆されるだろう。

 これが完璧に偏った先入観であることは否めない。

 それを正し、本当の歴史を見るためにも、これから私は日本を旅するのだ。

 

 そのために、衣装や装備は入念に揃えてある。

 人から怪しまれない最高品質のものが選り取りみどりだ。

 

 

 

「ライオネルよ」

「うん?」

 

 私がゲートの予定地で最後の身支度を整えていると、後ろから魔界の空間を割る音と、どこか冷めた女の声が聞こえてきた。

 

 そこから現れたのは、女天使であった。

 しかし、ただの天使ではない。

 薄桃色のウェーブした長髪と六枚の翼。

 チョコレート色の肌に、下着のように露出の多い黒の鎧。

 それは翼の数こそ多かったが、全体的に黒っぽく、ダークな雰囲気を感じさせる大天使であった。

 

「案外、そっちの方が似合ってるよ、メタトロン」

「ほう。やはりわかるか。まぁ、隠すつもりもないが」

「前に色違いのそれ見てるからね」

「む、そうだったか。これは迂闊だったな」

 

 黒い女天使、メタトロンは翼をはためかせると、色っぽく脚を組んでその場に滞空した。

 

 月の大異変の時のエノク以来である。

 相変わらず出会う度に姿を変えてくれるので、見てて飽きない神族だ。

 

「こうして魔界を訪れれば、すぐにでもサリエルは気付くのだろう?」

「そうだね、まぁここまですぐに来れるわけではないけれど、急げば数分で来れるんじゃないかな」

「なるほど……では、手短に済ませるとするか。今回は、ライオネル。お前に報告すべきことがあって来た」

 

 いっそもう面倒くさいから仲直りとかそういうのやっちゃえばいいのに、って思わないでもないんだけど、まぁサリエルとメタトロンがそれで良いなら私は口を挟むまい。

 それよりも、メタトロンの報告というのがちょっと気になるな。

 

「月の状況を確認してきた」

「ほう? 月か。しかしおかしいな、私はエノクや他の神族には話したけど、メタトロンには言ってないはずだけども」

「……やめてくれ、わかっているだろう。急ぎなのだ」

「ハハハ」

 

 期限は1000年与えてある。まだまだ時間は数百年あるはずだ。

 私としては、まだ無視しても良いと思っていたのだけども。

 

「月の防備は順調だ。隠密能力の強い神族でも突破は非常に厳しいだろう」

「隠蔽力、か。私ならどうだろう」

「私でもギリギリといった所だな。久々にお前の魔導書の後半部分に感謝したよ」

「あ、私じゃ駄目なくらいだな」

「当然だ」

 

 とはいえ、私以外の存在に攻め込まれないのであれば問題もないか。

 逆に私と同じような力を持った神族や魔族がポンポン現れても、それはそれで困るというものだ。

 私としても嬉しいというよりは、むしろ悔しさを覚えてしまう。

 

「だが、例の発案者が……月の要職にあるようだからな。そう簡単には抜け出せないでいるようなのだ」

「ほお、ヤゴコロエイリンが?」

「そうだ。努力はしているようだが、私の目から見てもそちらの方は現状、期限通りにとはいかない様子だったな。百年か、二百年ほどは多めに見ておくのが良いだろう」

「なるほどね」

 

 まぁその程度は誤差にもならない。どうでもいいことだ。

 というか、今から私は旅行しにいくのだ。あまりあの月の連中のことは気にしたくない。

 

「……報告は以上だ」

「わかった。わざわざすまないね、メタトロン」

「なに、構わないとも。私のほんの、心遣いだよ」

 

 メタトロンは妖艶に微笑み、胸元を強調するように腕を寄せた。

 うむ、色っぽい仕草だ。こんな色気だけど、いざとなればムキムキのおっさんにもなれるのだから、神族というのはわからないものである。

 

「ところでライオネル、その格好はなんだ」

「これかい。もちろん、今から始まる旅行のための変装だよ」

「……それがか」

「テーマは旅魔法商人。いや、和風だから旅陰陽商人ということにでもなるのかな」

「……まぁお前の決めたことだ、好きにするといいだろう」

 

 メタトロンはどこか達観した風であったが、変装の達人であるメタトロンから特にダメ出しはされなかったのだ。

 これはなかなか完成度高いのではなかろうか。

 

「フッフッフッ、楽しい旅が始まるぞ」

 

 私は木製の杖で岸壁を叩き、力を流し込んで魔法を発動させる。

 

 すると切り立つ巨大な岸壁に小さな穴が生まれ、やがてそれはぐるりとねじれると、ひとつの大きな洞窟となって深くまで窪んでいった。

 

「“恒久的な魔界との扉”」

 

 そして、私はそこに地上への扉を仕込む。

 何百年かかけて事前に開発しておいた、原初の力によって生み出したゲートと立ち入り制限魔法の合体技である。

 

 これが、地上と魔界を繋ぐ恒久的なゲートの一つとなるだろう。

 場所はエンデヴィナに近い、魔界でも人気の薄い場所だ。試験運用なので、ひとまずはここで作ってしまうことにしたのである。

 

「これが……」

「ああ、ゲートだ。常設しておくから、メタトロンの気が向いたら自由に行き来するといいよ。サリエルと積もる話もあるだろう?」

「……いや、私はいいよ。用がある時に、勝手に来るさ」

「そうか。まぁ、それならそれでいいけれども」

 

 ゲートのサイズは、直径6メートルほどの円形。

 ちょっと大きめの魔族や神族であっても通ることのできる、都合のいいサイズである。

 これ以上のものを求めるならば、その人は勝手に小さくなる魔法なり何なりを覚えてからにしてもらいたい。私はそこまで甘くはない。

 

 ともかく、地上と魔界を繋ぐ出入り口は完成した。

 これでようやく、私の旅は始まりを告げるのだ。

 

「地上に何か用でもあるのか、ライオネルよ」

「もちろんだとも。地上は……めまぐるしいぞ、メタトロン」

 

 一歩、二歩と門に歩み寄る。

 

 白く濁った眩しいゲートの向こう側は、既に歴史の教科書の間に存在した語られぬ日本である。

 そこでは一体どのような人が、どのような生活を送っているのだろうか。

 

「楽しみだ」

 

 これからの旅路に、期待ばかりが膨らんでゆく。

 私は意気揚々と門に触れ、そして顕界へと浮上するのであった。

 

 


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