ライオネルはどこか肩を落としながら、以前私と別れた時と同じように、一瞬で……その場から消え去った。
それは高度な魔法のようでもあり、別の……それこそ神綺様が扱う、我々では届かない次元の力のようでもあった。
部屋に残されたのは、私とアリスと神綺様の三人。
しかし、話は既に纏まりつつある。魔法を教えるということだったけれど、アリスはなかなかいい子のようなので、心配はいらないだろう。
あとは詳しい話を詰めてゆくだけだった。
「あ、神綺様! ルイズさん! 私、隣の部屋から荷物と人形達を取ってきます!」
「そうね。さすがにこの館には住めないから、クステイアに引越しする準備を済ませちゃいましょう」
「はい! すぐまとめます!」
早速、アリスは部屋を飛び出していった。
少しの間ここで暮らしていたということだけど、荷物はそれなりの量があるのかもしれない。
クステイアに引っ越すとなると……私の館になるのかしら?
まぁ、最初は魔界での暮らしに慣れるために、クステイアに腰を据えるのもいいかもしれないわね。あそこなら、私の故郷でもあるからある程度の融通は利くし……。
「ルイズは、準備はいいのかしら?」
「あ、はい。特にはありませんね」
神綺様から問われるものの、私の方ではあまり用意すべきものは思い当たらない。
どんな長旅だろうと、大概は小さなトランクケース一つだけでどうにかしてきたのだ。
……ただ、子供を連れてパンデモニウムからクステイアに帰るのは、少し手間かしら?
「クステイアまでは気にしなくていいわ。行きと同じで、私がすぐに送ってあげるから」
「あ、ありがとうございます」
また心を読まれた。
恐ろしい能力である。けど、慣れれば話が早くて結構助かるかもしれない。
心に疚しいものを持っている人にとっては辛いだろうけれど。
……そうだ。
今はアリスも居ない。神綺様に聞くなら、今しかないだろうか。
「神綺様」
「ん、なあに?」
自分の声が、ひどく冷めているように感じた。
愛想はわりと良い方だと自覚しているのだけれど。
「……神綺様は、魔界の創造神……なのですよね」
「ええ、そう呼ばれてるわね。実際、色々と創ったもの。うん、創造神よ」
神綺様はにっこりと微笑んで、そう答えた。
……まるで、日常会話をこなすように。
「……神綺様は、何故魔界をお創りになられたのですか?」
「ん? どういう意味?」
「それは……そのままでしょうか。何か理由が無ければ、世界は生まれないかと思ったのです」
「そうかしら?」
神綺様の答えは、不透明だ。
何故魔界を創ったのか。その問いに対して、明確な答えを持っていないかのようである。
「ああ……そう。ルイズは、魔界が出来た理由を聞きたいのね?」
「はい」
「そうねぇ……魔界ができた理由。うーん……」
刃のような鋭利な六枚翼が、呼吸のようにゆっくりと、ほんの僅かに明滅する。
「……クステイアはどうして出来たと思う?」
「え」
答えが返ってくるかと思ったら、逆に訊ねられてしまった。
しかも、予想外な質問だ。クステイアがどうしてできたのか……? ちょっと、すぐには出てこない……。
歴史書を読んだことがあるけれど、さすがにそこまで古い記述は……。
「じゃあ、質問を変えましょうか。ルイズ、魔人はどうして生まれたと思う?」
「え、それは……魔人。ですか。魔人は神綺様が生み出した種族ですから……んー……」
次の質問は、魔人が何故生まれたのか。
……それは、クステイアの成り立ちさえも遡るほどの太古のことである。
私が生まれる前の、さらにずっとずっと前のことだ。
その答えを持ち合わせている魔人が、どれほどいるというのだろうか。
それこそ、生み出した神綺様にしかわからないことだろう。
「なら、最後の質問」
「んん……はい……」
「私は、何故生まれたのかしら?」
「……え?」
私の小さな頭で練り上げていた考えが、一気に吹き飛んでしまった。
「クステイア。魔人。私。答えはどれも、みんな同じ」
「……神綺様は、創造神だとおっしゃいました」
「ええ、そうよ。魔人や魔族や神族は、私を魔界の創造神と呼んでいるわ」
答えが同じ?
いえ……そうではなく。
……神綺様が生まれた理由? それは一体、どういうこと?
「けれど、魔界そのものは違うわ。魔界それ自体が生まれたのは、決して同じ理由ではないの。おそらくはもっと、無機質で……あるいはつまらない理由なのよ」
「……」
「いいえ、でも……この魔界でさえも、ひょっとしたら同じなのかもしれないわね? それを、私でさえ知覚できていないというだけで」
「……ごめんなさい、神綺様。私には少々、難しいお話だったかもしれません」
「ふふ、ごめんなさい。難しく話したのは、わざとだったのよ」
これ以上考えると、身体に悪そうだ。
気分は悪くない。けれど、掴みどころがないほどに壮大で、考えようがないのである。
それは神綺様もわかっていて喋っていたらしい。……結構、フランクな人のようだ。
「でも忘れないでね、ルイズ。私も、魔人も、クステイアも、そしてあなた自身も。みんな同じなの」
「はあ……」
「魔界は……あなたにとって、どうかしら。その大きな器だけを見てしまうと、ひょっとしたらあなたは無機質なものを感じて、しょげてしまうかもしれないけれど……それでも、ここに息づいた私たちは、決して嘘ではないし、理由のあるものなのよ」
神綺様は優しげな目で私を見ながら、そう言った。
その眼差しは、私が久しく感じていなかった……母のような、温かなものだった。
……私たちは、嘘ではない。
その言葉を聞くと、私はどこか強がって首を傾げたくもあり、感情のまま涙ながらに頷きたくもあった。
けれど実際のところ、私はただ神綺様の言葉を聞いて、ただ無反応であるかのように瞑目するばかり。
……私は、今の言葉に納得していないのだろうか?
「いつかわかる時がくるわ、ルイズ。その答えは知っていながらにして認められず、いつか自分から認められるようになるものだから」
……もう、また遠回しな言い方をする。
「神綺様。それは神綺様が体験したが故のお考えなのでしょうか?」
「ふふ。ううん、違う。これはライオネルが言ってた言葉」
「! あの、神綺様! ライオネル・ブラックモアとは、一体……」
「ふふふ。ライオネルのことは、偉大なる魔法使いって呼んであげてね。きっとそれが、ライオネルにとって一番嬉しいことだろうから」
私はもっと聞きたいことがあったけれど、神綺様は楽しい話を終えたとばかりに、朗らかな笑みを浮かべていた。
「準備できました!」
それと同時に、勢い良く扉が開いてアリスがやってきた。
長旅を思わせるほどの巨大な背嚢を背負い、毛糸で連なった沢山の人形がくくりつけられている。その異様な大荷物に、私は暫く言葉を失ってしまった。
「あら、支度は済んだの。早かったわね?」
「急ぎましたから!」
神綺様は羽を白く輝かせ、アリスの頭を撫でている。
……もう、込み入った話ができる雰囲気でもなさそうだ。
「ルイズ、また今度、何か機会があった時にお話しましょうね?」
「! ええ、喜んで。是非ともお願いします」
「ふふ。その時は、アリスの成長も見られるのかしら」
「あ、神綺様! 私は成長しないので大丈夫です!」
「あら? いけないわよアリス。成長はしなくちゃね」
「ぁぇ、あの、そういう意味じゃなくて……!」
……まぁ、良いか。
私達の時間は長い。
それこそ、考える時間はいくらでもある。
それまでに考えて、考えて……再び会えた時のための言葉や私の考えを、じっくりと温めることにしましょうか。
「あの、ルイズさん」
「ん?」
「……ご迷惑おかけします。でも私、邪魔にならないように頑張ります。よろしくお願いします」
「ええ、よろしくね、アリス。せっかくなのだし、楽しくやっていきましょう?」
「……はい!」