東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 人は私を、“冒険家”ルイズと呼ぶ。

 

 ……特に、私は冒険を志しているわけでもないんだけどね。

 別に前人未到の土地を好んで訪れているわけでもない。むしろ、誰かが行った土地の評判を聞き、それを確かめに行く……二番手の方が圧倒的に多いだろう。

 それでも人が私を“冒険家”と揶揄するのは、長年書き続けている“魔界旅行記”が原因なのだろうか。

 だとすると、旅の先達にはちょっとだけ申し訳ない気もする。

 

 ……今や、こんな言い訳を聞き入れてくれる人も少ないだろう……。

 私は本当に、ただ旅を続けているだけなのに……。

 

 

 

 とはいえ、そんな私もまるきり“冒険”をしないというわけでもない。

 たまには前人未到だと言われる地を目指し、万全の装備を整えて挑む事もある。

 

 前回試みた“魔界の果て”の探訪は、私にとっても初めてとなる、命を賭けた大冒険だったのだ。

 

 

 

 そもそも、長く生きていれば頭の中にそれなり高精度な地図が出来上がってくる。

 魔界都市の全てを見て回ったと豪語するつもりはないが、有名な各都市は何度も訪れたし、名所から秘境までくまなく足を運んだことは間違いない。

 

 もはや地名で言えば、行ったことのない場所は存在しない。

 旅を続けているうちに新たに出来た村を見て回ることにも、虚しさを覚えてしまった。

 

 だから私はそのうちに、外界へと続く扉を探すことに決めたのだ。

 

 外界。悪魔や魔族がやってきたという、外の世界。

 そこには球状の大地が広がっており、あらゆる生き物がそこで生活しているのだという。

 見たこともない山や海がそこには存在し、魔界とは違った異なる風景が広がっている。

 旅で出会った悪魔達から聞く地球の話はどれも新鮮で、未知なる輝きに溢れているようであった。

 

 しかし、魔界から外界へ行く手段というものは、悲しいほどに少ない。

 外界へ続くゲートが存在するという話を耳にしたことはあるが、どうもそれは誇張された噂らしいし……他にある方法といえば、魔都パンデモニウムで手続きを行い、魔人兼悪魔に転向して……悪魔として、外界にお呼ばれするくらいのものだろう。

 けれど、さすがに悪魔になる決心は私には無い。他者に使われ、法に縛られ生きる……それはそれで心地の良いものかもしれないけれど、私はあくまで自由きままにやっていきたいのだ。悪魔としての生き方は、なんとなく私の流儀には反しているように感じた。

 

 となると、私には外界を目指す方法はない。

 魔神……神綺様に直接お願いすれば、ひょっとしたら願いを叶えてくれるのかもしれないけれど……きまぐれな神綺様とは、なかなか直接出会う機会はなかった。

 一体、神綺様は普段何をしているのだか……。目撃情報は多いし、時々看板でお触れを出しているのを見たことはあるから、確かに色々な事はしているのだろうけど……。

 

 ……“魔界の果て”を目指す冒険は、外界に出られない私の、代償行為だったのだと思う。

 

 魔界の果てには何があるのか。

 果てしない石の平原の先には、どのような風景が広がっているのか。

 

 幸い、報告例がひとつもないわけではない。この冒険を試みた人は昔から存在し、彼らの何人かは無事に生還を果たしている。

 ただ、彼らの言い残した言葉が不可解であるだけで、無いわけではなかったのだ。

 

 だから私は、ほんの少しの冒険のつもりで。

 いつもの冒険の、ちょっと先。あくまで長い長い延長線上の目標として。

 

 魔界の果てを目指す冒険を、始めたのだった。

 

 

 

 必要なものは、とにかく自分の生存時間だった。

 果ては遠い。道のりは平坦ではあっても、ただただ呆れるくらいに長いのだという。

 

 だからこの旅に参加できるのは私一人。他にも募れば何人かは一緒に来れるだろうけれど、そりの合わない人と長い時間を共にしたくはなかったし、何より飲まず食わずの生活を延々と続けられる知り合いが、私にはあまりいなかった。

 

 だから私は、一人で歩き始めたのだ。

 最後の拠点、魔界都市エソテリアから村々を渡り……そして、どこまでも続いてゆく石の平原を。

 

 

 

 何年かかったかはわからない。

 日が昇り、日が沈む。その繰り返しを、じっと肌で感じながら過ごしてきた。

 

 ただただ遠くに続くばかりの石材の平原を進み続け……時に宙を飛び、時に走り……時に、何日か掛けてつくったゴーレムに、気長なスピードで自分を運ばせたり……。

 

 やることはない。ただ進むだけ。

 山もなければ海もない。雨も降らなければ風も吹かないただの平地を、ひたすら黙々と進み続けた。

 

 覚悟はしていたことだ。とてもつまらない旅になるであろうと。

 だからその時は、苦がないと言えば嘘になるけれど、それなりに平静な心持ちで歩いていたのである。

 

 むしろ、何も考えずとも良いこの淡白な道中は、多少気楽であったかもしれない。

 外界のことを気にせず、他者との会話に気を遣らず、歩く行為それだけに没頭する。

 ひとつの目的に向かって着実に歩を進めてゆくだけのこの旅は、とても気楽だったのだ。

 

 

 

 そう。……果てに……その、巨大な壁に、出会うまでは。

 

 

 

 最初は、何かの見間違いかと思った。

 目の疲れだろうと。それか、また新たな建築物を見つけたのだろうと。

 そう思いたかったのだ。遠目から微かに見えた巨大な圧迫感は、あまりにも現実味がなさすぎたから。

 

 ……それは、色のついた空のようだった。

 

 まるで……床。今まで自分が歩いてきた平坦な地面と同じような、石材のような風合いの……空だった。

 けど、それはないだろうと。そんなことはありえないだろうと自分に言い聞かせながら、私はそれでも歩き続けたのだ。

 

 引き返せば良かったのに。

 強引にでも“バカバカしい”と笑ってやって、魔界都市へと戻れば良かったのに。

 

 私は目の前に広がるものがどうしても認められなくて、結局、それと触れ合えるほどの距離にまで近づいてしまい……ついに、触れてしまったのだ。

 

「ああ……」

 

 魔界の果てに。

 

 魔界の地面から垂直に切り立つ、同じ材質の……壁面に。

 

「これが……魔界の果てだというの?」

 

 床と壁に、継ぎ目はない。

 有り得なかった。それはつまり、この魔界の地面と壁は、まるきり同じ材質であるということの証明だったから。

 

「魔界の果ては、終わりなの?」

 

 壁を砕いても、現れるのは無機質な石ばかり。

 それは何ら床と違ったものではなく、魔法で軽く壊してみたところで、見慣れた材質の破片が転がるだけ。

 

 この壁を砕き続けて、新たな果てが見つかるなどとは……壁伝いに歩いていれば、出口が見つかるとは……もはや私には、思えなかった。

 

「……閉ざされた、石室」

 

 絶望ではない。それは、失望だった。

 

 全身から力を失った私は、魔界の果てに背中を押し付けて、ずるずるとその場に座り込んだ。

 魔界の空はいつものように赤く輝いていたが、あの輝きだって、どこまで本物だかわかったものではない。

 ……いや、あの空もきっと、登ってゆけば……おそらくは……同じように……。

 

「……酷いわ」

 

 私は膝を抱え、顔を埋め、子供のように一晩中、啜り泣き続けた。

 

 あの時の私の気持ちは……きっと誰もわかってくれないし、言ったところで理解してはくれないだろう。

 いや、あるいは私と同じ、魔界の果てを見た先達であれば、共に泣いてくれるのかもしれないが。

 

 彼らは多分、もうこの魔界にはいないのだ。

 みんなみんな、この魔界の果てを見て、旅の終わりに気付かされて……そして、長い眠りについてしまったのであろう。

 

 ああ、なるほど。しかしこの気持を抱いたということは、私にも多少は冒険者の心が宿っているのだろう。

 閉ざされた箱庭を探索することの、言い表しようのない虚しさに、こうして涙を流せるのだから。

 

「……ぐすっ」

 

 けれど私は。

 失望し、涙を流しても、それでも私は。

 

 次の朝には立ち上がり、魔界都市へ戻るべく再び歩き始めることができた。

 

 それは私が、先達らのような生粋の冒険者ではなく……旅行者だったからに他ならない。

 旅は、故郷に戻るまでが旅なのだ。冒険だって似たようなものだと言う人々もいるかもしれないが、私の中では全く違う。

 

 冒険は未知と幻想を求める勇敢な挑戦であるが、旅は訪れ、そして帰ってくることだ。

 

 たとえ訪れた先に未知や発見がなかったとしても、旅の終わりは必ずある。

 何も得られなかったとしても、虚しい思いをしたとしても、旅には必ず帰路がなければならない。

 

 だから私は、自然な心持ちで自分に言い聞かせることができたのだと思う。

 

 “さて、故郷に帰ろう”……と。

 

 

 

 私は旅を終えて、故郷のクステイアに戻ってきた。

 大きな海と、沿岸の街。魔界都市クステイア。私は魔界の果てから、途方も無い時間をかけて自らの故郷へと帰還したのである。

 

 人々は私の帰りを温かく歓迎してくれて、その時は……少しだけ、荒んだ心が救われたような気がした。

 地元の料理と、荒海で取れた魚の味。どれも懐かしくて、いつも以上に美味しく感じられたように思う。

 馴染みの顔も何人かいたので、旅の話でも盛り上がった。人々は私の旅の話を聞いて、楽しそうに笑ってくれた。

 

 それでも、私は魔界の果てについては一言も話すことはなかった。

 絶対に、これだけは……語るわけにはいかなかったのである。

 

 誰かに話せばきっと、その人の中で……何か大切なものが失われてしまうような、そんな気がしたから。

 そう、それはまさに、今の私と同じように。

 

 

 

 何日かの歓待を受けた後、私は自分の家に帰ってきた。

 家族は遠い昔に皆いなくなってしまったので、今やここは私だけの家である。

 既に慣れきっていることではあったし、その時は誰もいないことが、とても気楽に感じられた。

 

 私はいつもであれば、そのまま旅の記録を形にするために本を書くのであるが……その日は何もやる気になれず、無言のままにベッドに潜り込んだ。

 そして、しばらく天井を見上げ、何も考えることなく数時間ほどぼーっとして……死んだように、眠りについたのである。

 

 まどろみの中で、私は自分が死ぬんだなと思った。

 

 このままではきっと、ろくなことにはならないだろうとは、ちゃんと感じていた。

 

 長い眠りは何度も経験しているが、今回の睡眠はおそらく、何百年も続き、そうして……ゆるやかに死んでいくだろうと。そんな、朧気な確信も抱いていた。

 

 それでも、まぁ別に良いかと思えるくらいには……私は、冒険者だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

「ルイズさん……ルイズさん?」

「……ん?」

 

 壁を見てぼーっとしてたら、サラが心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

 

「どうかしましたか? 何か……やっぱり、具合でも?」

「ああ、いやいや。全然平気よ。ちょっとだけ、ぼんやりしてたみたい」

 

 サラ。彼女は私の旅行記を読んでくれている、いわゆるファンなのだという。

 

 もしも彼女が、大きく何度もドアを叩いてくれなければ……ひょっとしたら、私はあのままずっと、このベッドの上で眠り続けていたのかもしれない。

 この子には、感謝しなければならないわね。

 

「ところで、ねえ、サラ。私、しばらく原稿のことでじっと考えていることが多かったから……何か日付がわかるもの、もってないかしら」

「日付、ですか?」

「ええ。何があったのか、ちょっと知りたくてね。ごめんなさいね?」

「い、いえいえ! あと、ええっと、確かポケットに……あった! はい、ルイズさん。今月の新聞記事です」

「あら、持ち歩いているの? ありがとう、見せてもらうわね」

「どうぞどうぞ」

 

 サラが取り出したのは、月に一度出版される一枚の新聞だ。

 魔界都市であった出来事や記録などが書かれている、ここクステイアが昔から発行している地方紙である。

 

 年号は……ああ、やっぱりもう二十年近く経っている。身体が怠いと思ったら、このせいだったのね。

 

「読むの、好きなんです。本でも、新聞でも。だからずっと、持ち歩いてて……」

「良いことよ。これからも続けていくと、絶対にサラのためになると思うわ」

「ほんとですか?」

「ええ、もちろん」

「……えへへ」

 

 サラは照れたように笑い、頭を掻く。

 まだまだ幼さの残る、可愛い子供だ。

 

 クステイアもどんどん変わって、今ではとても賑やかな都会になってしまったけれど……彼女のような純朴な人がいてくれるのは、やはりどこか嬉しいものだ。

 その心をどうか、長く忘れないでいてほしい。

 

「……あら?」

「? ルイズさん、どうかしましたか?」

 

 新聞の中に、競技場建設の記事にまぎれて変わった広告が載せられていた。

 

 クステイアの新聞の求人欄はとても小さく、そしてそのどれもが代わり映えのしない建築や公益関係のものばかりでつまらないけれど……この今月の記事に載っている求人は、いつもの物とは随分と違っているように見える。

 

 求人欄は、手描きのような書体で、たったひとつの簡単な求人広告に占有されていた。

 

「……この文字って、もしかして」

 

 その文字には、見覚えがある。

 朧気なものではない。確かな見覚えと、そして確信があった。

 

「……間違いない。神綺様だわ」

「え?」

「……ふふ。サラ、来てくれて本当にありがとう」

「え? え」

 

 私はベッドから立ち上がり、親愛の念を込めて、サラの頬に軽くキスをした。

 

「それと、ごめんなさい。ちょっと用事が出来てしまったから、すぐに出かけてくるわね」

「ふ、ふぁ、ふぁい」

「本当に急ぎなの、ごめんなさい。……大丈夫?」

「ふぁ、ふぁあ……」

 

 ……大丈夫じゃなさそうね。顔色がなんだか、大変なことになっているわ。

 

「……具合いが悪かったら、そこのベッドに入ってていいから」

「べ、べっど!」

「……お大事に?」

「はふー……」

 

 ……サラがよくわからないことになっていたけれど、まごついている暇はないわ。

 

 新聞の求人欄に、神綺様からの求人が載っていた。

 これは今月分の新聞。だとすると、まだ求人が出てから一ヶ月は経っていないということである。

 

 それはつまり……このクステイアに、魔神が駐留している可能性が高い!

 

「魔神が出す求人にも興味はあるけれど、直接会えるなら、ひょっとすると……!」

 

 私はいつになく軽やかな足取りで、クステイアの中心部目指して走っていった。

 

 


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