東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 私の名前はサラという。

 どこにでもいる、平凡な魔人の一人だ。

 

 私が住む魔界都市クステイアの傍には大きな海があり、よくそれを眺めて一日を過ごしている。特に仕事には就かず、魔法と歴史ばかりを勉強している……いわゆる、ダメ魔人というやつだ。

 

 朝になると、沿岸部の船着場から大きな魔法帆船が出てきて、魚群を目指して海の果てへと消えてゆく。

 私はたまに、その船の影をぼーっと見ることがあるけれど……船はお昼もしない頃には遠い水面の煌めきの中に消えて、見えなくなってしまう。

 昔はその光景に、“海は無限なんだなぁ”とよく溜息をついていた。

 この海は魔界のどこまでも遠くに続いていて、船は果てしない海の上から魚を見つけて帰ってくるのだと、そんな風に漠然と捉えていたのだ。

 

 もちろん、そんな思い込みは大人の話を聞いたり本を読んだりすることで、すぐに正された。クステイアの海は確かに大きいけれど無限ではないし、船が消えたように見えたのは、単に私の目が悪いだけなのだと。

 

 けれど、昔の人々はこの海がどこまでも遠くに……それこそ、陸地よりもずっと大きく広がったものであると信じていたらしい。

 

 そんな人々の思い込みを……いいえ、常識を崩したのは、魔界を歩いた旅人達だ。

 途方も無く広大な魔界を旅し、世界の広さを皆に教え、新たな常識を打ち立てた冒険者……。

 

「……旅、いいなぁ」

 

 今、ここクステイアには、そんな偉大な冒険者が駐留している。

 その人の名を、ルイズといった。

 

 魔界人なら誰もが知っている“魔界旅行記”。それを執筆した、ものすごく有名な旅人さんである。

 

 

 

 ルイズさんが彼女の故郷、クステイアへと帰ってきたのは、二十年ほど前のことだった。

 

 出版され、増刷された“魔界旅行記”の出発地、魔界都市クステイア。ここに住んでいる魔界人で、ルイズさんの名を知らない者はほとんどいないのではないだろうか。

 彼女はそれほどの有名人だったので、ルイズさんが戻ってきた時には都市中ちょっとしたお祭り騒ぎになったものである。

 

 ルイズさんは多くの魔法を習得しており、老化を極めて高度に停止させる術も扱える。

 なので、見た目は綺麗なお姉さんだけれど、その内面は実はとってもおばあさんなのだ。クステイア中を探しても、ルイズさんより年上の魔人なんてそうそう見つかるものではないだろう。

 

 実際、私も生でルイズさんを見るのはこの時が初めてだったりする。

 名前だけは知っているが、姿は旅行記に載っている肖像画や写真でしか見たことがない。

 

 クステイア特有の白い海兵服に、清楚な長いスカート。

 金髪は飾り気なくおさげにされているけれど、目を細めた微笑みはどこか大人っぽい。

 実際に見たルイズさんは、遠目からだと“写真と一緒だ”と思えるくらいだったけれど、近くで見ると写真なんかよりもずっとずっと綺麗で、素敵だった。

 あの時、人混みを強引に突き進んで本にサインをねだっておいて、本当に正解だったと思う。これはもう、私の一生の宝物だ。

 

 しかし、ルイズさんは一度クステイアへ戻ってくると、数年だけ旅行記を書くためだけに作業すると、またすぐに別の場所を目指して旅を目指してしまうのだという。

 ルイズさんがやってきて、実際に会えて。それはすごく嬉しかったけれど、またすぐにルイズさんが居なくなってしまうのは、ちょっと残念だった。

 

 けれど、良いのだ。私もいつかは魔法を沢山覚えて、ルイズさんと同じように冒険家になってやるのだから。

 同じ冒険家として旅を続けていれば、きっとどこかで偶然にルイズさんと会うこともあるだろう。

 

 憧れの人物がすぐに去ってゆくことは惜しかったけれど、私はさほど涙ぐむわけでもなく、特に感情に起伏を持たないまま、数年をだらけて過ごしたのだった。

 

 ……が。

 

 ルイズさんは五年たっても、十年たっても。

 二十年たった今も、ここクステイアから旅立っていかない。

 そればかりか、ルイズさんは魔界旅行記の執筆さえもしていないようだった。

 

 いつもなら、ルイズさんはこの都市にいるのが惜しいとばかりにちゃっちゃと作業を済ませて出て行くはずらしい。

 クステイアの人々は、ルイズさんに何があったのかと口々に噂した。噂は回るのが早いし、裏を取ろうと無駄にはりきる人も多い。魔界人は基本的に、暇なのである。

 

 しかし暇人たちの甲斐あって、ルイズさんに関する情報がいくつか入ってきた。

 なんでも、ある無職の魔人が調べたところによると、ルイズさんは今回行ってきた長旅では、世界の果てを目指していたのだという。

 世界の果てとはつまり、文字通り魔界の終着点ということで、昔の人々が考えていたような海の向こうの端などではない。魔界の果てを探ろうという旅人は過去にも何人かいるので、その試み自体は特別珍しいものでもなかった。

 それに過去に魔界の果てに行っても、誰もが命を失って帰ってくるというわけでもなく、ほとんど全ての挑戦者がしっかり命を持ったまま戻ってくるという、割りと拍子抜けする成功記録まで残っていた。

 

 けど、世界の果てに何があるのか。

 それを実際に書き記した冒険者は、全く居ないのだそうだ。

 

 何故なら、世界の果てから故郷へと帰ってきた旅人達は、皆ことごとく、そのまま黙って死んでゆくのだから。

 

 

 

 思えば、ルイズさんのほほ笑みはどこか物憂げで、寂しそうだった。

 写真よりもずっと素敵だと私が感じたのは、もしかして、その違いだったのではないだろうか。

 

「……!」

 

 私の手元には、一人で奔走して集め続けたルイズさんの情報メモがある。

 そこから推論を並べ立ててゆくと……ルイズさんがこれから行きつく先は……。

 

「危ないかも……!?」

 

 こうしてはいられない。

 ルイズさんがクステイアでひっそりと死んでゆくなんて、そんなのは絶対に嫌だ!

 私はまだ、旅にすら出ていないのに!

 

「る、ルイズさん!」

 

 私は海岸から勢い良く立ち上がり、都市に向かって走りだした。

 

 目的地は、ルイズさんの暮らしている小さなお屋敷。

 

 もしかしたら、ルイズさんはもう屋敷の中で……!

 

 

 

「ルイズさん! ルイズさん、いますか! ルイズさん!」

 

 ルイズさんのお屋敷の前までやってきた私は、ドアノッカーを強く何度も叩いた。

 魔法が上手い人のお屋敷には強力な保護の魔法が掛けられているので、無理やり入ることは不可能だ。だから私は、こうして大きな音と声で呼びかけるしか手段がない。

 

「ルイズさん! お願いです、ルイズ……」

「はい、なあに?」

「えっ」

 

 私が必死の思いで呼びかけていると、あっけないくらい簡単に扉は開いた。

 その向こうに立っていたのは、私のことをきょとんとした顔で眺めているルイズさんだ。

 

「あ……」

 

 ちょっと……いや、かなり、はずかしい……。

 自分の顔が、みるみる真っ赤になっていくのがわかる……。

 

 ……ていうか、落ち着いて考えてみれば私、一体何をしてるんだろう……。

 ルイズさんが危険だなんて、私の妄想でしかないのに……。

 

「……ふふ、お客さんなんて久しぶり。とりあえず、中でお茶でも飲む?」

「は、はい! 是非よろこんで! あ、なんかごめんなさい……」

「ふふ、良いの。あがって?」

 

 お家に招かれた嬉しさのあまり、何も考えずに誘いに乗ってしまった。

 

 ……自分で言うのもなんだけど、こんな私を家の中に招くルイズさんって、度胸があるっていうか……やっぱり凄いなぁ……よくわからないけど……。

 

 

 

 ルイズさんのお家の中は、ひっそりとしていた。

 

 特別高そうな家具や調度品が置かれているわけでもない。

 造花を活けてあるだけの慎ましい花瓶や、蝋燭のない燭台など、生活臭のしないものばかりが目に入る。ついでに言うと、お屋敷の中はどこか埃臭かった。

 

 本は有名だし、何冊も出版はされている。お金は沢山持っているはずなのに、どうしてこうも静かな家なのだろうか……。

 と、そこまで考えて、もしやルイズさんは本当に旅のためだけにお金を使っているのでは……と思ったけれど、さすがにそれは失礼かなと思った。

 

「どうぞ、お好きに掛けて。……ふふ、旅行先で歓迎されることはあるけれど、誰かにお茶を出すなんて、なんだか新鮮だわ」

「あ、ありがとうございます……」

 

 ルイズさんに招待された部屋は、寝室だった。

 というより、全ての家としての機能を全てここに集約していると言うべきなのだろうか。

 

 ベッドの脇にテーブルと、それ用の椅子が置かれている。

 寝て起きて本を書いて。そんな作業がすぐにできるような、忙しなさを思わせるスペースだ。

 テーブルの上には何冊かの本と、新聞や紙なども置かれている。

 書きかけの白紙は、ひょっとすると今回の旅について記した原稿なのかもしれない……。

 

 ソファなどはなかったので、私はルイズさんが執筆のために使っているであろう椅子に腰を降ろした。

 木製の椅子は固く、お世辞にも座り心地が良いとは言えない。

 

 ……ひょっとすると、本当に旅以外にお金をかけていないのかも。

 

「どうぞ、飲み慣れているとは思うけれど、はい」

「あ、ありがとうございます……」

 

 予想よりもずっと早く用意された茶は、鈍色の薄い金属のコップに注がれていた。

 あまりの飾り気のなさに我が目を疑ったが、ルイズさんが両手に同じコップを持っていたために、彼女にとってはそれが普通なのだと悟る。

 

 ルイズさんがテーブルの向かい側にあるベッドに腰を下ろし、コップの上にくゆる湯気を嗅いでいる。

 私はその姿に少しだけ見惚れたけれど、すぐに口をつけないのはどうかと思い直し、コップを手に取って一口飲んだ。

 

「お、おいしかったです」

「ありがとう」

 

 味は、普通だった。

 

「あなた、サインが欲しいって言ってくれた子よね?」

「はっ、はいっ! 私、サラっていいます!」

 

 ルイズさんが覚えていてくれた。その驚きのあまり、聞かれてもいないのに自己紹介してしまった。

 

「そう、サラちゃんっていうの。私はルイズ、って知ってるか。ふふ、あの時もびっくりしたけど、家までくるなんてね」

「あ……ご迷惑、でしたよね……」

「ううん、そんなことないわ。むしろ気分転換したかったところだったし、嬉しかった。本当にありがとうね、サラちゃん」

 

 私の来訪を、喜んでくれた? 名前も呼んでくれて?

 なんだか、ご褒美みたいな言葉に、思わず頬が緩んでしまう。

 

 そしてふと、机の上の紙に目がいった。

 書きかけのものを見るのはどうかとも思ったけれど、私の視線がとらえたものは……どうやら、ルイズさんの今回の旅の記録らしい。

 

「……ルイズさんは、今回……世界の果てに、行かれたんですよね」

「ええ、そうよ」

「……魔界の端、いけましたか……?」

「……」

 

 ルイズさんは口を噤み、ただ笑みを浮かべている。

 

 けれどその姿は、私の目にはとても寂しげな……危ういものに見えてしまった。

 

「私ルイズさんが気になって……あ、ええっと。魔界の果てから帰ってきた人は、皆故郷で死んじゃうって、何かで読んだから……だから私、ルイズさんのことが心配で……」

「そう……ね。私もよ」

「え!?」

 

 ルイズさんの言葉に、声がひっくり返る。

 

「私も、魔界の果てから帰ってきた人達のことが気になって、それを確かめたくて旅に出たのよ」

「……そうなんですか」

「結果は……そうね。魔界の果て。……うん、きっと、あれが果てだったのだと思う」

「……見たんですね」

「ええ。見たわ。何日かそこで過ごしたりもした」

 

 ルイズさんは薄目を開き、どこか遠くを見るように、殺風景な部屋の壁をじっと眺めている。

 

「世界の果てから故郷に帰ってきた人が、そのまま亡くなってしまう理由が……うん。少しだけ、わかるかもしれないわね」

 

 


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