東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 未来からやってきた少女、アリス・マーガトロイド。

 彼女は複数の重なった要因によって、二千年近い時を遡って魔界へ落ちてしまった。

 

 不安定化した夢幻世界。アリスの幻視体質。未来に存在した、おそらくは古来より存在する地中内の魔力流。そして魔導書。

 ある意味この結果は彼女にとって非常に幸運であると言えるのだが、本人はまだ11歳の少女だ。私が“良かったね”などと言っても、何の励ましにもならないだろう。

 

 彼女はまだまだ若いが、魔法使いを目指している人間とのこと。

 なんでも、ルーマニアでは魔法使いの弟子として、魔法の店の手伝いをしていたのだが。

 しかしその期間も半年未満ということなので、あまり期待はできないといったところか。あくまで魔法を齧った程度と思っておいた方が良さそうである。

 

 しかし、ルーマニアか。ルーマニアと言われても全くと言って良いほどピンとこない。

 アリスはブクレシュティという都会に住んでいたということだけども、そのブクレシュティという地名にも正直思い当たるフシがない。ブカレストなら聞いたことあるんだけども、同じ地名なのだろうか。

 私の現代人としての知識の薄さは今に始まったことではないが……まぁ、これも幾度と無く繰り返してきた溜息だ。わからないものはわからないとして、気にするのはやめておこう。

 

 そのアリスは、魔法使いを目指すことになった。

 穏便な方法としては、私が彼女を魔法的に凍結させて1905年に解凍するという方法もなくはないのだが、私のちょっとわざとらしい誘導の成果もあり、結果としてアリス自身がその選択肢を拒み、長い時を過ごすことを選択したようである。

 実際、私としてもそちらの方がオススメだ。無為に時間を過ごすよりは、与えられた時を有意義に過ごす方が断然良いに決まっている。

 過去に送られたなど、長い時を生きる魔法使いにとって、そのようなハプニングは何ら問題にならないのだから。

 むしろ昔の資料を漁れる分かなり捗る。なかなか経験できることでもない。

 

 

 

「さて、魔法使いを目指す者、アリス・マーガトロイドよ」

「は、はい」

 

 今私達がいるのは、パンデモニウムの紅魔館だ。

 大渓谷の塒でもセムテリアの街でも話はできるが、人間が生活しておく上ではここが一番心地が良さそうだったので、私達は再びこの部屋に戻ってきた。

 

 アリスは緊張した面持ちで、テーブルの対面に座る私を見つめている。

 魔法使いとして生きることを決心し、長い時をどう過ごすのか。今の彼女の頭には、様々な不安がぐるぐると渦巻いているのだろう。

 

「君は夢幻世界を通じて魔界へと放り出される直前、“生命の書”を読んでいたと思う」

「はい……びっくりしました……手が、止まらなくて……」

「そういう作りにしたからね。残酷なようだけども、私が書き上げた十三冊の魔導書はそういった仕組みなのだ」

「……怖かった」

 

 アリスは畏まりながらも、私を非難するように軽く睨みつけた。可愛いものである。

 しかし私は反省しない。あの魔導書はそういう設計なのだから。仮にアリスがその時耐え切れずに死んだとしても、それは不用意に手出ししたが為の事故だ。

 あれは周りに複数人存在するか、読む本人に強い魔力制御能力があることを前提とした魔導書なのである。

 

「けれど、あれを読んだことで多少は頭に魔法の知識が入っただろう?」

「……でも、ほんの2ページくらいです……変な文字が読めるようになったのと、あと……魂? のことが少し……?」

「ふむふむ」

 

 魔界の言語が習得できれば上出来である。魔界でコミュニケーションが取れるということは、様々な面で有利に働くだろう。

 そして彼女は“生命の書”独自の記述、霊魂学についても多少は触れたようだ。こちらは、まぁしばらくは役には立たないだろうから、頭の片隅にでも置いておくべきかもしれぬ。

 

 新月、星界、生命、虹色、数珠。十三冊の魔導書のうち、より実践的で高度な魔法運用を記したこれらの五冊は、これまで度々追記と訂正を繰り返してきたものだが……その中でも特に追記作業が多かったのが、この生命の書だ。

 最初は生命創造及び生命が持つ魂の原理究明のために書き始めたものだが、神族や魔族の出現によって生命独自の能力が現れたことからその研究が加わり、そして穢れを含む霊魂学なども追記されたことで、“生命の書”の内容は複雑になっている。

 記された術は魂に関わるものが多いが、前半部分にはゴーレムを素体とした擬似的な生命創造を試みる魔法も記されている。ただし、そちらはあまり洗練された内容とは言えない。一からの生命創造を諦めた私の、書きかけ項目だ。一応の成果はあるので残してはいるが、正直見られると恥ずかしい部分である。要は、どこまで突き詰めたとしても、ただのゴーレムでしかないからだ。

 しかし、究極的には霊魂を繋ぎ合わせて肉体に定着させる高度な技術についての研究も記されている。そちらは私としても納得の行くものに仕上がっているので、読める人がいるなら是非とも読んでほしい。

 最後の方は血の書や涙の書の入り口に近い内容も多くなるので、総じて高度な魔導書と言えるだろう。

 

「なるほど。……今ではその魔導書は機能を失っているが、文字としては読めるはずだ。時々、高度な分野に興味を持ったなら……それを開いて読むといいだろう」

「は、はい」

「ちなみに、後半にはかなり多くの余白のページが残されている。そっちは自由に使っていいから、大事なメモがあるなら書いておくように」

「余白……あ、本当だ。……でも、良いんですか? コレに書いて……」

「全然構わないよ、好きに使うと良いだろう。ただし、運命の時がやってくる前に、大事なものは別のところに控えておくことだ」

「? はぁ……」

 

 さて、とりあえず魔導書について話しておくのはこの程度か。

 他には何かあっただろうか。

 

 ……色々あるな。

 アリスはいきなり、何も知らないまま魔界へとやってきたのだ。知っておくべきこと、やっておくべきことは非常に多い。

 

 ……さすがに最初から魔法を教え込むのは無理だろう。

 まず一ヶ月ほどは、魔界という世界に慣れてもらうことにしよう。

 

「……さて、アリス。君はこれから、この魔界で過ごしていくわけだが……君は、どのような住処を好むだろうか」

「住処……? お家?」

「うむ。国、街、家。まぁ、色々だ。魔界といっても広いし、様々な種族や文化が存在する。ここで過ごすのであれば、自分の好きな場所で暮らしたいだろう?」

 

 私が尋ねると、アリスは同意するように何度も頷いた。

 そりゃそうである。誰だって衣食住は最善を選びたいものだ。

 

「希望を言ってみると良い。大豪邸をプレゼントして甘やかすつもりはないけれど、魔法使いは私の大切な客人だ。希望に沿えるよう取り計らうよ」

「……ええ、ううん……そ、そう言われても……なんだか、悩んじゃうわ」

 

 だが、この質問もまだ幼いアリスには早かったようだ。

 ……まあこのくらいの子に聞いても明確なビジョンをもった返事が帰ってくるわけもないか。小さな子に対して、私はちょっと難しい要求が多すぎるのかもしれない。

 考えてみれば、私もこの程度の年齢だったら“お菓子の家に住みたい”とか宣っても何ら不思議ではないのだ。

 

 ……居住環境については、私達で考えておこうかな。

 

「都会が良いわ!」

 

 と思ったが、アリスは満面の笑みで答えを出してくれた。

 

 しかし……都会? 都会かぁ。

 

「ふむ。都会……人が多くて賑やかな所、ということでいいかな」

「ええ! 私、都会に住みたいわ! えと、ロンドンよりも都会が良い! あ、でもロンドン知らないか……」

「いや、知ってるよ」

「本当!?」

 

 なぜ引き合いにロンドンを出したのかは知らないが、ロンドンくらいならば私だって知っている。

 しかし、21世紀では超大都会であると言っても過言ではないだろうが、アリスのいた時代のロンドンとなると、どうだろう?

 いや、それでもその時代のイギリスはかなり盛り上がっていたはずだ。どのみち、世界でも有数の大都市であったことは揺るぎない。

 

 ロンドンよりも都会。

 ……ふむ。そんな無茶な、と返したくなるほどかなり欲張った希望だけれども、魔界においてはそれほどの無理はない。

 実際、今現在の魔界は既にかなり発展しているのだ。科学技術の方はまだまだ原始的な所も多いが、文化面は独自に洗練されているし、魔法を絡めた文明などは実に見応えがあると言える。

 利便性だって申し分はない。アリスの希望を叶える魔界都市は、数多く存在するだろう。

 

「うむ、ロンドンよりも都会。それならば問題ない、いくつか見繕ってあげよう」

「やったー!」

「うお」

 

 何だこの子、随分と大げさに喜ぶな。

 そんなに都会に憧れていたのか……ブクレシュティという街は、もしや田舎だったのでは……いや、やめておこう。

 

「……まぁ、喜んでもらえたなら何よりだよ」

「ありがとう! ……ございます! あ、でも……私、何かお仕事とか、したほうが……」

「ああ、それについては……大丈夫。魔界は豊かだからね、食うに困ることは無いだろう。都市によっては魔人も親切だし、地球で暮らすほどの苦労はない。心配はいらないよ」

 

 魔人は小食だ。人によっては何日だって絶食できる。

 自然と、食事には困らない人が多い。温厚な人も多いので、そこに悪魔や魔族がいない限りは、ひどい目にあうこともないだろう。

 

「魔人……デーモン……大丈夫、なんですか……?」

「ふふ。平気よ、アリス。みんないい子たちだから、安心して?」

 

 それでも不安気なアリスを、横から神綺が宥める。

 神綺の言葉は心が安らぐのか、アリスはすぐに表情を柔らかくして頷いた。

 私にはできない芸当である。

 

「……ふむ」

 

 アリスの魔界での生活。

 そして、魔法の勉強。

 

 準備すべきことは多い。

 とりあえず、環境を整えるまではしばらくはアリスをこの紅魔館で生活させていた方が良いだろう。

 

 それと……最初のうちは、私が色々と教えるよりも、現地の魔人達や神綺から物事を教わったほうが、アリスのためになりそうだ。

 今みたいに仮面をつけていれば怖がられることはないだろうが、表情の見えない相手と話していてもアリスは面白くないだろうし、不安に駆られるはずだ。

 何より、私はさほど教えるのが上手くない。特に魔法の初歩に関して言えば、慣れもあるし一応の講釈はできるのだが……自分で言うのもなんだけれども、話が横道に逸れることが多いのだ。

 私が直々に教えるとすれば、それはアリスがある程度、悪魔などの人外達の外見に慣れてから。そして、魔法に対して一定の理解を深めてからがベストだろう。

 

 うむ、それがいい。そうしよう。

 

「都会、都会だわ……うう、不安だけど……でも、ここで魔法を勉強して、すぐに魔女になって、いっぱい頑張れば……!」

 

 アリスは一人で張り切っている様子。

 少々先走っている気配がしないでもないが、それなりにこれからの生活を楽しみにしてくれているようだ。

 

 彼女をノイローゼやホームシックにさせないためにも、最初のうちに楽しい思いをさせてやりたいところだ。

 そのためにはまず……アリスに魔法を教える、最初の先生を見つける必要があるだろう。

 

 優しくて、人当たりがよくて、魔法の知識があって、楽しい人材。

 

 ……ふむ、魔人ならいくらかいるだろう。

 ちょっくら、魔界都市に求人を出してみようかね。

 

 


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