東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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魔界の神様と遠すぎる過去

 

「ん……」

 

 心地よいまどろみの中で目が覚めた。

 温暖な室内。綺麗な赤い天井。身体を包む滑らかなシーツの感触。

 

 ここは、どこだろう?

 私は確か……ウントインゲさんの書斎に行って……。

 

 そこで、グリモワールを……。

 

 ……そうだ、グリモワール!

 

「……っ!」

「あら、起きたのね」

 

 私が身を起こすと、ベッドのすぐ傍には綺麗な女性がいた。

 長い銀髪。綺麗な赤色の、異国の服。そして背中には、6枚の白い翼が生えている。

 

「……!」

 

 言葉が出ない。

 その女性の姿から、それが人ではないと認識してしまったから。

 直前まで抱いていた焦燥や苦しみも忘れ、私は魚のように口をパクパクと動かすしかなかった。

 

「ふふ、そんなに焦らなくても大丈夫よ。私の名前は、神綺(しんき)。この魔界の神様をやっているの」

「かみ……さま?」

 

 神様。神綺は、柔和な笑みを浮かべて私を見つめている。

 ……魔界? 神様?

 

 突然のことが一度に起こりすぎて、頭がついていかない……。

 

「貴女の名前を聞いても良い?」

「……アリス」

 

 そう、私はアリス……。

 それはわかる。アリス・マーガトロイドだ。自分まで忘れたわけではない。

 自分の名前を言えたことで、どうにか最低限の落ち着きは取り戻せた。

 

「アリスっていうのね。いい名前だわ」

「……私は……ここは、一体……?」

「それは私にもよくわからないわ。私たちは突然現れたアリスを、ここで休ませていただけだもの」

 

 ……私が、突然ここに現れた?

 

「落ち着いて、アリス。これまでに起きたこと、私にわかるように説明できる?」

「……はい」

 

 謎呼ぶ謎に、また再び不安と焦りがこみ上げてきた。

 喚き散らしたい衝動は大きくなってくるけれど、私は自分自身の置かれた状況をしっかり把握するためにも、これまでの行動を一個ずつ、説明してゆくのだった。

 

 

 

 

「そう……西暦1905年ね」

 

 私が幻が見えること。

 私が魔法使いのお手伝いとして拾われたこと。

 ちょっとだけ魔法が使えること。

 そして、書斎で“生命の書”を見つけたこと。

 

 色々なことを、神綺さんに話した。

 ……いえ、神綺さんは神様だ。失礼にあたるから、神綺様と呼んだ方が良いかしら。

 

「それじゃあ、地下の本を手に取ってから、気がついたらここにいたのね」

「はい、そうです……」

 

 神綺様は私の話に、静かに耳を傾けてくれた。

 魔法のことも、幻のことも、神綺様は馬鹿にしないし、否定することもない。

 私の話を信じてくれる人はウントインゲさん以来だったので、話しているだけでも不思議と心が落ち着いた。

 

「あの……神綺、様」

「ん。なあに?」

「私、すぐにでも……帰りたいです」

「……どこへ?」

 

 神綺様の表情が曇る。

 まるで、不穏な何かを察しているかのように。

 

「ルーマニアへ……ウントインゲさんのお店に、帰りたいです」

 

 帰りたい。

 ここがどこかはわからないけれど、私はすぐにでも帰らなければならないと思った。

 

 ウントインゲさんの言いつけを破ってしまった。

 鍵の掛けられた書斎に入って、封じられていたグリモワールを開いてしまった。

 

 ……今にして思えば。

 私は、なんて軽率なことをしてしまったのだろうと思う。

 

 すぐにでも、あのことを謝らないと。

 

「アリスは……1905年の、ルーマニア……という所に帰りたいのね」

「はい。ルーマニアの、ブクレシュティ……」

「……ごめんなさい、アリス。それは、できないの」

「え?」

 

 できない。帰れない。

 何故? 私は、聞き返すことしかできなかった。

 

「今は、ライオネル……今のアリスの事情について一番良く知っている人がいないから、又聞きした私からしか言えないけどね。今の地球は、アリスが思っているよりも昔なの」

「……え、昔って、どういう……」

「簡単に言うとね? アリスは、過去に来てしまったのよ。1905年から、西暦が始まって間もないこの世界に」

 

 開いた口がふさがらない。

 過去に来てしまった? 西暦が始まって、間もない?

 

「嘘、だわ……」

「……本当の事よ、アリス。といっても、その様子じゃまだまだ、信じることはできないかもしれないわね」

 

 過去。西暦始まって間もない……1900年近くも昔の世界に来てしまった?

 それじゃあ、私は、もう……ルーマニアに帰れない? ウントインゲさんに会えない?

 

 そんな、そんなのって……。

 

「アリス、この本を持って」

「あ……」

 

 呆然とする私に、神綺様は一冊の本を差し出した。

 灰色の分厚い書物。それは、見慣れない色ではあったけれど……よく見れば確かに“生命の書”だった。

 

 何故こんなにもくすんだ色をしているのかはわからない。

 けれど、今の私はそんなことは少しも気にならないほど、打ちひしがれていた。

 

「ライオネルが言ってたことだけど、その本はずっと持っているようにね。離れては駄目、というわけではないけれど……絶対に失くしたりしてはいけないわ」

「……」

「不安なのね。アリスの気持ち、私にはなんとなくわかるわ」

 

 灰色の本を胸の前で抱く私の頬を、神綺様がそっと撫でた。

 温かい手のひらに、心がほんの少しだけ落ち着いた気がする。

 

「……アリス。過去に来てしまった……と言われても、貴女はなかなか飲み込めないと思うの。だから、私についてきて。ライオネルに会えば、きっとわかりやすい答えをくれると思うから」

 


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