東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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未熟者と田舎者

 私は店の奥へと小走りし、製剤作業を進めていたウントインゲさんに言われたままのことを伝えた。

 

 ノーレッジさんが来た。

 私がそう言うと、普段ならやわらかな声でゆっくりと立ち上がるのに、ウントインゲさんは急に身体の動きを止めて、真剣な眼差しを私に向ける。

 

「ノーレッジ?」

「うん。小さな女の子が二人」

 

 ウントインゲさんは難しい顔で俯いて、薬匙をテーブルに転がした。

 

「……わざわざルーマニアまで、何の用かしら。わかったわ、とりあえず話だけでも聞いてみましょうか」

「……私も、一緒に居て良い?」

「もちろん。悪戯しないようにね?」

「わ、わかってます。そんなことしないわ」

 

 いくら私でも、お客さん相手にそんなことはしない。

 まだまだ、細かな所では信用がないようだ。一体どうしてかしら。

 

 

 

「あら…………いらっしゃいませ」

 

 ウントインゲさんが二人の女の子を見た時、空気が変わった。

 二人の子供からは冷たい魔力が漂い始め、すぐ側のウントインゲさんからは……いつもの魔法とは違う、どこかピリピリとしたものが感じられたのだ。

 

「ゴホッ……突然の訪問でごめんなさい。はじめまして。私はチェイニーウォークの……パチュリー・ノーレッジよ」

 

 病弱そうな少女は、自らをパチュリー・ノーレッジと名乗った。

 ノーレッジというのは、あの子の家系の事らしい。

 

「ええ、ノーレッジ家は有名ね。けれど、それより先に隣のお嬢様についてお聞かせ願えるかしら。心が休まらないわ」

「ごめんなさい……けほっ。こっちのは」

「名前くらい自分で名乗るわ」

 

 誰かに紹介されるのは嫌だったのか、怖い雰囲気の小さな女の子は一歩前に出て、恭しく綺麗な仕草で頭を下げた。

 

「はじめまして、長命なる魔女よ。私の名はレミリア。レミリア・スカーレット。見ての通り……人間ではなく、悪魔だ。吸血鬼といえば話は早いかしら?」

 

 吸血鬼。

 ……吸血鬼って何かしら?

 吸血魔ならお伽話にいくらでもいるけれど。

 

 ……え? でも吸血ってことはあの女の子、やっぱりすごく怖い怪物なのかしら。

 だとしたら、あのどこか寒々しい雰囲気も納得できるわね。

 目もあんなに真っ赤だし。

 

「どうもありがとう。私はウントインゲ、この店の主よ……それで、ノーレッジと吸血鬼のお嬢様方が、私のお店に何の用かしら」

「あらあら。人ではないにしても、魔を扱う客を相手に少し対応が酷いのではなくて? それとも、悪魔との取引は人より信頼できないとでも言うのかしら」

 

 ……空気が、重い。

 

 ウントインゲさんとレミリアとかいう子の間に、何か強い力が渦巻いているのがわかる。

 ……このまま続くと、いつかその渦に押しつぶされてしまいそうな……。

 

「レミリア・スカーレット。彼女は、……けほっ。情報提供者なのでしょう。なら、そう喧嘩腰になるの、やめてもらえる」

 

 緊迫した空気を弛緩させたのは、パチュリーの一言だった。

 

「情報が欲しいのは、私も同じ。台無しになるのが貴女だけなら構わないけれど、私も巻き込むのは、許さないわ」

「……言うじゃないか。生まれたてのひよっ子風情が」

 

 レミリアが口角を不気味なほど吊り上げて、オオカミのように鋭い犬歯を露出させた。

 糸だけでなく、動物の骨でさえ噛みきってしまえそうだ。人間の歯ではない。

 やっぱりこの子は、怪物だったのだ。

 

「ふん。まぁ、良いだろう。……ウントインゲさん、我々が欲しいのは情報よ。私たちは今、とある伝説の化物を追って旅をしているの。その化物の居場所について、お尋ねしたい」

「伝説の化物……? どうしてそんな話を私から聞こうと思ったのかしら」

「こっちも人伝に訊き込んで来たからね、詳しいことはわからないさ」

 

 伝説の化物。

 それは幻の世界で見かけるような、奇妙な生き物のことかしら。

 

「ウントインゲさん、貴女は知っているのではなくて? ……エレンという魔法使いについて」

「!」

 

 でも、伝説の化物というくらいだ。そこらにいるような妖精や子鬼とは違うのだろう。

 だとすると……一体何だろう。

 

「そう殺気立たないで。言ったでしょう? 情報が欲しいだけだって。……そのエレンが遭遇したという、とある化物の居場所について教えてほしいの。私からは、それだけよ」

「……アリス」

「は、はい?」

 

 考え事をしていたら、ウントインゲさんに声をかけられた。

 注文が決まったのかしら?

 

「私は店の奥でお話するわ。だから少しの間だけ、もうちょっと店番を頼まれてくれるかしら?」

「奥に……応接間ですか。お茶を用意します」

「いえ、今回はいいわ。私がやるから、お店の方お願いね」

 

 普段お客さんを中に招く時には、私にお茶汲みを頼むのに。

 今回はどうしてか、さらりと断られてしまった。

 

「ごほっ……ゴホッゴホッ、ちょ、ちょっと……ごめんなさい。ゴホッ……私は、少し……ここで、休ませてもらって、良いかしらっ……」

「ええ、それはもちろん……でも貴女、大丈夫? 酷いなら、診てもらった方が良いと思うけど……」

「嫌よ、医者なんて。医者も、汽車も、大嫌いだわ……」

 

 見るからに辛そうな咳だけれど、パチュリーのこれはいつものことらしい。

 ウントインゲさんはしばらく心配そうにしていたけれど、パチュリーが片手を上げて“お構い無く”と言いたげにしていると、結局レミリアと一緒に、お店の奥へと引っ込んでしまった。

 よく話は聞いていなかったけれど、これからウントインゲさんとレミリアは商談に入るのだ。商談は、近くで聞いてもあまり面白くない。

 

「……お茶、用意しますね」

「ゴホッ……あり、がとう」

 

 なのでとりあえず、私は店番のついでにパチュリーの看病をすることにしようと思う。

 見たところ、彼女はほとんど私と同じような年齢に見える。

 ブクレシュティでは同い年で女の子の友達がほとんどいなかったので、いい機会かもしれない。

 

「楽しいお話、できるかしら」

 

 私は熱い紅茶を淹れながら、久々の話し相手に心が高鳴っていた。

 

 

 

「ありがとう、少し落ち着いたわ」

 

 時間をかけて紅茶を半分ほど飲むと、パチュリーの顔色は随分と良くなった。今は揺り椅子に腰掛けて、歩き通した疲れをゆらゆらと解しているところである。

 パチュリーは重度の喘息を患っているらしく、調子が悪い時は外出もままならないのだそうだ。つまり、ひ弱な女の子らしい。

 

「……ねえ。あなたはどこから来たの?」

「さっきも言ったけど、チェイニーウォークよ」

「チェイニーウォーク……? 聞いたことがない場所ね」

 

 まあ彼女は遠くから来たと言っていたから、知らなくて当然なんだけど。

 

「まあ、そこはただの通りだしね。ロンドンと言えばわかるでしょう?」

「……?」

 

 聞いたことあるような、ないような……。

 

「あら、ロンドンでも通じないのね」

「ごめんなさい。私、ブクレシュティとブラショブ以外はあまり詳しくないの。ロンドンって、どんな町なのかしら」

「間違いなく、世界で最も輝かしい大都市よ。空気が汚すぎて、もう居たくはないけれど」

 

 む……。

 そんな聞いたこともないような町が、世界で最も輝かしい?

 

「ブクレシュティの方が凄いでしょ?」

「……空気は多少澄んでいるかもしれないけど、それは無いと断言できるわね」

「む……」

 

 空気が澄んでるって、まるでここが……山に囲まれた田舎みたいな言い方じゃない。

 ここはブラショブよりもずっと都会だし、ルーマニア一と言っても過言ではないわ。

 ロンドンがどこだかは知らないけれど、この子はきっと強がっているのだろう。

 

「あなた……」

「あなた、というのはやめて頂戴。私はパチュリー・ノーレッジよ」

「……わかった、パチュリー。私はアリス・マーガトロイド」

「よろしく、アリス。良い名前ね」

 

 ……私よりも小さな子に“いい名前ね”って言われるの、なんだか少し嫌な感じだわ。

 私も言ってやれば良かったかしら。“いい名前ね”って。

 

「……パチュリーは、そのロンドンっていうところから何しに来たの? さっきは、吸血鬼の子と化物を追いかけてきたって言ってたけど……」

「そのままよ。私たちはその怪物を見つけるために、ここまでやってきた。……レミリアとは、つい最近出会ったばかりの腐れ縁のようなものだけどね。目的は一致しているから、行動を共にしているだけ」

「ふーん、そうなんだ……」

 

 怪物を追いかけて、名前もわからない土地からここまでやってきた、と。

 ……どうしてそんなことをしなければならないのかしら。

 そもそも、この近くに怪物なんて居たっけ? お伽話なら、いくつもあるとは思うけれど……。

 

「ところでアリスは、ウントインゲさんのお手伝いなのかしら。それとも、魔法使いに弟子入りでも?」

「あ、うん。そうよ。……魔法の弟子って、よく分かったわね」

「あら、本当に弟子だったのね」

 

 普通は、魔法使いなんて言葉は誰も使わない。

 大昔ならともかく、今は1905年。魔法は、多くの人々の間ではすっかり廃れてしまった空想上の存在だ。

 だからこそこの魔法店としての看板も、それとは思わせないようなデザインになっている。

 普段は魔法関係の人なんて滅多に来ないし、来たとしてもおじいさんやおばあさんばかりだ。

 

「……あなたも、魔法使いなの?」

「ええ、もちろん」

 

 驚いた。まさかこんなに小さな女の子が、私と同じ魔法使いだなんて。

 病弱そうだし、魔法の勉強をする余裕なんてあるのかしら。

 

「ちなみに、私は貴女よりもずっと優秀な魔法使いよ。歳もこちらの方がずっと上。敬意を払えとは言わないけれど、背丈が近いからといって馴れ馴れしい態度で接するのは、褒められたものではないわね」

「なっ……」

 

 私よりも優秀?

 ……そんなはずはない。私はウントインゲさんから素質があると言われていた。

 それに、確かに私よりは少し大人っぽいかもしれないけれど、パチュリーが私よりも何歳も年上だなんて、そうは見えないわ。

 

「私は11歳よ」

「そう? 私はこう見えて56歳になるの。貴女よりも45年、長く生きているということになるわね」

「……嘘ね。パチュリー、あなた小さいし、子供じゃないの」

「病弱だったんだもの、小さいのは仕方ないでしょう。魔法に背丈は関係ないわ。……それに、身体の成長は15歳で止まっているしね」

「……え?」

 

 成長が止まっている?

 判然としない疑問に私が顔を向けると、パチュリーはすまし顔で残りの紅茶を啜っていた。

 

「その様子だと、まだまだ貴女は未熟者ね、アリス」

「なっ……何よ。そっちは田舎者でしょう。魔法だって、私の方が!」

「ごめんなさい、訂正するわね。貴女は未熟者ですらない……だってまだ貴女は、“魔法使いにすらなっていない”んだもの」

 

 揺り椅子に腰を据えたパチュリーが、ゆっくりと揺れながら……時折、後ろへ傾く時に、まるで私を見下すように……眺めてくる。

 いいえ、気のせいではない。間違いなく彼女は、私のことを見下しているんだわ。

 

「私は魔法使いよ」

「そう? 私にはそうは見えないけれど」

「物を浮かせられるし……人形だって動かせるわ」

「初歩ね。そしてそれは魔法の一側面に過ぎないわ。……本当に、この店の主人から何も教わっていないのね」

 

 今度は、どこか憐れむような目で見つめてくる。

 私の中に、言いようのない悔しさと怒りがこみ上げてきた。

 

 ……けど、言い返せない。

 言い返す言葉はいくつかあった。けどなぜか、私は自分の中のどこかで、この生意気で失礼な子に“負けている”という予感を感じていたのだ。

 このまま言い返してゆくと、恥の上塗りを重ねてしまうかもしれない。そんな不定形の恐れが、私に二の句を告げなくさせている。

 

「ああ……ごめんなさい、アリス。いじめるつもりは無かったのよ。未熟ということは、成長の余地が残っていることに他ならないわ。貴女はここの弟子になるくらいだもの、それなりの才能は持っているのでしょう。誤解しているかもしれないから断っておくけれど、私はアリスに素質が無いとは言っていない。修練を積み研究を重ねれば、貴女もいつか魔法使いになれるはずよ」

「……」

 

 ……嫌な子だわ。

 変なことは言ってないと思う。

 けど、なんだかすごく嫌な子。

 

「おい、魔法使い。目的地がわかった、すぐに向かうぞ」

 

 私は多分、その時言い返してやるはずだったのだ。

 けどそれは、店の奥から現れたレミリアによって簡単に遮られてしまった。

 

「! 手がかりが掴めたの? レミリア」

「ああ、おそらく最も有力な情報だろうね。日が暮れる前にリットホーヘン行きの汽車に乗ってしまおう、そろそろ出る時間らしいから、急ぐよ」

「また汽車……ああもう……」

 

 話はまだ終わっていない。

 けど、パチュリーはもう私のことなんて眼中にないようで、すぐ出立することだけを考えているようだった。

 

 ……悔しい。

 悔しいけど、もうパチュリーは私のことを見てもいない。

 だから私は、いそいそと旅支度を整えるパチュリーの姿をじっと見ることしかできなかった。

 

「……?」

 

 それでも、私の視線に気付いたのか、パチュリーと目が合った。

 パチュリーはしばらく私の目を無感情に見つめ、しばらくして“ああ”とかなんとか言って、店に並ぶ品の幾つかを手に取り、私に近づいてくる。

 

「お茶を頂いたのに何も買わないなんて、冷やかしをするところだったわね。これをいただくわ。お代は多めに渡すから、許して頂戴」

「……え、あ……うん……」

 

 パチュリーが買ったのは、水銀の入った小瓶といくつかのお香。

 だけどその買い物に対して、私に渡してきたお金は何倍も余るほどのものだった。

 

「先を急ぐから、失礼するわ。お手伝のお嬢ちゃん、ウントインゲさんによろしく言っておいて頂戴」

「またねアリス、紅茶美味しかったわ。それでは」

「あ……」

 

 私が大きな多額の貨幣を手にしたまま慌てているうちに、二人はさっさと通りを抜けて、どこかへと歩き去ってしまった。

 

「……」

 

 二人が最後に置いていった言葉は、お店のお手伝いとしての私へのものだ。

 魔法使いとしての私には、一言も声をかけられていなかったように思えてしまった。

 

 ……パチュリーは、それほど私が未熟だって言いたかったの?

 私は魔法使いには程遠くて……ただのお店番としか思っていなかったっていうことなの?

 

「……何よ、嫌な……嫌な子だわ」

 

 わけがわからない。

 なんだったのよ、あの二人は。

 なによ、ロンドンって……未熟者って……。

 

 ……魔法使いって……。

 

 


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