東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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果てしなく続く道

 

 

 それから私は、魔法の勉強だけでなく、店のお手伝いもあまりさぼらずに頑張るようになった。

 この変化に深い意味はないと思う。元々、何が何でもさぼりたいというわけでもなかったし、店自体は最初から好きだったから。

 それに、お店を手伝ってウントインゲさんの仕事が早く済むようにすれば、それだけ私の勉強を見てもらえる時間も増える。

 別に魔法が上手くなってウントインゲさんに褒めて貰いたいわけではないけれど、自分の能力が伸びていくのを実感するのは、とても楽しかった。

 

 

 

 仕事が終わった夜。

 明日の支度も済ませたので、私の部屋で魔法の勉強をしようという、ここ数週間と同じような日の事だった。

 自分の周囲に漂う魔力を、ぐるぐると渦のように回し続ける練習の最中である。

 

「ねえ、ウントインゲさん」

「んー? 何?」

 

 私はこの練習が苦手なわけでもなかったけれど、あえて自分から渦を霧散させて、ウントインゲさんの顔を見た。

 単調な練習が何時間も続いて、とても退屈だったのである。

 

「これ、まだやらなきゃ駄目なんですか?」

「駄目よー。今解けちゃったからあと二回追加ねー」

 

 ……今のはわざと解いたのに。

 

「ウントインゲさん。私もうこの練習、しなくても……」

「駄目ー」

「……得意なのに」

「そうね。アリスはとっても筋が良いから、他の魔法使いよりもずっと早く成長できると思う」

 

 ……だったら、早く次に進みたいな。

 もう何週間もこればかりを繰り返しているし、しかも魔法の勉強というよりはただ心をもわもわさせているだけみたいで、あまり面白くないのだ。

 私も早くウントインゲさんのように、人形を自在に動かしたり、何も無い場所から火や水を出してみたい。

 

「魔法らしくなくてつまらないからさっさと次へ行きたい、というのはあなたの驕りよ、アリス」

 

 ……心を読む魔法!?

 

「ふふ、びっくりしてる。顔を見ればわかるわよ、書いてあるもの」

「……ど、どこ?」

「んー? ほっぺかなー?」

「んむ、んむぅ……」

 

 ウントインゲさんが面白そうに笑いながら、私の両頬を優しくこねくり回す。

 痛くは無いけど、なんだかくすぐったい。

 

「アリス、魔法の勉強は……いいえ。魔法の修行は、絶対に急いだら駄目。必ず基礎基本を大事にして、一歩ずつ着実に身につけていかなきゃならないの」

「……どうして? 私、急いでるんですか?」

「んー。そうね、急いでるかな。ただ、楽しくて我慢できない……そんな感じだけど」

 

 基礎基本。もちろん、それは大事だと思う。それらがないと、魔法は一つも使えないだろうから。

 けど私はちゃんと基本は覚えているし、現に魔力を上手く扱えている。

 

「……見えるものを動かすだけ。簡単だし、つまんない」

 

 ウントインゲさんには見えていないけれど、私には幻の世界が見えているのだ。

 それは時折空中を漂う幻影だけではなく、いくつかの魔力だって同じ。ゆらゆらと揺れている透明な力は目立たないが、意識すれば触れることも難しくはない。お湯を手でかき混ぜるような感覚に近いだろうか。

 

 普通の魔法使いは私のようにはっきりと目にすることはできないらしい。

 けれど、私にはそれが出来てしまう。

 私が魔力の扱いに長けているのは、そんな理由も大きかった。

 

「でもねアリス。この練習は、小さい頃にやらないといけないのよ。大人になるとなかなか上達しないし、それ以降の魔法の勉強にも関わってくるわ」

「……大人になると、魔法が離れる?」

「そう。確かにこの勉強はちょっと退屈かもしれないわ。これからも、まだまだ続くし……あんまり、人形を動かす魔法ほど新鮮でもないと思う」

 

 ウントインゲさんの手が私の頭を撫で、髪を梳かす。

 

「私はアリスよりもずっと遅くに魔法が使えるようになったから……うん。とっても時間がかかったわ」

「……どれくらい?」

「ふふ、どれくらいだと思う?」

「……うーん」

 

 ウントインゲさんは妙齢の女性だ。

 私の方が才能はあると言っていた。ということは、今の私よりも掛かっているということで……。

 

「半年?」

「あははは」

 

 ……笑われた。

 

「じゃあ、三ヶ月?」

「減ってる減ってる、そんなに早くないわよー」

 

 ……え? もっと長いの?

 

「一年」

「……」

 

 ウントインゲさんは微笑むだけ。

 

「二年」

「……」

「五年」

「……」

 

 変わらない。

 ウントインゲさんはただ優しく私を見つめたまま、静かに髪を撫でている。

 

「……じゃあ、十年」

 

 それはほとんど私の年齢と同じくらいだった。

 けれど、ウントインゲさんの表情はちっとも動かない。

 

 まるで、一年も十年も全く同じであるとでも言いたげに。

 

「……ねえ、ウントインゲさんって、いくつ?」

「んー……そうね。いくつかなぁ……」

 

 人形達が腰掛ける窓辺を見やり、ウントインゲさんが考え込んだ。

 

「……今はまだ、秘密。アリスが魔法使いになれたら、その時に教えてあげるね」

 

 はっきりとした答えは、貰えなかった。

 けれど私は、考え込んだウントインゲさんの遠い目が、何十年も、何百年も前の事を思い出しているような気がしてしまい……私の中での魔法使いというものが、ほんの少しだけ怖いものに変わった。

 

 

 

 大人になると魔法が離れる。

 離れた魔法に追いつくのは、きっととても大変なことだ。

 

 だから私はあの日、ウントインゲさんの話を聞いてから、より一層魔法の修行に明け暮れた。

 縫い物をする時も、生地を捏ねる時も、何もしていない時だって、魔力をよく見て、動かすように頑張っている。

 

 火を熾したり、水を降らせたりといった事への興味が尽きたわけではない。

 けれど今は、ウントインゲさんの言ったことを信じて、基礎をより完璧にこなせるようにならなければいけないと思ったのだ。

 

 魔法が私から離れる前に、しっかりと捕まえておかないといけないから。

 

 時折魔力を動かす私を見ては、ウントインゲさんが呆れたように笑っていたけれど、私はどこまでも本気だった。

 なにせ、もうこの生活を二ヶ月も続けていても、少しも嫌になっていないのだから。

 

 

 

「アリスー、水銀の小瓶にシールは貼ったー?」

「はーい、貼りましたー」

「それじゃあこっちおねがーい」

「わかりましたー」

 

 今日も今日とて、ブクレシュティの魔法のお店は忙しい。

 ウントインゲさんは堂々と魔法屋を名乗っているわけではないけれど、魔法で作った物や魔法の助けになる小道具は常にお店に並んでいる。

 

 私の手のひらに収まりきるほど小さなこの小瓶も、そんな魔法の品の一つ。

 見た目はおしゃれで、中で銀色に煌めく水がゆらゆらと揺れるのはインテリアのようだけど、れっきとした魔法の道具だった。

 

 ただ、私はこの小瓶の使い方を、まだウントインゲさんから教わっていない。

 でも今はこのままでも構わないと思っている。今はただ、魔力を意識することに集中したかったから。

 だから私は、この小瓶について深く考えることもなく、お店の棚にひっそりと並べているだけだった。

 

 

 

「ここが魔法使いの店か」

 

 その昼間、店を訪ねて来たのは小さな女の子だった。

 白く高そうな日傘や帽子は貴婦人のようでもあるけれど、何十キロもありそうな大きな背囊は、旅人のそれだった。

 しかも歳は、私よりも下のように見える。

 先ほどの生意……偉そうな言葉遣いも相まって、ひどくチグハグな印象を受ける子供だった。

 

「そこの貴女。ここの店の人かしら」

「はっ……はい」

 

 見た目に似合わない言葉を掛けられ、身が竦む。声も上ずった。

 何より、女の子の顔を見て血の気が引いた。

 

 ——白い。

 

 肌が真っ白で、まるで病でも患っているかのよう。

 だというのに目は紅く、身体中の血の気がそちらに集まっているかのような錯覚を覚えてしまう。

 

 幻の世界で、アルビノ……という人を見たことはある。

 全身が白く、か弱そうな見た目の人のことだ。

 けれど目の前の子供はアルビノの人のような白さとは違って見えたし、何よりもか弱さというものは微塵も感じられなかった。

 

「へえ……聞いた話だと、店は一人だったはずだけど。いつから働いているのかしら」

「あ……はい、その……」

「はっきりしないわね」

 

 紅い瞳が、怖い。

 言葉を投げかけられる度に、肩が竦みそうになる。

 大きな男の人に会ってもこんな事にはならないのに、どうして……。

 

「ちょっと。無関係な子供を怖がらせてどうするのよ」

 

 冷や汗が頬を伝いそうになったからその時、怖い子供の後ろから救いの手が差し伸べられた。

 救いの手は少女の肩を引き、強引に後ろの方へと追いやっている。

 

「あっ、おい! 今は取り調べの最中……!」

「はいはい、あとは助手に任せなさい……ゴホッ……ごめんなさい、連れがちょっと世間知らずでね」

 

 かわりに私の前に現れたのは、もう一人の少女。

 こちらは私と同い年くらいに見えるが、体は華奢で、顔色も悪い。

 今も咳に苛まれており、私との会話を望んでいるようであるが、「咳が止むまで待ってくれ」と軽く私を手で制している。

 

「ゴホッ……ごめんなさい。私たちは、客よ。魔女の、ウントインゲさんは……いらっしゃるかしら」

「あ……ウントインゲさんですね! わかりました!」

「ノーレッジが来たと、ゴホッ、言えば、伝わるから……」

 

 怖い女の子と、病弱そうな女の子。

 

 その日やってきた二人の奇妙なお客さんは、良くも悪くも、私の一生を大きく左右するものだった。

 

 

 


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