東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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春の芽吹きと冬の芽吹き

 ウントインゲさんの魔法はすごい。

 

「あー忙し忙し……えいっ!」

 

 小麦粉に水やバターを加えて捏ねただけの塊を、一瞬の内に焼きたてのパンへと変えてしまう。

 今日は注文のお薬や焼き菓子も多くて大変な日だけれど、それでもこの芳醇なパンは出来上がるのだ。

 どんな料理だってその気になれば簡単に仕上げてしまうウントインゲさんは、きっとシェフにだってなれるはず。

 

「アリスー、先に食べてて良いから、私のパンだけ四つに切り分けといてくれるー」

「はーい」

 

 ブクレシュティの食堂……いえ、レストランね。

 美味しい紅茶や珈琲が自慢で、注文すれば人形達が持ってきてくれる……。

 ……名案だわ。後でメモ帳に書いておかないと。

 

「人形、もっと動かせるようになりたいな……」

 

 前に見せてもらったけれど、ウントインゲさんが私の人形を操ると、本当に生きているようにみえてしまう。

 あの時は一体だったけれど、ウントインゲさんなら二体や三体を一緒に動かすことだってできるかもしれない。

 

 今の私の目標は、それだ。

 沢山の人形達を動かして、私の分の仕事を任せるのだ。

 そうすればきっと部屋の掃除や、こうしてナイフでパンを切り分ける小さな手間もかけずに済む。

 それで、時間がたっぷり余ったのなら、私はもっと魔法の勉強ができるだろうし、ウントインゲさんのお手伝いも沢山できる。それに……。

 ぼんやりと幻の世界を見つめながら、いくらでも休憩することができるだろう。

 

「ふっ……都会派だわ」

「アリス! かっこつけてないで早く食べちゃいなさい! それとジャム使い過ぎ! 体悪くするわよ!」

「は、はあい」

 

 

 

 ウントインゲさんの弟子として認められた私は、より一層魔法の修練に励んでいる。

 お店だって好きだし、人形の修繕も楽しいけれど、今はそれよりも魔法を覚えることの方が楽しくて仕方がなかったのだ。

 

 ウントインゲさんはお店の奥に小さな書斎を持っていて、そこには沢山の本に紛れて、何冊もの魔道書が置かれている。俗に言う、グリモワールというやつだ。

 私が魔法の勉強をする時には、ウントインゲさんがグリモワールの本棚から幾つかを見繕って、私に読み聞かせてくれる。

 本当なら私がその本棚から好きなものを引っこ抜いて、空いた時間や寝る前などにじっくりと読みたいんだけど、グリモワールを勝手に読むことはウントインゲさんに厳しく禁止されていた。

 

 グリモワールは、魔法の力が弱い人が読むと危険なのだとか。

 ウントインゲさんは本当に口を酸っぱくして繰り返していたので、きっと本当のことなんだろうと思う。

 実際、ウントインゲさん自身が書いたというグリモワールだって、ページを開くと何かモヤモヤした力のようなものが薄っすらと見えるのだ。

 何か特別な力を持った本だということは、私にだって理解できる。

 

 確かに危ない。注意する理由もわかる。

 

 でもウントインゲさんが言うには、私はとても良い素質を持っているのだという。

 それなら、少しくらいは見せてくれても良いんじゃないかしら。

 

 なんてことをついウントインゲさんに言ったら、書斎につける錠前が一つ増えてしまった。

 言わなきゃ良かったなぁ。

 

 

 

 それから一ヶ月。

 私は日頃の弛まぬ努力の甲斐もあって、一体の人形であれば手足までも自在に動かせるようになっていた。

 

「ウントインゲサン、コンニチハ」

「ふふ、こんにちは」

「ワタシ、シャンハイニンギョウデス、ヨロシクネ」

「あら上手っ。こちらこそー」

 

 裾を軽く持ち上げてのお辞儀だってお手の物。

 それまではわざわざ手で持ってさせていた動きを、人形自体が勝手にやってくれているかのようだ。

 私自身は人形を魔法で動かすのに必死だけれど、周りの人からしたら、人形が命を吹き込まれたようにも見えるだろう。

 

 この成果を近所の子供達に見せて自慢したかったけれど、それはウントインゲさんに止められてしまった。

 今の時代、あまり魔法を大っぴらに見せるのは良くないらしい。

 つまんないことだけど、わからなくもない。それは多分、自分が幻が見えることを言わない方が良いという事と同じなのだろう。

 何百年か前には魔女狩りなんてものが流行ったから、大変だったらしい。

 

「それにしても本当に、アリスの上達は早いわね。私はそういう事ができるようになるまで、十何年もかかったのに……」

「ふふっ、だって私は才能があるんですもの」

 

 これは前にウントインゲさんに言われた事でもある。

 幻が見える私の体質は、魔法の気付きだとか習得だかに、とても良い方向に働いているのだとか。

 実際、私の目には人形へと繋がる魔力の糸が、うっすらと見えている。

 この調子ならあともう一ヶ月もすれば、人形にドアノブを開けさせる事だってできるかもしれない。

 

 私はこれからの展望に胸を膨らませていたが、視界の隅ではウントインゲさんが、どうにも落ち込んでいるような、憂鬱そうな顔になっているのが見えた。

 

「……あの、ウントインゲさん」

「ん? なあに?」

 

 しかし声をかけると、そんな空気はまるでなかったかのように返事を返してくる。

 ……それが私には、彼女が無理をしているように見えてしまった。

 

 ……それはまるで、最後、別れる間際に見たお父さんやお母さんの浮かべていたような表情で……。

 

 そう考えた途端に、私はとても恐ろしくなってしまった。

 

「あの……あの。私、魔法の勉強を頑張ります。でも、お店のお手伝いも、ちゃんとやりますから」

「……」

「サボらないです。お仕事はちゃんとやります。だから、お願いします。私、まだ」

 

 私はまだまだ言いたいことがあったけれど、それ以上は喋らなかった。

 ウントインゲさんに、顔ごと強く抱きしめられてしまったから。

 

「いーのよ。子供はわがままでも」

「むぐ……」

「だから貴女は、そんなに気にしなくていいの。大丈夫、私は怒ってないし、嫌いにもならないから。出て行けなんて、そんなの絶対に言わないもの」

「……」

 

 柔らかいウントインゲさんの胸から顔を上げ、彼女の顔を伺った。

 やっぱりウントインゲさんはいつもと同じ、優しい微笑みを浮かべている。

 

「……ちょっとだけアリスのことを羨ましいなって思っちゃったけど、それだけよ。私、とっても良い魔法使いの先生に出会えたけれど、それでも何年も魔法が使えなかったから……」

 

 優しく私の髪を撫でながら、ウントインゲさんはクッキーを焦がしてしまった時のように笑う。

 

「けどアリスは、私のことは気にしなくてもいいのよ。才能があるなら、それはどんどん活かさなくちゃね。子供の頃は特に、見聞きしたものはすぐになんだって吸収しちゃうんだもの。やらなくちゃ損よ」

 

 大人になったら、魔法はどんどん遠く離れていってしまうから。

 ウントインゲさんはそう言い終えると、私の両肩をぽんと叩いた。

 

「……さ! アリス、そろそろ寝ないと明日に響くわよ。明日は早めに済ませないといけない予約が入ってるんだから、しっかり頼むわよ」

「……はい!」

 

 明日もある。

 私はその言葉が嬉しくて、ついついレディにあるまじき子供みたいな笑顔を見せてしまった。

 

「ウントインゲさん、おやすみなさい」

「おやすみなさい、アリス」

 

 才能は、活かさなくちゃいけない。

 大人になったら、魔法は遠ざかる。

 

 ……頑張ろう。

 頑張って私も、ウントインゲさんのような素敵な魔法使いになろう。

 


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