東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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ブクレシュティの小さなお手伝い

 リットホーヘンの癲狂院を抜け出してから、早くも一ヶ月が経った。

 あれから私はウントインゲさんのお店に住まわせてもらうことになり、彼女のお手伝いをしながら生活している。

 ウントインゲさんは優しく、私が幻を見つめることについても理解があるのか、不気味がられることもない。

 癲狂院から幼子が脱走したというのに、いまだにここブクレシュティまで私の捜索願が出されていないことには一抹の寂しさも覚える。

 それでもウントインゲさんとの新たな生活は、私の心に空いた穴を補って余りあるものだった。

 

 ウントインゲさんは魔法使いだ。

 最初は何かの冗談かと思っていたけれど、彼女は本物の魔法使い。手品でもなければ幻でもない。

 火種がなくとも火を熾せるし、水を汲まずとも桶を満たせる。

 魔法が実在すると知った時の私の衝撃は計り知れない。初めてウントインゲさんの魔法を見た時、驚きのあまりテーブルに足の小指をぶつけてしまったくらいだ。あれは痛かったわ。

 

 そんなウントインゲさんが暮らしているのが、ブクレシュティの片隅でひっそりと営んでいる魔法のお店だ。

 魔法で作ったお薬やお菓子などが主な商品で、時々衣服や小物の修理なども行ったりする。

 ウントインゲさんの肌の色や顔立ちはこの街ではあまり見かけないものだけど、お喋り好きで気さくなウントインゲさんは、どうにかブクレシュティの人々にも受け入れられているようだった。

 移民の人には風当たりが強い街なのに、そこに溶け込めるなんて、本当に凄いと思う。

 

「はあ、これがすれた都会人の気持ちってやつなのね」

「アリス、変なこと言ってないでちゃんと手を動かしなさい」

「はーい」

 

 私はウントインゲさんのお店のお手伝いだ。

 朝から焼き菓子の支度を手伝い、昼間はお薬の配送やお店番をして、夜はお薬の調合を手伝う。

 私は元々手先が器用だったし、お菓子も好きだったので少しも辛くはなかった。

 時々、ウントインゲさんが私に魔法のことや色々なお話を聞かせてくれるので、空いた時間でも退屈することはない。

 

「今日はもう雨だから……魔法の勉強、する?」

「する! ……します!」

「ふふ、勉強好きね。良いことよ」

 

 時々教えてくれる魔法の勉強は、特に好きだった。

 便利で素敵な魔法を使えるようになりたいという気持ちは当然あったし、何より私が普段見ているようなふわふわと浮かんだ幻が、魔法と深く関わった現象であるということをウントインゲさんが言っていた事も大きかった。

 私のように幻を見れるような人は、魔法使いに向いているのだという。

 

 普段はただ、ぼーっと見ることしか出来なかった幻の世界を、もっとよく見ることができる。

 あるいは、その美しい世界に触れることが出来るかもしれない。

 

「魔法使いの勉強だけがいいなぁ」

「だーめです。ちゃんとお店を手伝って、魔法だけじゃなく他の勉強もやらないと」

「むう」

 

 私はお店の手伝いを頑張りながらも、それ以上に魔法のことについて熱心に頭を働かせていたのだった。

 

 

 

 ウントインゲさんは、妙齢の女性、というやつだ。

 とても綺麗で話し上手なので、近所でも評判だし、男の人にもモテモテである。彼女が街に来てまだ何年も経っておらず、結婚もしていないことも大きな理由だろう。

 なので、私がお手伝いとして働き始めてからというもの、時々男の人が私を訪ね、ウントインゲさんへの贈り物などは何が良いかとかをひそひそと聞くことがある。

 ウントインゲさんに直接聞けばいいのにと思わないでもなかったけれど、私はその度に「綺麗な外国のお人形」と答えている。

 今では私の部屋の窓辺には何体もの新しい人形が並んでいた。

 

「贈り物は嬉しいけど、人形ばかりというのも考えものよね……」

 

 しかしウントインゲさん自身は、あまり人形には興味がない。

 週や月毎に増える人形達に、少し辟易さえしている風であった。

 

「私は人形、嬉しいけど……」

「うーん……まあ、アリスがそう言ってくれるだけ、この子達も無駄にならなくて良かったのかなぁ」

「……人形、私の部屋に置いていい?」

「ええ。アリスは時々、人形の修理もやってくれるしね。勉強道具だと思って、好きにして良いわよ」

「やった!」

 

 こうして私は、自分では買えないような高そうな人形達を、定期的に蒐集していたのであった。

 

 この不自然な人形プレゼント異変は、ウントインゲさんが事の経緯に私が絡んでいたことに気付いて、私のほっぺを抓り回すまで何度か続いた。

 あれは痛かったわ。

 

 

 

 ウントインゲさんの私に対する認識が、意外と油断ならない悪戯っ子であることに変わってからも、私のブクレシュティでの生活はそう大きく変わることなかった。

 

 相変わらずウントインゲさんは丁寧に勉強を教えてくれるし、相変わらずお店の掃除は私の役目だ。

 焼き上げた後に一個だけつまみ食いするお菓子の味も普段通りだし、私がシチューを作った時に自分の分だけ山菜を取り除いても気付かれないのも、いつも通り。

 この前、二週間も窓拭きを怠けていたことがばれて、こっぴどく叱られてしまったけれど、それ以外にはほとんど変わらなかった。

 

 変わったのは、私がきちんと掃除をするようになってから更に一ヶ月後のこと。

 

 なんと私は、魔法を使えるようになったのだ。

 

 

 

「見て! 見て! ウントインゲさん、これ!」

「……わあ、まさか本当にできるなんて……」

 

 魔法の勉強はずっと続けていた。

 自分の魔力を感じ取ること、周りの魔力を感じ取ること、それらを動かして自在に操ること。

 覚えるばかりで使えるようにならないから、ここ暫くは悶々としていたけれど……私もついに、魔法が扱えるようになったのだ!

 

 宙に浮かぶのは、仏蘭西人形。

 私の魔法によってふわふわと灰のように浮かび、舟のように揺れている。

 そして、少しずつだけど……確かに動かせる。

 私の魔法の初成功を見て、ウントインゲさんはとても驚いているようだった。

 

「ねえねえ、ウントインゲさん! どう!?」

「すごいわ、アリス。こういうことができるようになるまで、私はものすごく時間がかかったのに……」

「えへへ……」

 

 大人に褒められること。大人に驚かれること。

 どちらも経験したことはあるけれど、ウントインゲさんに褒められ、驚かれたことは、私の生まれた中で一番うれしいことだった。

 

「ねえねえウントインゲさん、これで私も魔法使いよね? ウントインゲさんみたいな都会派の魔法使いになれたよね?」

「むっ……アリスー、ちょっとうまくいったからって調子に乗るのはだめよー」

「あー、取らないで!」

「うふふ、ほらほら、逃げ出せるかなー」

「むぅうう!」

 

 せっかく頑張って浮かせていたのに、人形がウントインゲさんに取られてしまった。

 人の手に取られてしまうと、人形はそれ以上動きようがない。私が必死になって抜け出そうとしているのを、ウントインゲさんは意地悪な笑顔で眺めていた。

 

「そうね……魔法使いを名乗るにはまだまだだけど、魔法使いの弟子くらいなら、名乗っても良いかもね」

「あっ……」

 

 ウントインゲさんは人形を手にしたまま、私の頭をぎゅっと抱きしめた。

 涼しくて薬っぽい香りに包まれると、不思議と怒っていた気持ちがすぐに萎んでしまう。

 

「おめでとう、アリス。良く頑張ったね」

「……ん」

 

 意地悪なことをされたけれど、ウントインゲさんはもう一度、ちゃんと私を褒めてくれた。

 

 どうしよっかなーと思ったけど、誠意は感じたので、特別に許してあげようと思う。

 

「……ウントインゲさん」

「んー?」

「ケーキ買ってください」

「……んー、それじゃあ、今日だけね」

「やった!」

 

 言ってみるものだわ!

 

 

 


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