東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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リットホーヘンより都会を目指して

 私はアリス・マーガトロイド。

 どこにでもいるような、ただの小さな女の子。

 

 そう思っていた時期もあったけれど、私には他の人には見えないような幻が見えるらしく、普通の女の子として生きてゆくことは10歳までが限界だった。

 両親は見えないものを見つめる私を気味悪がり、ブラショブから離れた癲狂院へと、私を押し込めたのである。

 

 不衛生な癲狂院では、誰もが早死にするのだという。

 狂人の巣窟に放り込まれた私は、自らの無意味な人生に一時絶望しかけた。けれど、その最中でどういう巡り合わせか、はたまた幸運か、私は牢から脱け出す機会を手に入れてしまった。

 

 お父さんとお母さんは、私を捨てた。

 私には帰る場所がないし、無理矢理帰ったところで、二人はまた私を鉄檻の中に放り込むかもしれない。

 

 それでも私は癲狂院を飛び出して、外の世界へと足を踏み入れた。

 小さな私にはまだ早すぎる冒険だとわかっているけど、どうせ鉄檻の中にいたって死を待つだけなのだ。

 どうせ死ぬなら、私は外の世界を見てから死ぬことにする。

 

 嬉しいことに、旅のお供には幾つかの人形も一緒なのだ。

 楽しいことをするのも、運悪く死んでしまう時も、一人ではない。

 

 そんな感じでリットホーヘンの癲狂院を意気揚々と脱走し、私はすぐにブクレシュティを目指した。

 ブラショブでは両親に見つかるかもしれなかったし、一度でいいからこの目で都会を見てみたかったのである。

 

 

 

 ついに始まった私の旅。

 やる気はあったし、方角も間違っていなかった。

 時折見かける幻が道標になってくれたし、近道だって教えてくれた。

 

 けれど唯一誤算だったのは……小さな女の子が何十キロも歩き通すのは、無茶が過ぎていたということかしら。

 

 足を傷ませる凸凹した悪路に、容赦なく体温を奪ってゆくささやかな風雨。

 初めて真正面から体当たりする大自然は、絵本と人形だけを持った少女には、当たり前ながらも優しくはなかった。

 

「ふ、ふふ……なんだか……ただの、か弱い女の子に、なれたみたい……」

 

 化け物だとか、気持ち悪いだとか言われた私も、こうしてみればただの子供だ。

 微熱に浮かされた曖昧な意識の中で、私は人並みな自分を再確認し、何だかそれだけで満足になってしまって、全身から力を抜いてしまった。

 

 誰も通らない道で静かに倒れ込み、そよ風と優しい雨に、ゆっくりと命を溶かしてゆく。

 私は眠る間際に、自分の死を悟った。

 

 

 

「ん……」

「あら、起きた?」

 

 目を覚ますと、そこは思いの外質素な天国だった。

 草葺きの天井に、藁のベッド。いいや、ひょっとするとこの清貧が過ぎる場所こそが、かの悪名高い地獄という場所なのかもしれない。

 

「私、死んだのね……」

「生きてるわよ?」

 

 声に気付いて横を見やると、そこには褐色肌の女性が私に微笑んでいた。

 

 日に焼けたような黒っぽい肌に、そこに色を吸われてしまったような綺麗な銀髪。

 見慣れない風体に目鼻立ちだけど、私は彼女のような人種を幻の中で何度となく目にしている。

 

「私、生きてるの……?」

「もちろん。辺鄙なところで倒れていたから、最初は死体だと思ったけどね」

 

 死んでいない。まだ生きている。

 私は自分の顔を触って、すり抜けないことを確認した。

 銀髪の人はそんな私を、どこか微笑ましそうに眺めている。

 

「あなたが、私を助けてくれたのね」

「ええ、山菜集めのついでに触媒も採取してたら、偶然ね」

 

 女性はすぐ側にあった編み籠から一本の山菜を見せてくれた。

 ほろ苦くて、私の嫌いなやつだった。

 

「私の名前はウントインゲ。街で魔法のお店をやっているの」

「ウント……? 魔法使い……?」

「あなたの名前は? どこから来たの?」

「あっ……えっ……その、私、アリス・マーガトロイド。お家はブラショブ…」

「いい名前ね。お家は随分遠くにあるんだ、大変だったでしょ」

「あ、その……」

 

 矢継ぎ早に質問されて、少し息苦しい。

 私を見つめるキラキラした目も、ちょっとだけ眩しかった。

 

 それに、さっき聞いた彼女……ウントインゲさんの「魔法使い」という言葉も気にかかる。

 私の頭は、質問に答えようとしたり、魔法使いについて考えようとしたりで、また熱を持ちはじめそうだった。

 

「ふふっ……ごめんね。気になると私、つい聞きすぎちゃって」

 

 そんな私に気付いたのか、ウントインゲさんは一歩離れるような柔らかな笑顔を浮かべ、そっぽを向いた。

 続いて食器のようなカチャカチャという音が聞こえてきて、私はそれが気になり、重だるい体を持ち上げる。

 

 ウントインゲさんは草葺の庵の隅っこで、小さな鍋を温めているようだった。

 

「お腹、空いたでしょう? お粥食べなさい」

「……ありがとう、ございます」

 

 鍋いっぱいに作られたお粥が、木製のお皿にとろりと注がれる。

 ほのかに甘い香りの漂うお粥の中に、沢山入ったほろ苦い山菜。

 

 私の苦手なオートミールに、私の嫌いなくたくたの山菜。

 

「はい、あーん」

「……あーん」

 

 けれどこの日に食べたそれは、不思議なくらい美味しかった。

 

 

 

 ウントインゲさんは、ブクレシュティに店を構える魔法使いなのだという。

 こちらへは魔法の素材や山菜を集めるために出向いていたらしく、私を見つけたのは本当に運が良かったのだとか。

 もしも私があのままウントインゲさんに見つけてもらえずにいたら……きっとくたくたの山菜みたいになって、死んでいたのだろう。

 

 ウントインゲさんはよく私のことを尋ねてくるので、私がこうなったことの経緯は洗いざらい全て話すことになった。

 

 奇妙な幻が見えること。

 それが原因で両親に捨てられたこと。

 人形だけはそばにいてくれたこと。

 癲狂院を抜け出したこと。

 

 全て話すと、ウントインゲさんは優しく私の頭を抱きしめて、慰めてくれた。

 ウントインゲさんはハーブのような香りがして、とても心が落ち着いた。

 

 全てを話すと、ひょっとしたらまた癲狂院に連れ戻されてしまうんじゃないかと思っていたけれど、どうやらウントインゲさんはそのようなことはしないらしい。

 私が両親のいるブラショブにも、当然癲狂院にも戻りたくない事を話すと、ウントインゲさんは「そんなことはしない」と確かな口調で約束してくれた。

 それどころか、行くあてのほとんど無いような私を引き取り、ブクレシュティにある自分の家に住まわせてくれるとまで言ってくれた。

 

 

 

「どうして、私にそこまでしてくれるんですか?」

 

 ブクレシュティへと向かう道すがら、私は純粋に疑問だったのでそう訊ねると、ウントインゲさんは私の頭を撫でながら微笑んで、ただ「いいの」とだけ返した。

 私はウントインゲさんの気持ちがよくわからなかったけれど、彼女はとても良い人だということはなんとなくわかったので、それ以上は何か思うこともなく、ただ南を目指して歩き続けた。

 

 

 

 故郷を離れ、見知らぬ都会へ。

 親も家もない土地へと向かうのは、もちろんそれなりに不安だったけれど。

 

 私の手を握ってくれるウントインゲの温もりと、沢山の人形たちが一緒にいてくれるなら、不思議とそこまで寂しくはなかった。

 

「わあ……」

 

 晴れ渡った空に、大きな幻が雲と一緒に流れていた。

 

 そこに映る景色は、石レンガで組み上げられた大都会。

 夕焼けなのか、赤い空の下にどこまでも続くかのような建築物ばかりの高度な街並みは、私が想像するブクレシュティのように、とても華やかなものであった。

 

 

 


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