ブックシェルフ内部は街になっていると言っても良い。
自然豊かな庭園部の他に、本を貯蔵するための市街部や本を記すためのスフィアが安置された中央部など、立方体の空間はそれなりに施設で埋まり、とても賑やかだ。
ある意味でこの四角い構造物内は、小さな魔界であるとも言えるのかもしれない。
自給自足をするにはかなり厳しいが、食料を必要としない存在ならば快適な図書館街と言えるだろう。
また神保町に行きたいな。東京いつ出来るんだろう。ていうかまだ大和朝廷できてないわ。気長に待つか。
「……おや? 見ない顔ですね。こんにちは」
「あ、どうもこんにちは」
刻印のスフィアに向かう途中の通路で、魔人らしき男性とすれ違った。
どこか紳士な雰囲気の漂う、良い感じのナイスミドルである。
挨拶をされたので、反射的に私もお辞儀を返す。
「魔都からお越しの方ですね。ブックシェルフへは来られたのは、初めてでしょうか?」
「いいえ」
まず魔都から来てないし。初めてきたわけじゃもちろんないし。むしろここ作った人ですしおすし。
何から否定したらいいのかわからなすぎて、私は簡潔に答えるしかなかった。
「ふむ……? 失礼、私の記憶違いかもしれません。お名前を窺っても?」
ナイスミドルは胸元から小さな帳面を取り出して、じっくりと見定めるように私の顔を見つめてくる。
まるで入念な観察の後に時価でもつけてきそうな振る舞いだが、相手の当たりの柔らかさからしておそらく魔人だ。単純に私の名前を聞きたいだけなのだろう。
対応の仕方からして……彼はこのブックシェルフを管理してくれている魔人なのだろうか。
私や神綺から頼んだ覚えはないが、ここの存在が広まれば自然と司書も集まってくるのかもしれない。
「私は魔界の偉大なる魔法使いライオネル・ブラックモア」
「ライオネル……ブラックモア?」
いつものように私が名乗ると、彼は驚いたような、訝しむような目つきに変わった。
さすがに私の署名が入った本も多いのだ。信じてくれると思いたいが。
「失礼。ライオネル様は……このブックシェルフに多くの書物を寄稿されていたお方で?」
「うむ。いや、寄稿というか……まぁ、寄稿っていうのかな?」
「なんと……これは失礼しました。まさか偉大な随筆家であるライオネル様に出会えるとは……」
「偉大な魔法使いね」
「どうぞこちらへ。ああ、よもやこうして直接お話できる機会が訪れるなどとは夢にも……」
色々と言いたいことがあったんだけども、ナイスミドルは私の名を聞いたきり自分の世界に没入してしまったようで、さっさと奥へと歩いて行ってしまった。
……まぁ、そりゃ私も自分の名前を知られているのは嬉しくはあるけども。
“偉大なる随筆家”って、私の望んでいたものとちょっと違う気がするんだよなぁ。
「ここブックシェルフへは、様々な都市から蔵書を求めて魔人がやってくる他、魔都からも多くの悪魔たちがやってきます」
「ほうほう」
刻印のスフィアを前にして、私は先ほどの魔人男性の話を聞いている。
そして予想通り彼は魔人であるらしく、他にもここには二、三十人ほどの魔人が勤めているのだとか。
管理する人数の多さにはびっくりである。
「我々は各魔界都市から選ばれた司書です。このブックシェルフにおける蔵書の数々を管理する他、寄稿された書物の追加作業を行っております」
「ああ、やはり寄稿されているのか」
「もちろんです。近頃は魔都から寄稿される書物が多く、司書を増員しようかと検討しているところなのですよ」
球体の自動印刷機、刻印のスフィア。
その周囲を取り囲むように配置された数多くの本棚には、無数の書物が納められていた。
もちろんここにも私の書き記したものは多く存在するが、遠目から見ても“何だコレ”と思えるような、見覚えのない書物も沢山並んでいる。
そんな本棚を整理しているのだろう。何人かの魔人が宙に浮かびながら、書物の入れ替え作業を行っていた。
……なるほど。本の寄稿は魔都からが多いのか……。
ああ、そういえば魔都はやたらと自伝を作るのが好きだったか。確かに言われてみれば、納得できる状態だろうか。
試しに一つの棚に歩み寄って軽く背表紙を眺めてみると、見たことも聞いたこともない誰かさんの武勇伝やら征服譚やらが沢山置かれていた。
中には魔界創造秘話とかそんなロックなものまで置かれている。
私の他にも魔界が作られた謎を解明した魔法馬鹿がいるのかとも一瞬期待してしまったが、本の厚さが二センチもなかったので、手に取るのもやめておいた。
なんかここに寄稿された本、胡散臭いものばっかりな気がするな……。
「ライオネル様が書かれた本はどれも、書体が古いながらも内容が整っていると評判が高いです。影響を受けた方も多いことでしょう」
「いやぁそれほどでも」
「かくいう私も、ライオネル様の書かれた“白夜”のファンでしてね」
「おお、読んでいただけたか。これはちょっと嬉しいような、恥ずかしいような」
「いやいや」
まぁあれだけ長い間話を考えまくっていたのだ。本一つにしたって、人間の文豪がかける時間の何倍も何十倍も使っている。
それで面白いものが書けなかったらさすがの私も立ち直れませんわ。
「……ところで、そういった物語の他に……」
「はい? なんでしょうか」
「私は他にも、魔法に関する書物を多く書いたと思うんだけど……そちらの方は、どうだったかな? 何か、感銘を受けたり魔法観が変わったりとか……」
「ああすみません。魔法関係の書物はどうも難解なものばかりでして、ほとんど……」
「あ、そうですか。はい」
おのれ。物語ばかり読みおってからに。
私のファンを自称するなら魔法に関する考察集もちゃんと読んでくれませんかね。
“魔力を持つ灰と魔力のない電流”なんて特に傑作だからな。あの全五十八巻を読んでくれた人には“不蝕不滅”をかけた私のサイン色紙をプレゼントしてあげるぞ。
「はぁ……しかし魔法使い以上に、随筆家として名が広まるというのはあまりよろしくないな……」
久々に刻印のスフィアの整備をしながら、音だけのため息を溢す。
これまでのブックシェルフの状況を教えてくれた魔人の男性は、自分の仕事があるのだろう。今はここを離れ、近くにはいない。
一人になった私は、かねてより気がかりだった刻印のスフィアの圧力を微調整する作業に入っていた。
「書いているものは高度なはずなんだが……やはり魔法に関しては、魔人からよりも悪魔相手のほうが理解が得られるのだろうか……それはちょっと悲しいぞ……」
ぶつくさ文句を言いながらもスフィアを開き、内部に蓄積された履歴の呪いを展開する。
すると空中に帯状の魔力文字が走り、これまでに記された書物の題名や著者の名前が明らかとなった。
「えーっと、合計印刷数は……うわ、こんなに使われてたのか。どうりでちょっと摩耗してるわけだ」
どんな大きさでも、どんなページ数でも印刷できる魔導装置、刻印のスフィア。
保護の魔法をかけてはいても、長年魔力を用いた稼働を続けていくうちに、内部の幾つかの場所には明らかな劣化が見られていた。
最初はどこぞの心ない悪魔がスフィアを全力でぶん殴ったのかとも疑ったが、これほど絶え間なく稼働させていれば機能が多少劣化するのも無理はない。
履歴を見れば、そこにはなんと一人で何千冊も印刷しているようなアホみたいな悪魔らしき名前の奴がごろごろと連なっている。
こいつらか、私の作った刻印のスフィアをメンテもせずに使い倒そうとした間抜け共は。
何が“魔界最強列伝”だ。こんな本を三千冊も印刷するなら自分で活版印刷でも発明しろや畜生が。お前の名前は覚えておくぞ。最強の座をかけていつか私が勝負してやろう。
「……んー、お?」
しかし本の名前を流し読みしていくと、いくつか知っている……かもしれない名前も伺えた。
“魔界旅行記”という本を二十冊印刷した人で、ルイズという名前が記録に残っているのだ。
以前私は、同じ名前の旅人と出会ったことがある。
……同一人物だろうか。だとすればこの“魔界旅行記”、ちょっと読んでみたいかもしれないな。
まぁもちろん、それは後でも良いのだが。
あまり掃除中に出てきたものを読むのはよろしくない。先に済ませるべきことを済ませてしまうとしよう。
「……“魔都の災禍”……“双子悪魔のその後の行方”……“絶対破壊者の移動周期”……ふむ?」
しかし、先程から履歴を見ると、最近は何やら物騒なタイトルの書物が多い気がする。
もちろん血の気が多いという意味で言えば、いかにも“俺様が最強だぜ”といったなんちゃって武勇伝達もそうなのではあるが……。
それとは別に、何か……ある種の恐ろしいものを言い伝えるような、純粋な書き物としての履歴が多数見られるのだ。
そしてそれらには共通点があり、“双子”であるとか、“姉妹”であるとか……双子姉妹を連想させる対象に畏怖の念が寄せられているように窺える。
そこからの繋がりで読み取れるのは、魔都がヤバいだとか、悪魔で一番ヤバいというような少々血なまぐさい情報である。
……仮に魔都にとんでもなく強い悪魔が居たとしても、紅魔館が破壊されるとは思えないし、契約を逸脱できるなんてことも全く思わない。
しかしこれほど沢山の本が刊行されるほどの恐れられっぷりともなると、尋常ではないな。
私が魔都を離れてから何十年か……何百年か経っている。
見ない間に、何か事件でもあったのだろうか。
「小悪魔ちゃんのことも気になるし、ちょっと様子を見てくるか」
魔都パンデモニウムの様子も丁度気にかかっていたところだ。
魔界から離れるほど暇というわけでもないし、いい機会だ。ひとまず紅魔館を訪れてみるとしよう。