東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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遺骸王の休日


 

 魔界上空を漂う巨大氷土は、魔界の生物圏の増大に伴い、その数を無数に増大させていた。

 魔界に満遍なく雨を降らせるという都合上、たったひとつの氷土だけではとてもではないが手が回らない。

 それに巨大すぎても地上に大きな影を生み出してしまうので、氷土は数多く、細かくした上で点在させる必要があったのだった。

 

 もはやそれは固形化した雲でしかなく、だったら雲を生み出してやれば良いんじゃないかと気づいた頃には時既に遅かった。

 なんともまぁ効率の悪い降水装置だったが、既に魔界に定着してしまい、引き返すことはできない。

 なので私は、魔界の上空を漂う無数の氷土を、それはそれで魔界っぽくて良いんじゃないかと開き直ることで放置していたのだった。

 

 が、その中でも唯一、ちょっと扱いに困る浮遊凍土が存在した。

 

 私と神綺が一番最初に作成した、巨大浮遊氷土である。

 

 

 

「まさか、魔人が氷を採掘するために立ち寄るとは思わなんだよ」

「はい。私もまさか、進んで誰かがここに来るなんて思ってもいませんでした」

 

 私と神綺は、巨大浮遊氷土を訪れていた。

 前にヘカーティア・ラピスラズリが訪問した時に立ち寄って以降、初めての訪問である。だがその時でさえもただ迎えに来ただけであったので、興味深く氷土を観察することはしなかった。

 故に私たちは気づけなかったのだろう。既にあの頃には、氷土には着実に変化が訪れていたのだが。

 

「あー、神綺、ここだね。間違いない。まるで水が滝のようだ」

「あらら……やっぱり目立ちますね」

 

 私と神綺は氷土の裏側、日が当たること無い常闇の中で、氷土の異常を発見した。

 氷土の裏面から絶え間なく流れ落ちる、巨大な滝のような膨大な水だ。

 見つけ出すのは、灯りさえ扱えればさほど難しいことでもなかった。

 

「度重なる砕氷と、降雨の促進。それを悪いとは言わないけども……うーむ。これはちょっと酷いなぁ」

「ぽっかり広がってますねー」

 

 浮遊氷土は、その巨大な全体を少しずつ溶かすことによって地上に雨を齎す存在だ。

 つまりちょっとずつ溶ける空飛ぶ氷である。それ以外にはこれといった特徴もなく、叩けば割れるし砕けば砕ける、本当にただの氷でしかないものだった。

 

 だからこそこの凍土は、一部の魔人や悪魔達にとってはかけがえのない資源となったのだろう。

 

 魔界は広大である。かつてのクロワリアのように、水の少ない砂漠のような場所も決して少なくはない。

 確かに、水の触媒を用いた水生成の魔法はそこそこ一般的であるし、それによる水の確保も難しいことではない。

 だが、空に浮かぶ浮遊氷土を軽く削ってやりさえすれば、何も無理に魔法を使う必要なども無いのである。

 

 触媒を用意して魔法を使い、水をちょろちょろと生成するよりも、空に浮かぶ巨大な氷を採掘して落っことす方が遥かに効率がいい。

 いつからは魔界の人々はそのことに気付いて、もっとも大きな氷である巨大浮遊氷土を削るようになったのであった。

 

 もちろん、ただ少し切り出すくらいならば問題ない。

 ただの砕氷だ。その程度であれば、私達もこうして動くことはなかっただろう。

 

 だが最近起こったひとつの事件は、私と神綺が動かざるを得ない程度には、そこそこ面倒くさい規模にまで膨らんでしまったのであった。

 

「うわー、やっぱり溶けてるよ」

「わあ。なんだか海みたいですね」

 

 私と神綺は同時に瞬間移動を使い、丁度氷土の下から、その真上の位置にまでやってきた。

 そこに広がっていた光景はある意味美しかったのだが、地上への影響を考えると凄惨の一言に尽きる。

 

 一面にびっしりと覆っていた分厚い氷はその半分ほどが融解し、巨大な海へと変貌していたのであった。

 

「こりゃ雨が止まないわけだよ」

「ヴィナの海が急速に広がったのは、これが原因で間違いないみたいですね」

「ああ、きっとそうだろう。」

 

 氷土の裏面にはいくつかの大穴が空き、そこからは夥しい量の水が地上へと降り注いでいた。

 地上、特にヴィナと呼ばれていた小さな海はその影響を強く受けており、上空を旋回する凍土やパンデモニウムが及ぼす長い日陰の影響も相まって、海は瞬く間にその規模を拡大、あまりに急激な地形の変化は一帯の生物をそこから追い出す結果を生み出していた。

 

 もしもサリエルがこの状況を発見していなければ、私たちはヴィナの海が魔界最大の海洋になるまで事態に気づかなかった事だろう。

 

「氷土が溶けたのは、やはり悪魔達の手によるものなのでしょうか?」

 

 神綺は両手を擦り、白い息をほわあと吹きかけながら私に訊いた。

 魔神とはいえ、さすがに氷土の上はそれなりに涼しいようである。

 

「うむ。魔人という線もあるけれど、ここまで大規模な融解ともなると、悪魔が手を出した可能性が濃厚だろうね」

「炎を生み出して、一気に?」

「だと思う。大方、とりあえず大量の水を用意したくてやったんだろう。大雑把なやり口がいかにも悪魔って感じがするよ」

「あはは、確かに」

 

 悪魔も悪魔で、何の目的もなくこういったことをするわけではない。

 おそらくこの氷土を溶かした悪魔は、純粋に水が欲しいからやっただけなのだ。

 

 色々なものを顧みないやり口は月の民を彷彿とさせるが、私の中ではこれといって怒りは湧き上がらなかった。それは隣で笑う神綺も同様であるらしい。

 というのも、この程度の規模ならば魔界規模で言えば笑い話に過ぎないのだ。

 

 原初の力が振るえない外界とは違い、この魔界であればいくらでもやり直しが効く。

 地形が変わり、氷土の大半が融解したことはちょっとショックではあったものの、これもまた魔界らしい風景のひとつであると言えよう。

 もちろん、大洪水など起きてしまっては目も当てられないので、その対処には私達も動かなければならないのであるが……。

 

「ねえねえライオネル」

「うん? なんだい神綺」

「この氷土、どうせだったらこのままにしませんか?」

「ええ?」

 

 神綺の提案に、私は思わず顎を半開きにしてしまった。

 

「巨大浮遊氷土の扱いには、以前から悩んでいましたよね。でしたらいっそのこと、氷土をここに駐留させ続けてはどうかと思ったのです」

「……ふむ」

 

 なるほど、確かに神綺の提案は、案外良いものかもしれない。

 

 この巨大な浮遊氷土は確かに雨を降らせるが、地上に大きすぎる日陰を生んでしまうために、同じくらい良い迷惑だとも聞く。

 細かな浮遊氷土が点在する現状、無理にこの氷土を正常化させる意味合いも薄い、のかもしれない。

 

 ……どうせ今、このヴィナの海は取り返しの付かないところまで環境が変化しているのだ。

 ならばいっそのこと、浮遊氷土をこの場所に押し付けてしまうのもアリかもしれぬ。

 

「確かに。結構良い案かもしれない」

「じゃあ、氷土はここに?」

「うむ。せっかくだ。神綺、一緒に固定化作業を手伝ってくれないかな」

「もちろん、喜んで!」

 

 そんなわけで、私たちは氷土の問題処理から一転、問題を現地に押し付ける作業へと移行することになった。

 

 その作業の途中でサリエルから“お前たちは一体何をしているんだ”と呆れ返るようなツッコミが入ったが、それもまぁ大体、いつも通りのことである。

 

 

 

 月の事件以降、サリエルとの間にこれといった軋轢も生まれていない。

 彼女はむしろこれまで以上に、精力的に魔界のために働いてくれているようにも思えた。

 

 おそらく西暦元年。

 現代まで残り二千年程度になる今でも、魔界は昔ながらののほほんとした時の流れを見せていた。

 


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