東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ヤゴコロを救う。そのためには、私がライオネルを納得させるだけのものを提示しなければならない。

 

 ……だが、それはライオネルのさじ加減ひとつでどうにでもなることだ。

 

「サリエル様……」

 

 僅かに顔を逸らし、後ろで座り込むヤゴコロを見る。

 私の記憶と寸分違わぬ美しい姿。だが震える彼女は弱々しく、縋るような目で私を見つめている。

 

 ……ああ、ヤゴコロ。

 再会を……この気持ちを。

 

 ……いいや。だが今は、その時ではない。

 彼女は今、おそらくは最大の危機に晒されているのだ。

 

 今は、ヤゴコロを救うために頭を働かせる時。

 

「……ライオネル。まずは確認をさせてほしい。全ては決した後だろう? お前にもその程度の時間はあるはずだ」

「構わないよ。鎮圧は済んだからね」

 

 平坦。かつ、平静な口調。

 ……我を失って怒り狂っているわけではない。だが、怒っていないなどということは全く無いだろう。

 こいつがこんなにも、魔法使い以外の者に執着しているのだから。

 

「地上が赤く染まったのは、ライオネル。お前の魔法の影響だな?」

「うむ。“血眼”を使った」

「……やはりそうだったか。魔界に神族の有力者達が押し寄せてきて、少々対応に苦労したぞ」

「おっと、そうだったか。それは手間をかけさせたね。それで?」

 

 ……魔界に話を逸らそうとしても、これか。

 怒りを徐々に鎮めることは難しいらしい。……どうするか。

 

「ライオネル……問答をする時間もあると見える。であれば答えてもらいたい。ヤゴコロをどうするつもりだ?」

「磔にする」

 

 悪びれも躊躇もせず、彼は私の前でそう言った。

 私がヤゴコロの話をしたことも当然、覚えているはずなのに。

 

「そいつは月の都でもかなりの地位にある開発者だ。彼女を磔にし、永劫に苦しむさまを見せつければ、今後もこのような事は起こらないだろうさ」

 

 ……ああ、そうだな。

 ライオネル、お前は確かにそういう奴だったな。

 

 魔都の地下に眠る魔力生産施設も、お前の涙の書に記された忌々しい魔法の数々も、全てはお前が考え、認め、実現に漕ぎ着けたものだ。

 新月の書をはじめとした魔道書の“強制”効果も、全てお前の仕込んだものだった。

 お前がたった一人の気に食わない命を相手に、手加減を加える理由など存在しなかったな。

 

 ……もとより、ライオネルは残虐さを隠そうともしない人物だ。

 以前にライオネルが本気か冗談か、地下深くに何千万年も封じられていたようなことを語ってくれたことがあったが……その経験が、他者への苛烈な攻撃に関係しているのかもわからん。

 いや、それは今考えても仕方がないか……。

 

「ライオネルよ。それはあまりにも残虐過ぎはしないだろうか」

「うん?」

「恐怖による抑制。それはわかる。だが私には、個人に大きな苦痛を与え続けなければ保てないほどのものとは思えない」

 

 月を動かした首謀者はヤゴコロだということだ。

 彼女は非常に聡明だ。月を動かし魔力を封じた。それは誰にでも出来ることではない。

 しかし、もっと他にやりようはあるはずだろう。ヤゴコロが過度に苦しまなくてもいいような、そんなやり方が。

 

「他の手段があるということかね」

「もちろんだ。破壊の出来ない碑文を残すなりすればいい。月の禁忌の周知で言えば、それで十分だ」

 

 ヤゴコロを磔にして何になるというのか。

 言ってわからぬ魔族を相手にしているわけじゃあるまいし、そのような手段を採る必要はないだろう。

 

「確かにそうだな。しかしサリエル、それはヤゴコロが月に関して何の知識も無かった場合の処罰だろう」

「……どういうことだ」

「ヤゴコロは月をよく知っていたはずだ。その力も、運行も、神秘の一部でさえも。そして、月の運行が変わることによって生まれる影響も」

 

 ……ああ、そういうことか。

 

「知った上で尚、月を動かした。そのような魔族の如き勝手極まる連中には、私はこのくらいの罰で丁度いいと思うのだがね?」

 

 ライオネルはそう言うと、また人一人分の岩を魔法で持ち上げては、月の岩と同じ皿へと放り込んだ。

 

「秀でた頭脳を持っているのにも関わらず、この方法に手を出した。そのような天才に次があるのだろうか、サリエル」

「……それは」

 

 ……相変わらず容赦のない。

 

 だが、確かに月を動かすということは重罪と言える。

 海を変え、重力を変え、生物相を大きく変えてしまう。魔力を抜きにしたとしても、月の変化はそれほど大きな意味を持つのだ。

 

 地球が赤く染まるという大規模かつ奇怪な現象が起こらなければ、今頃この月面には大勢の神族達が集結していたことだろう。

 もちろん、この月の……高天原もある程度の備えはしているだろうが……天界中の本気になった神族達全てを退けられるとは思えない。特にメタトロンやヘカーティアから同時に攻め入られれば、似たような状況にもなっていたことだろう。

 

 ……ある意味で、今は救われているのやもしれん。

 だが、犠牲になるのがヤゴコロでは駄目なのだ。

 

 もちろんわかっている。全ての首謀者はヤゴコロに違いないだろう。

 だがそれでも、私は彼女を守りたいのだ。

 

「……ヤゴコロ」

 

 ライオネルの背後に立つ巨大な秤は、奴の心の現れだ。

 もとよりライオネルの中では答えが弾き出されており、今はただ私に“理解するための時間を与えているだけ”に過ぎないのである。

 ライオネルはどうしてもヤゴコロを磔にしたいらしい。

 

 何か……何か考えなければ。

 

 そうだ。

 

「……不可抗力。かもしれないだろう」

「うん? それはつまり?」

「それは……そこの、黒髪の乙女」

「な、なにっ?」

 

 私はヤゴコロの後ろでへたり込んでいた女に目をやった。

 彼女は私がやってきたからずっと口を噤み、私とライオネルのやり取りを薄目で静観していた。

 意識はあり、心も折れていない。そしてこの一件に無関係ではない程度の雰囲気も感じられる。彼女からならば、聞けるはずだ。

 

「お前は、何故ヤゴコロがこのような……月を動かすに至ったのか、その経緯を説明できるか」

「え、ええ……できるわ。多分……」

 

 少々心許ないが、やはり事情は知っているらしい。

 そしてライオネルは口を挟まなかった。どうやら説明するだけの時間は与えてくれるようだった。

 

「エイリンは……地上からの。地上の純狐っていう妖魔から都を守るために、月を動かしたのよ」

 

 ……ああ、何かしらの特別な事情があると思ったのだが……。

 

「純狐はとても強くて、厄介で、都ではほとんど太刀打ちできなくて……だから、そうよ! 私がエイリンに、純狐をなんとかしてって頼んだのよ! それで今日、月を動かして……!」

「ああ、もう結構」

 

 必死に捲し立てようとした黒髪の乙女の言葉は、ライオネルによって遮られた。

 

「些細な責任の所在はどうだって良いのだ。襲撃者“程度”で月を動かそうと知恵を絞った者に罪があるのだからね」

 

 自衛のため。外部からの防衛のため。

 そのくらいの理由では、月を動かして良いことにはならない。

 ライオネルの言う通りだ。たとえ都が滅んだとしても、月を動かすなどあってはならないのだから。

 

 そしてライオネルは、計画を発案した者にこそより大きな罪があると考えている。

 それはきっと、私が誤ってヤゴコロに読ませてしまった新月の書が無縁ではないだろう。

 

「ま、理由が全く無いというわけではない。純狐とやらが何者かは知らないが、ある程度は理由として考慮してやらんでもないだろう」

 

 そういってライオネルは、地に転がった小石程度の破片を後ろ手に放り投げ、空っぽの皿の中に加えた。

 

 ……かたや巨大な岩。かたや小石。

 経緯や過程の話では、とてもではないが引き起こされた結果と釣り合うことはないだろう。たとえ月の都を襲った者が、どのような存在であれ。

 

「サリエルよ」

「待て。待ってくれ。頼むよライオネル、待って……」

 

 額を押さえ、思考を巡らせる。

 

 合理性。正当性。月を動かすに値する物事を、必死になって探し続ける。

 

 考えろ。考えるんだ。

 ライオネルが納得する答えを。理由を。理屈を……。

 

 だが、出ない。出るはずもない。

 月を動かし、星の魔力を操作するなど、あってはならないのだから……。

 

「……ライオネル」

「何かな」

 

 残されたものはひとつだけ。

 ヤゴコロを守るためのものは、もうこれだけしか残っていない。

 

「……誰しも、失敗はあるだろう」

 

 私が平坦にそう語りかけると、ライオネルは時が止まったかのように動きをやめた。

 

「感情論か、サリエル。誰しも失敗はあるのだから。だから許せというのか、サリエル」

「ああそうだ。もう私には、こんな言葉をお前に投げかけるしかない」

 

 許されざる罪。

 確かにこの世には、一度でも犯せば償いようのない罪だって存在する。

 

 しかしそれはこの私だって同じこと。私は月の秘密をヤゴコロに漏らしてしまい、その罰として堕天したのだ。

 だがそれでも私は生きているし、地上での生を許されている。

 堕天しても尚、生命の杖はメタトロンより授かったし、眷属として見放されてもいない。

 まだ私は、やり直しを赦されていたのだ。

 

「頼むよ、ライオネル。お願いだ。一度だけでいい。ヤゴコロを赦してやってくれないか」

 

 一度。規模は違う。しかしヤゴコロが犯したのは、たった一度のミスなのだ。

 

 ……甘いとは解っている。

 法を司っていた私の口から出ていい言葉ではないことも承知だ。

 

 だが堕天した私だからこそ、この言葉をどうにか紡ぎ出せた。

 

「今後の月については私も考える。お前の望む通りに何千万年だって働いてみせる。だから……頼むよ」

 

 思えば、ここまで懇願するのも生まれて初めてかもしれん。

 メタトロンから堕天を告げられる直前でさえ、こうまで醜く食い下がることはなかっただろう。

 

「最後の砦だな。……理屈ではない。感情。呻き。サリエル、それは貴女の感情の発露でしかない」

「ああ、その通りだ。みっともないことだな。笑ってくれても良い。しかし、馬鹿にしたものではないぞ。魔法にだって、感情は欠かせないものだろう?」

「なるほど」

 

 軽く首を傾げ、微笑みかける。

 少々皮肉めいた言い回しが彼の気に障ったかもしれなかったが、ライオネルは興味深そうに顎を擦っていた。

 

 暫しの沈黙。

 思考か、焦らしか。

 

 不気味なほどの長い合間で隔て、ライオネルは思いついたように顔を上げた。

 

「ではサリエルよ」

「ああ」

「私がそれでも赦さないと言ったら?」

「……」

 

 私は静かに目を閉じ、手を後ろに回した。

 その大げさな仕草は、自らの考えをまとめるためのものだったのだが、思いの外纏め上げるほどに散漫な考えがないことに気付かされるだけであった。

 

 答えは既に固まっていたのだ。

 熟考するまでもない。

 

 目を開く。

 

「お前がヤゴコロを赦さないならば、私がそれを許さない」

 

 そして、睨み付けた。

 目の前に立つ、この世界で最も恐ろしい魔法使いの姿を。

 

「サリエル様……! 駄目、私は……!」

「ヤゴコロに手を下すと言うのであれば、仕方あるまい。この私を殺してからにするがいい、ライオネルよ」

 

 風を掴まぬ六枚羽を広げ、生命の杖をライオネルに差し向ける。

 保って、二秒か。三秒か。いや、ライオネルがその気になれば瞬きする間にでさえ、私を殺すことは可能だろう。

 私の臨戦態勢など、こいつの前ではその程度の意味しか持たない。そんなことは重々承知。

 

「サリエル。私に勝てるとでも思っているのか。ほんの僅かな隙をついて、ヤゴコロを逃せるとでも思っているのか。だとすれば……」

「全く。だが、無駄とも思わん」

「矛盾だな」

「ああ。だからこそ、私は堕天に処されたのだよ、ライオネル」

 

 杖の先に、ありったけの防御魔法を構築する。

 私に出来うる限りの解呪を、防御を、入念に集積し続ける。

 

「なんで……サリエル様、どうして私なんかの……」

 

 私の杖が白銀の輝きに満ちる中、後ろから涙まじりの声が聞こえてきた。

 卑屈で、弱気。ヤゴコロにはあまり、似合わない声色だ。

 

「ヤゴコロ。不足だろうが……私がついている」

「あ……」

「だから、笑ってくれないか」

 

 難題を前にした時の気難しい顔も好きだ。

 考え込んでいる時の無表情も好きだ。

 

 だが私は彼女の、何でもないような天界の話を聞いて、朗らかに笑っている時の顔が、一番好きだったのだ。

 

「……難しいです。サリエル様」

「ふ……すまない。確かに、そうだよな」

 

 このような状況では、笑えもしないか。

 だがヤゴコロは薄くではあるが、私に困ったような苦笑いを浮かべてくれた。

 

 そこに無理やり作ったような力みはない。

 

 けれど、自然体なその笑みだけで十分だ。

 

「サリエル。貴女はそこのヤゴコロと運命を共にしようというのか」

「当然だ」

 

 倒れ逝くその時まで、私は彼女の盾になろう。

 

 

 

「……そうか。そうかそうか、そうか」

 

 石の杖を揺らし、俯いたライオネルが一人言を漏らす。

 

「そうか」

 

 得心。その言葉だけを繰り返し続け……やがてライオネルの目が、私に向けられた。

 

 


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