非戦闘員と要人は、都外部に設置されたシェルター内へと匿われた。
イワトシェルター。保険の保険の保険。
その程度の気持ちで建設した地下シェルターだったのだが、まさかここを利用する時がやってくるなんて、ほんの数時間前にだって思わなかったことである。
だというのに、私たちはこの頑丈なシェルターの中で、震えを抑えるように身を寄せあっている。
何者にも破壊されないであろうシェルター内の、なんと心許ないことか。
人々は最後の砦の中で、何分もの間じっと息を潜め続けていた。
高貴な神々の集う場所だ。当然、そこには月夜見や輝夜の姿もある。
怯える月夜見の姿にも心動かされるものはあったが、私は月夜見よりも不安げな輝夜に寄り添い、彼女の震える肩をずっと擦り続けていた。
「……」
輝夜の肩越しに手にした木簡の端末から、不吉なログが流れては消えてゆく。
武御雷の部隊が壊滅、都が半壊。どの情報も信じられないものばかりである。
特に、月の都が一瞬にして半壊に陥ったなど、何が起こったのか想像すらできない。
……いや、想像などできるはずもないのだ。
だからこそ私たちは、今こうして不安の中で押し潰されそうになっているのだから。
そして……木簡のログの中に“嫦娥施設壊滅”の文字が現れたのを見届けて、私は一時だけ、静かに瞑目する。
これで、月の都は完全に陥落した。
月の運行操作は解除され、都は半壊。たとえこのまま侵入者が……ライオネル・ブラックモアが何もせずに去ったとしても、復旧完了までに純狐が襲ってくれば、たちまち総崩れになりかねない。
……そもそも、あの者がこのまま気を良くして帰ってくれることはないだろう。
「……エイリン、震えてるの?」
私がこれからの事を考えていると、輝夜は私の耳元で囁いた。
自分も恐怖の中に晒されていながらも、私を気遣ってくれる貴い優しさ。
彼女は、輝夜はどんな時だって、変わらない。
……住処。状況。思想。
様々な物事が変わりゆく中、彼女だけはいつだって不変のままだ。
私にはそれが羨ましく、眩しい。
「大丈夫ですよ、輝夜」
私は輝夜の肩に手を置き、そっと頭を撫でた。
努めて震えを抑えた手は、どうにかいつも通りの調子で彼女の艶やかな黒髪を梳く。
「少し、機器の整備を行いたいと思います。念には念を入れなくてはなりませんから」
「……どこにも行かない?」
ああ、やっぱり。彼女はいつだって、どこか鋭いのだった。
どこまでも変わらない彼女を見て、私はもう一度本心から、彼女の髪を優しく撫でた。
「すぐに戻るので、その間月夜見の手でも握ってやってあげてください」
「私も……」
「輝夜」
強くなりかけた口調を抑える。
「……貴女は機械が苦手でしょう?」
「う……」
「一段落したら、勉強のやり直しです。私の手伝いは、それからにしてくださいね」
「は、はい……」
最期にポンと頭に手をやって、私は静かにその場を離れた。
またもう一度戻ってくる。再びすぐに帰ってくる。
そう思わせるよう、素っ気なさを出しながらシェルターの出口へと向かう。
「八意様……」
「調整に入るので、失礼します」
「よろしくお願いします、八意様」
「ええ」
だが、全ては嘘だ。
私はきっとここへ戻ってくることはないだろう。
そして……シェルターに篭った彼らもまた、無事に済むかは怪しいところだ。
「けれどもう、これしかないの……」
大広間を出て、分厚い防護扉を背中で閉ざす。
機器の整備や調整というのは、全て口から出任せだ。
これ以上この古く原始的なシェルターに施せる処置はなかったし、月の都で最も厳重な護りで固められた都と嫦娥が堕ちた以上、無駄な抵抗を続ける意義も薄い。どうせこれ以上は何をやったところで、全て突破されるに決まっているのだから。
ライオネル・ブラックモアと私達月の民の間には、それだけ深い力の差が存在する。
「……さようなら、輝夜。できれば……」
私は一人、長い廊下を歩く。
「私が居なくなった後も、変わらないで」
砂が落ちるような音が聞こえてきた。
サラサラ、サラサラと。音は徐々に大きくなり、そこら中から響き始める。
「ここが入り口だな」
地下深くに埋設された廊下の天井が、突如として消える。
いいや、天井ばかりではない。壁や床さえも、灰色の煙に巻かれると共に砂へと変わり、緩やかな流れに巻き込まれては奪い去られてしまうのだ。
多重防御層すらも灰塵に変えて取り去られ、私の姿が顕になる。
「そして貴女が、首謀者だ」
崩れ去る景色の中心に、杖と書物を携えた不吉な遺骸が舞い降りる。
輝く眼窩と渦巻く魔力。圧倒的かつ理解不能な力。
ライオネル・ブラックモアが、ついにシェルターへと続く地下通路を探し当ててしまった。
「一人か」
ライオネルは周囲に砂塵を放置すると、私を目の前にして無警戒に辺りを見回した。
とはいっても、私に不意打ちなどできるはずもないし、出来たとしても試みようとは思わない。
「通路の奥には、大勢の者がいるようだな」
「はい」
「なるほど」
月の砂と金属壁の砂が交じり合い、灰色の流れとなって辺りに渦巻く。
「月を操る施設は破壊した。もはや貴様らに月を操作するだけの力は残されていない」
「……」
「まぁ、それはいい。問題は、この都の誰が月を動かそうなどと考えたか、ということだ」
ライオネルはゆっくりと私の正面にまで歩を進めると、手を伸ばせば届くほどの距離で立ち止まる。
背は、180㎝はあるだろうか。
私を見下ろす虚ろな眼窩は、その最奥で青白い輝きを放ちながら私を見透かしていた。
「謝罪は結構。言い訳を聞いてあげよう」
……ここで謝罪の一言でも口にすれば……あまりろくな事にはならないだろう。
「私は……月の都を守りたかったのです」
「ふむ」
「攻めの手が強まる地上の魔族から都を守るために……そうする他に手段が……」
「月を動かせば地上がどうなるか、知らないわけではないだろう」
緩慢な動きで杖が差し向けられ、私の喉に軽く触れる。
「他の神族を上回る高度な科学力。そこそこの力を持った結界。科学と魔法の両方に精通しておきながら、月の公転が狂うことの影響が想像できなかったとは言わせぬ」
「それは……」
「貴女が知恵者であることは解っている。さあ答えろ。何故地上の全生命を脅かそうと思ったのか。何故地上に降り注ぐ魔力を閉ざしたのか……」
高密度に圧縮され、妖しい輝きを放つ純粋な魔力。
触れれば火傷しそうな強い魔力で迫られて、私は思わず半歩退いてしまった。
「もう一度、私の目を見て答えてみせろ」
死が私に杖を向け、怒りを露わに顎を開いている。
……嘘は許されない。
そして、真実を告げても尚許されることはない。
これは、そう。私が裁かれるために踏まなければならない工程だ。
必要な儀式。辿らなければならない順序なのだ。
少なくとも目の前の彼は、そう考えている。
「私は私の大切なもののために月を動かした。その言葉に偽りはありません」
だから、私はこの命を丁重に差し出さなければならない。
「今回の全ては月の賢者たる私の発案であり、命令したものです。全ての功罪は私にあります」
「……ほう」
「だから……どうか、どうか……!」
せめてこの生命だけで終わるならば。
烏滸がましくも願えるのであれば。
「他の者達へは、どうか――!」
全ての幕引きを願ったその時。
「エイリンッ!」
最も聞こえてはならないあの子の叫び声が、私の後ろから響き渡った。
「エイリンをッ……エイリンを傷つけるなぁっ!」
驚愕とともに振り向けば、そこには涙を流した少女の姿があった。
美と雅を体現するかのような彼女が、その細く華奢な手に高精度ナイフを握り、こちらへと駆けてくる。
「輝夜!? 駄目! 来てはいけません!」
「私だって……!」
私の制止は間に合わない。間に合うはずもない。
何故なら彼女は、とても私などでは対応できないほどの速度で……須臾ほどの速さでやってくるのだから。
「……“異形の煙”」
そして私は知っている。
彼女のその神がかり的な速度でさえも、この魔法使いには通用しないのだと。