東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 非戦闘員と要人は、都外部に設置されたシェルター内へと匿われた。

 

 イワトシェルター。保険の保険の保険。

 その程度の気持ちで建設した地下シェルターだったのだが、まさかここを利用する時がやってくるなんて、ほんの数時間前にだって思わなかったことである。

 

 だというのに、私たちはこの頑丈なシェルターの中で、震えを抑えるように身を寄せあっている。

 何者にも破壊されないであろうシェルター内の、なんと心許ないことか。

 人々は最後の砦の中で、何分もの間じっと息を潜め続けていた。

 

 高貴な神々の集う場所だ。当然、そこには月夜見や輝夜の姿もある。

 怯える月夜見の姿にも心動かされるものはあったが、私は月夜見よりも不安げな輝夜に寄り添い、彼女の震える肩をずっと擦り続けていた。

 

「……」

 

 輝夜の肩越しに手にした木簡の端末から、不吉なログが流れては消えてゆく。

 

 武御雷の部隊が壊滅、都が半壊。どの情報も信じられないものばかりである。

 特に、月の都が一瞬にして半壊に陥ったなど、何が起こったのか想像すらできない。

 

 ……いや、想像などできるはずもないのだ。

 だからこそ私たちは、今こうして不安の中で押し潰されそうになっているのだから。

 

 そして……木簡のログの中に“嫦娥施設壊滅”の文字が現れたのを見届けて、私は一時だけ、静かに瞑目する。

 

 

 

 これで、月の都は完全に陥落した。

 月の運行操作は解除され、都は半壊。たとえこのまま侵入者が……ライオネル・ブラックモアが何もせずに去ったとしても、復旧完了までに純狐が襲ってくれば、たちまち総崩れになりかねない。

 

 ……そもそも、あの者がこのまま気を良くして帰ってくれることはないだろう。

 

「……エイリン、震えてるの?」

 

 私がこれからの事を考えていると、輝夜は私の耳元で囁いた。

 自分も恐怖の中に晒されていながらも、私を気遣ってくれる貴い優しさ。

 彼女は、輝夜はどんな時だって、変わらない。

 

 ……住処。状況。思想。

 様々な物事が変わりゆく中、彼女だけはいつだって不変のままだ。

 私にはそれが羨ましく、眩しい。

 

「大丈夫ですよ、輝夜」

 

 私は輝夜の肩に手を置き、そっと頭を撫でた。

 努めて震えを抑えた手は、どうにかいつも通りの調子で彼女の艶やかな黒髪を梳く。

 

「少し、機器の整備を行いたいと思います。念には念を入れなくてはなりませんから」

「……どこにも行かない?」

 

 ああ、やっぱり。彼女はいつだって、どこか鋭いのだった。

 どこまでも変わらない彼女を見て、私はもう一度本心から、彼女の髪を優しく撫でた。

 

「すぐに戻るので、その間月夜見の手でも握ってやってあげてください」

「私も……」

「輝夜」

 

 強くなりかけた口調を抑える。

 

「……貴女は機械が苦手でしょう?」

「う……」

「一段落したら、勉強のやり直しです。私の手伝いは、それからにしてくださいね」

「は、はい……」

 

 最期にポンと頭に手をやって、私は静かにその場を離れた。

 

 またもう一度戻ってくる。再びすぐに帰ってくる。

 そう思わせるよう、素っ気なさを出しながらシェルターの出口へと向かう。

 

「八意様……」

「調整に入るので、失礼します」

「よろしくお願いします、八意様」

「ええ」

 

 だが、全ては嘘だ。

 

 私はきっとここへ戻ってくることはないだろう。

 

 そして……シェルターに篭った彼らもまた、無事に済むかは怪しいところだ。

 

「けれどもう、これしかないの……」

 

 大広間を出て、分厚い防護扉を背中で閉ざす。

 

 機器の整備や調整というのは、全て口から出任せだ。

 これ以上この古く原始的なシェルターに施せる処置はなかったし、月の都で最も厳重な護りで固められた都と嫦娥が堕ちた以上、無駄な抵抗を続ける意義も薄い。どうせこれ以上は何をやったところで、全て突破されるに決まっているのだから。

 

 ライオネル・ブラックモアと私達月の民の間には、それだけ深い力の差が存在する。

 

「……さようなら、輝夜。できれば……」

 

 私は一人、長い廊下を歩く。

 

「私が居なくなった後も、変わらないで」

 

 

 

 

 

 砂が落ちるような音が聞こえてきた。

 サラサラ、サラサラと。音は徐々に大きくなり、そこら中から響き始める。

 

「ここが入り口だな」

 

 地下深くに埋設された廊下の天井が、突如として消える。

 いいや、天井ばかりではない。壁や床さえも、灰色の煙に巻かれると共に砂へと変わり、緩やかな流れに巻き込まれては奪い去られてしまうのだ。

 

 多重防御層すらも灰塵に変えて取り去られ、私の姿が顕になる。

 

「そして貴女が、首謀者だ」

 

 崩れ去る景色の中心に、杖と書物を携えた不吉な遺骸が舞い降りる。

 輝く眼窩と渦巻く魔力。圧倒的かつ理解不能な力。

 

 ライオネル・ブラックモアが、ついにシェルターへと続く地下通路を探し当ててしまった。

 

「一人か」

 

 ライオネルは周囲に砂塵を放置すると、私を目の前にして無警戒に辺りを見回した。

 とはいっても、私に不意打ちなどできるはずもないし、出来たとしても試みようとは思わない。

 

「通路の奥には、大勢の者がいるようだな」

「はい」

「なるほど」

 

 月の砂と金属壁の砂が交じり合い、灰色の流れとなって辺りに渦巻く。

 

「月を操る施設は破壊した。もはや貴様らに月を操作するだけの力は残されていない」

「……」

「まぁ、それはいい。問題は、この都の誰が月を動かそうなどと考えたか、ということだ」

 

 ライオネルはゆっくりと私の正面にまで歩を進めると、手を伸ばせば届くほどの距離で立ち止まる。

 

 背は、180㎝はあるだろうか。

 私を見下ろす虚ろな眼窩は、その最奥で青白い輝きを放ちながら私を見透かしていた。

 

「謝罪は結構。言い訳を聞いてあげよう」

 

 ……ここで謝罪の一言でも口にすれば……あまりろくな事にはならないだろう。

 

「私は……月の都を守りたかったのです」

「ふむ」

「攻めの手が強まる地上の魔族から都を守るために……そうする他に手段が……」

「月を動かせば地上がどうなるか、知らないわけではないだろう」

 

 緩慢な動きで杖が差し向けられ、私の喉に軽く触れる。

 

「他の神族を上回る高度な科学力。そこそこの力を持った結界。科学と魔法の両方に精通しておきながら、月の公転が狂うことの影響が想像できなかったとは言わせぬ」

「それは……」

「貴女が知恵者であることは解っている。さあ答えろ。何故地上の全生命を脅かそうと思ったのか。何故地上に降り注ぐ魔力を閉ざしたのか……」

 

 高密度に圧縮され、妖しい輝きを放つ純粋な魔力。

 触れれば火傷しそうな強い魔力で迫られて、私は思わず半歩退いてしまった。

 

「もう一度、私の目を見て答えてみせろ」

 

 死が私に杖を向け、怒りを露わに顎を開いている。

 

 ……嘘は許されない。

 そして、真実を告げても尚許されることはない。

 

 これは、そう。私が裁かれるために踏まなければならない工程だ。

 必要な儀式。辿らなければならない順序なのだ。

 少なくとも目の前の彼は、そう考えている。

 

「私は私の大切なもののために月を動かした。その言葉に偽りはありません」

 

 だから、私はこの命を丁重に差し出さなければならない。

 

「今回の全ては月の賢者たる私の発案であり、命令したものです。全ての功罪は私にあります」

「……ほう」

「だから……どうか、どうか……!」

 

 せめてこの生命だけで終わるならば。

 烏滸がましくも願えるのであれば。

 

「他の者達へは、どうか――!」

 

 全ての幕引きを願ったその時。

 

「エイリンッ!」

 

 最も聞こえてはならないあの子の叫び声が、私の後ろから響き渡った。

 

「エイリンをッ……エイリンを傷つけるなぁっ!」

 

 驚愕とともに振り向けば、そこには涙を流した少女の姿があった。

 美と雅を体現するかのような彼女が、その細く華奢な手に高精度ナイフを握り、こちらへと駆けてくる。

 

「輝夜!? 駄目! 来てはいけません!」

「私だって……!」

 

 私の制止は間に合わない。間に合うはずもない。

 

 何故なら彼女は、とても私などでは対応できないほどの速度で……須臾ほどの速さでやってくるのだから。

 

「……“異形の煙”」

 

 そして私は知っている。

 彼女のその神がかり的な速度でさえも、この魔法使いには通用しないのだと。

 

 


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