東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「……」

 

 サリエルが赤い空を見上げ、眉を顰めた。

 

 魔界の空はいつも通り赤く、変わりがないように見える。

 しかし鋭敏な感覚を持つ彼女は、非常に僅かではあるものの違和感を覚えていた。

 

 自らの起源に関わる“何か”の動きを。

 そして、自分ではないはずの“自分”を射抜くような、強い眼差しを。

 

「……地上で何かが起こっているのか?」

 

 生命の杖を手に取り、立ち上がる。

 最近の日々のほとんどを魔法と瞑想と監視に費やしていた彼女も、只事ではない雰囲気を感じ取ったのだ。

 

 そして、その予感は間違っていなかったらしい。

 

「侵入者……!」

 

 強い力を持った複数の侵入者が、ほとんど同時に現れた。

 しかも厄介なことに、それぞれ別の場所である。

 

 浮遊氷土、瓦礫の平原、魔界都市エソテリア。

 どれも位置がバラバラで、とてもではないがサリエルだけで対処できるものではない。

 

「……神綺!」

 

 そんな時、彼女は決まって魔界の管理者を頼りにする。

 魔界を統べる者は、彼女が知る限り二人だけだ。

 

 “魔神”神綺か。

 もしくは“偉大なる魔法使い”ライオネルのどちらかである。

 

 そして大抵の場合は、見つけやすい神綺の方にお呼びがかかるのであった。

 

 

 

 

 それぞれの地点に現れた客人は、サリエルの魔眼にも写っている。

 故に、サリエルは何人かの見知った顔ぶれに関して迅速に対処できた。

 

 その最たるものが魔界都市エソテリアに現れた、二人の神族であろうか。

 

「……地獄の遣いとクベーラが一緒とはな。何の用だ」

 

 魔界都市エソテリア。

 かつては都市の基礎が存在するだけの魔界の僻地であったが、魔界人による開発と観光が進み、今ではそこそこ栄えた都市となっている。

 外界からやってきたのは、クベーラともう一人。

 

「以前の非礼はお詫び申し上げます。地獄は魔界と争うつもりはありません。そう警戒なさらず」

 

 地獄の遣い、コンガラであった。

 

「定期取引でもないのに押しかけてすまんな」

「いいや……魔界に侵略するつもりでなければいつでも歓迎する。……と、神綺ならば言うだろう」

「そう言ってもらえるとありがたい。隣のこいつ(コンガラ)については後で説明する。地上で気になることがあってな……」

 

 いつもは快活に笑って現れるクベーラが、珍しく険しい顔を作っている。

 そしてどこか思わせぶりな言葉。サリエル自身も地上の異変については心当たりがあったために、静かに頷いた。

 

「わかった。だが、すまない。今はお前たち以外にも来客がいてな」

「ほう、やはり我々以外にも、か……」

「まぁ、動かないほうが可笑しい事態ですからね」

「話は来客一同を集めて聞こうと思うが、構わないか?」

 

 サリエルの言葉に、クベーラもコンガラも頷いた。

 

「今回はそのつもりで来たようなものだ」

「場所はどこでしょう」

「神綺の転移任せだ。来客の位置は伝えてあるし、彼女が順を追って勝手に集めてくれるだろう。場所は、その時次第だ」

「ほほう」

 

 そう言っているうちに、空間に白い歪みが現れる。

 靄のような歪はすぐに大きな扉となって、そこから何人かの人影を吐き出した。

 

 先頭には、当然ながら神綺がいる。

 

「次はこっちね。……あら? クベーラも来ていたのね。それと……隣のソレは?」

 

 亜空間からエソテリアに現れた神綺は、視界の中に見覚えのある“異物”を認めると、鋭く目を細めて六枚の翼を黒く染め上げた。

 その眼差しを受けたコンガラは思わず一歩たじろいたが、二人の間にクベーラとサリエルが割り込んだことによって、なんとか一触即発の事態は避けられた。

 

「やめろ、神綺。今回はおそらくそれどころじゃない」

「そうなの?」

「うむ、魔界の者はコンガラに対して色々と思うところがあるかもしれんが……地獄の代表者として来てもらったのだ」

「……その節は本当に申し訳ありません」

「そ。まぁ良いけど」

 

 神綺の翼が黒から白に戻り、敵意が霧散する。

 それでもコンガラを見る眼差しはどこか冷ややかなままであった。

 

「……神綺、後ろの神族は?」

「ああ、彼女? 彼女は浮遊氷土に来てた……」

「はじめまして。でもないかしら?」

 

 神綺の翼の後ろに隠れていた女神が、ふわりと宙に浮いて姿を現した。

 

 それは、黒いキトンを纏った美しい女神。

 周囲には三つの球体が漂っており、それぞれが異なる色彩と模様で彩られている。

 

「……ヘカーティア」

「久しぶりね、月の大天使サリエルさん」

「……そうだな」

「なんだ、サリエル知り合いだったの?」

 

 神綺と共に現れたのは、かつて一度だけ魔界を訪れたことのある女神、ヘカーティアだった。

 彼女もまた長い時を生きた神族の一人であり、天界時代のサリエルの姿を知る数少ない神々でもある。

 ヘカーティアの笑顔を見て、サリエルはバツが悪そうに顔を逸らしている。

 理由は、定かでない。

 

「うむ、他の地獄の神も来ておったか。認識は同じと見ても良いか?」

「まぁ、同じじゃないの? 知らないけど」

「そうかそうか。……で、神綺よ。これで全員か?」

「あともう一人来ているわよ。瓦礫のところに。そこで最後だから、お話はそっちでやりましょうね」

 

 そう言うと、神綺は虚空に両手を差し伸べ、原初の力を解き放った。

 白く清浄な輝きは見る間に別空間への扉となって、円形を保ったまま空中で安定する。

 

「はい、移動用の扉が出来たわよ。こっちを潜れば全員同じ所に出られるから」

「おうおう、恩に着る」

「便利な能力ねー」

「では、失礼します」

 

 特に扉を疑うこともなく、次々と異空間への扉に身を投げ出す神族達。

 肝が据わっていると言えばそれまでだが、サリエルは彼らの迅速さに、どこか焦りのような感情が含まれているように思えてならなかった。

 

「サリエル? あなたも入っちゃって? すぐに閉めちゃうから」

「……ああ」

 

 やはり、地上で何かとんでもないことが起こっている。

 サリエルは胸に不安を抱きつつ、白い扉へと潜り込んでいった。

 

 

 

 

「おや……どうも、はじめまして」

「あら、こちらこそ。本当にはじめましての人ね?」

 

 神綺の扉を潜った先は、瓦礫の山。

 砕いた岩を適当にばら撒いたかのような、荒んだ大地がどこまでも続く場所である。

 

 そこには見慣れぬ一人の男が立っており、神綺達がやってくると丁寧に頭を下げた。

 

「私の名はエノク、天界の神族です。地上で起こった大異変の調査のため、この度魔界へ参りました」

 

 小脇に一冊の古書を抱えた聖職者。

 瓦礫の山に立つ男はそんな風貌であった。

 

 神綺もサリエルも、彼に見覚えはない。

 それどころか、ここにいる全員が初めて目にする相手であった。

 

「エノク、か。天界の者……というのは、間違いなさそうだな」

「ふぅむ、俺も初めて見る奴だが」

「普段は領内で書類の整理を任されておりますので……」

 

 エノクには翼もなければ宙に浮いてもいないが、鋭い目つきは人間では有り得ないほどに理性的。

 そして柔らかな物腰は、どこか神聖な雰囲気をまとっている。

 一目見て、彼が神族であることを疑う者はいないだろう。

 

「ふうん、地上のことでねー……みんな大体同じ理由で魔界へやってきたのかしら?」

 

 神綺はエノクの言葉を受けて、外界から集まった客人達を見回した。

 

 クベーラ、コンガラ、ヘカーティア、エノク。

 彼らは一様に首を縦に振り、それぞれの用向きが同じであると主張する。

 

「ならば何故魔界に来たのか。何が目的か。地上で何が起こっているのか……まずはそれを、聞かせてもらおうか」

 

 サリエルが訊ねると、四者の反応が分かれた。

 

 

 

 クベーラは顎を擦り、

 コンガラは強く目を閉じ、

 ヘカーティアは眉を顰め、

 エノクは無表情のままに。

 

 そして、それぞれが同じ言葉を口にする。

 

 “月が動いた”と。

 

 

 


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