「良いかいエレン。魔法に必要なものは言うまでもなく魔力だ。そして魔力を生み出す最たるものは、星だ。解るかい。星だ。星を見るのだ」
私は氷の指示棒で宙に浮かんだ魔光文字をバシバシと叩き、力説する。
「星は魔力の父であり、母だ。地球上に蔓延する生物由来とされる魔力も、元の魔素から見返してみれば星の魔力が基礎となっている。そして魔力は今も尚、宇宙の彼方からこの地球上に降り注ぎ、古き魔素を排斥しては新たな魔素を補充し続けている」
不要な魔光文字列を崩し、天体図として部屋の中に展開。
かなり略式の地球と、その周辺の星々が形成された。
が、エレンはその天体図を見上げ、口を半開きにしたままぼけーっとしている。
なんという無関心。なんという授業態度。けしからん。
「何億光年も向こうから来る魔力に関しては、今はまだ考慮しないとしてもだ! しかし最低限の教養として月だけは! 月の魔力だけはよく勉強しておくべきだ!」
「ライオネル、声大きすぎ。タレースの毛がぶわってなっちゃってる」
「猫の毛は! 今は! どうでもよろしい!」
激情に身を任せて氷の指示棒を床に叩きつけると、それは粉々になって部屋中に散らばった。
それでびっくりしたのか、先ほどまで私を睨みつけて毛を逆立てていた猫は跳ね上がり、勢い良く小屋を飛び出してゆく。
「恋愛! 大いに結構! しかしその頑張りをほんの少しでも良いから、魔法の分野にも傾けなさい!」
「うっ、なんだか昔に聞いたことがある言葉ね……」
「私もまさかこんな体に成り果ててまでこの台詞を言うことになろうとは思わんかったわ!」
エレンは、格好良い男に憧れている。いわゆる、恋をしているというやつだ。
しかしそれは特定の一人ではない。
複数人……それも結構な数の相手に対して、複数同時に好意を抱いているようなのだ。
「魔法に感情は欠かせない。恋心もまぁ、多分魔力の源にはなるだろう。しかしエレンよ、目の前に材料を並べたところで、魔法を使えなければ魔法使いとは言えないのだ」
「別に魔法のために好きになってるわけじゃないわよ。しょうがないじゃない、みんな格好良いんだもの」
別に、同時に複数の相手を好きになってはいけない……とは思わない。これを良いと思うか悪いと思うかは、その時代の倫理観次第であるからだ。
私の目から見てもギリシャ彫刻っぽいローマ男性は見た目はなかなか端正だと思うし、多くの人にホの字になる気持ちもまぁわからんでもない。
「まぁ、魔法使いらしく人間との関わりを断てと言っているわけではないが……」
「良いでしょ?」
「いや、良いんだが。良いんだがね?」
彼らと一緒におしゃべりをしたり、お茶したりするのもまた一つの人間関係と言えるだろう。
が、だからといって、それだけのための魔法であってはならないと思うのだ。
だってそうだろう。
エレンは全く魔法を使わず、何らかの魔法触媒や魔法的な薬を作るだけに留まっている。
確かに製作するものは魔法的なものが多いが、それ自体が魔法を発動するわけではないのだから。
このままではエレンが魔法技術を全て忘れ、ただの薬剤師になってしまうかもしれない。
寿命の心配はいらないだろう。
“研忘の加護”がある限り、エレンは自らの記憶を削りつつも、何年だって生きるのだから。
それこそローマが栄華を極め、没落し、イタリアの首都になるまで生きてもおかしくはない。いや、彼女は間違いなくもっともっと長生きするだろう。
だが、魔法を失った上で長く生き続けるのは、あまりにも危険過ぎる。
失われてゆく記憶。老いない体。何故人よりも遥かに長く生き続けているのかもわからない自分。
……それらの謎を魔法と知らずに生きていくのは、実に恐ろしいことだ。
“研忘の加護”と付き合ってゆくのであれば、魔法の知識を備えることが絶対条件である。
少なくとも、かつてのオーレウスのように自らにかけた“研忘の加護”を打破できる程度の、最低限の魔法的知識を有していなければならない。
最初のオーレウスの苦悩を繰り返さないためにも。
「花も団子も好きでよろしい! しかし、今日からはみっちりと、基礎的な魔法学について学んでもらう!」
「えーっ!」
「黙らっしゃい! 子供は黙って勉強せよ! 不純異性交遊を認めてやっているだけありがたいと思え!」
「何言ってるのかわからないー!」
こうして、私とエレンの師弟関係が始まった。
気分は実子もいないのにお受験ママモードである。
「まず基本。自ら魔法を使うのであれば、大きな方法がいくつかある。触媒を用いる、星から魔力を採る、月から魔力を採る、地上に漂う属性魔力から採る……方法は様々だ。今はまだ紹介しきれない方法も多い」
私は外から屋内に漏れ出した木属性の魔力を操り、床に散らばった水滴を手元で凝集させた。
「魔法使いはいかなる時でも、魔法を使えなくてはならない。月が出ていないから使えない、水辺じゃないから使えないでは魔法使いとは呼べぬ。そんな輩は魔法使い失格だ」
「ふーん」
「ノートを取りなさい! ノートを!」
「は、はーい……」
授業のように、ノートにメモらせることも欠かせない。
“研忘の加護”の忘却効果の範囲は不明だし、基礎の基礎から忘れることだってあり得るだろう。
だから彼女には一冊の大判の書物を持たせ、私の話を事細かに書かせるようにした。
それは復習させて完璧に覚えさせるという目的もあるし、後々読み返すことで記憶の欠損をカバーするという役目も担っている。
「慣れれば全てを適切な状況で扱えるようになるが、最初はそうもいかないだろう。だからとりあえず、月魔法から。そして星魔法、属性魔法と順番に触れてゆけば良い。触媒はどの魔法についても補助として扱えるので、個別には取り扱わないよ」
「ふーん……ほんとに基礎からおさらいするのねー……」
私が新しい指示棒で魔光文字を指しながら説明していると、エレンはポーッとした顔でそのようなことを呟いた。
「うん? この辺はエレンにもわかるか」
「もちろん。月、星、精霊、使うだけなら普通に使えるもの」
「……本当に?」
「な、なんでちょっと疑ってるのっ。嘘なんてつかないわよー」
エレンは慌てて主張しているが、どうも怪しい。
月魔法、星魔法、属性魔法、それらを全て修めているとなれば、それはかなり高位の魔法使いと言えるだろう。
だがそれだけの魔法を使えるのであれば、エレンが常日頃から見せているような、魔力縛りとも言える常人生活の説明ができなくなる。
「魔法を使えるなら、どうして普段は使わないんだ?」
「うっ、いやそれはその」
「正直に言いなさい。怒らないから」
「ほ、本当よ! 本当に使えるのー!」
「じゃあ見せてみなさい。エレンが日常的に魔法を使っている姿を」
私が腕を組みながらそう言うと、エレンは涙目になって“うーうー”としばらく呻き……そして、小さく頷いた。
「わ、わかったわ。私の魔法、見せてあげる」
「ほう!」
「けど……一つだけ約束して?」
「良いだろう。言ってご覧なさい」
「絶対に笑わないでね?」
「うん?」
上目遣いで少し恥ずかしそうに言う彼女の姿に、嘘も虚勢も見られない。
しかし、どうして魔法を使うことに対して彼女の気が進まないのかについては、今の私にはさっぱりわからないのであった。
「にゃー」
気がつけば外はとっぷりと日が暮れて、夜の帳が降りている。
猫のタレースも帰ってきたので、本日の授業は終了だ。
「じゃあエレン、今日はもう遅いので、明日の朝から魔法を使ってもらうよ」
「はーい……」
エレンの日常的な魔法の使用風景を見るのは、翌朝から。
丁度今日は彼女の非魔法生活をたっぷりと見せられたので、良い比較にもなるだろう。
さてさて、彼女はどの程度の日常にまで魔法を代入できるのだろうか。
今から楽しみである。