著
『魔界旅行記』
著者 ルイズ
・魔界都市クステイア
巨大な海沿いに存在する巨大な都市。
そこは旅を始める私の出発地であり、私の故郷でもある。
この文章は遠方の地にて筆を取ったものであり、おそらくこれが著書となるならば、同じくらい離れた場所で製本されることだろう。
それがいつになるのか、長い旅路に漕ぎ出してゆくであろう私には全く見当もつかない。
けれど、私の旅の集大成が遠く離れたクステイアにまで届くことを祈っている。
果てなどないかのような、雄大な青い海。
私の夢の原点であり出発地。
美しきクステイア。
またいつか。私が疲れてしまった時に。
・日照りの函
草原の中で、一際目立つ巨大な人工物と出会うだろう。
見つけるのはそう難しいことではない。
それは我々が建てる一般的な建築物をゆうに数十倍は超えるほどの、巨大な金属の立方体なのだから。
誰が何のために作った物なのかはわからない。
付近に住む者達の言い伝えでは、魔神たる神綺様が創りあげたとも言われているのだが、その由来は定かでない。
そもそも、この巨大な金属の立方体につけられた“日照りの函”という名前さえも、どこから出てきたものなのかはっきりしないのだ。
一説によればこの立方体は、古代にやってきた魔族達が作りあげた巨大な鏡である……とも言われている。
付近の住民たちも、この金属による太陽光の反射を利用した特殊な耕作を行っているようである。
光を反射し、より良い環境で作物を育てる。確かにあり得ない話ではない。実際にその方法が魔人達の生活の中で役立っているのだから、暴論ということはないと思う。
けれど私は、何度見てもこれがただの巨大な“目印”にしか見えてならない。
だってそうでしょう?
この立方体を目指して歩けば、決してこの地域で迷うことが無いのだから。
・湖底遺跡フォストリア
丘陵地帯に鬱蒼と繁る木々を何キロも歩いて抜けると、急な崖の下に、不可思議な盆地を見ることができる。
その盆地の大半は、付近に存在する巨大なカルタル湖から流入する河川の水で満たされている。
ただ静かに眺めていれば、それはカルタル湖にくっついた小さな湖にしか見えないかもしれない。
けれどここは、ただの溜池などではない。
この湖の水底には、古き時代の建築の跡が見て取れるのだ。
古い資料によれば、この水底に沈んだ遺跡は、かつては巨大な魔界都市であったのだという。
それがたった一日にして大きな災いによって大半が吹き飛び、地下に流れる水脈さえも砕いてしまい、深き水底へと沈んでしまったのだとか。
フォストリアはその昔、多くの智者や賢者が集まる学問の都市であったが、たった一日にして消滅したその衝撃は、遠く離れた魔界都市にも大きく変容した伝説として名残が確認できる。
今やフォストリアは藻に覆われ、辛うじてその一部の原型から都市の存在を空想できるのみ。
水中の調査能力に秀でた悪魔の協力がなければ、その存在は数万年後には完全に忘却されていたかもしれない。
まあ、既に都市の面影など、全くと言っていいほど見られないのだが……。
しかし盆地の中央に満たされた水は清く、悲しみなど感じさせないほどに、美しかった。
・響きの塔
閑静な魔界都市ロアリアの傍らに聳え立つ、地上五百メートルはあろう巨大な群塔。
巨大すぎる塔の数は何千にもなり、それが狭い間隔で立ち並んでいる。
塔に入り口はなく、窓もない。そして長い時間が経とうとも破壊されることはなく、また人為的に破壊されることもない。
群塔の足元にあるロアリアは、この響きの塔を見守り、崇める者達による宗教都市だ。
響きの塔には伝説があり、何万年かに一度だけ、地が轟くかのような大きな音を発することがあるのだという。
その年には魔界に大きな災いが降りかかるとされており、ロアリアの人々は災いを察知するため、常に塔から聞こえる音に耳を澄ませているのだとか。
しかしここ数十万年は音が鳴っていないようだ。
伝説が本当かどうかは定かでない。
けどできれば、魔界の全ては平穏であってほしいと思う。
・魔界都市クロワリア
灰色の砂漠の只中で、置き忘れたかのようにぽつんと存在するオアシス。
言わずと知れた砂漠の魔界都市、クロワリアである。
クロワリアのあちこちで見られる、藁や茎を混ぜた土壁は非常に原始的ではあるが、砂漠の凄まじい烈風や灼熱を防ぐには、これ以上の建材も無いだろう。
現に、クロワリアではほぼあらゆる建造物がこの土壁によって作られており、そこに生きる百万人以上の魔人達の生活を支えているのだ。
広大な農地。水を大切に扱う精神と、洗練された技法。
クロワリアの食事は私の口には合わなかったけれど、この都市の活気だけは、旅人として一度は目にしておく価値があるだろう。
・魔都パンデモニウム
悪魔たちが暮らす魔界都市であり、そこに魔人の姿はほとんど見られない。
しかし都市が持つ文明のレベルは非常に高く、あらゆる技術が魔人達のそれを遥かに超越している。
悪魔といえば、私達魔人がそれなりに大きな対価を支払うことで呼び出すことのできる、知恵と力を備え持つもの達だ。
それは彼らの本拠地たるここでも変わることはないが、魔都を歩く悪魔たちは、召喚され従順に振る舞う悪魔の姿とは似ても似つくものではない。
端的にいえば、狡賢くて恐ろしい。
正直、ここでこうして悪魔たちを“狡猾”と揶揄することそれ自体が恐ろしく思えてしまう。
私はあまり、彼らの不興を買いたくはない。
けれど、やはりこれだけは書かせてもらおう。
魔人は、魔都に近づくべきではない。
・魔界中央都市セムテリア
魔界の中心部には、恐ろしい自然と生物に囲まれた、この世のものとは思えない程の壮麗極まる都市があるのだという。
なんやかんやあって空を飛ぶ魔法を手に入れた私には、多くの魔人が思うような“危険地帯”は大して気にならない。
なので私は、それまであえて避け続けてきたセムテリアを目指して旅を続けることにしたのだ。
しかし当初の楽観に反して、この旅は長く、険しいものであった。
奇妙な森林。奇妙な甲虫。奇妙な海。奇妙な魚。奇妙な……。
あらゆるものが奇妙で、奇怪。
魔界の中央を目指すほどに、辺りの世界はどんどん見知らぬものに変わっていき、私の精神はかき乱されてゆく。
果たして、今の私はどこに向かっているのか。
私は平常心を持って飛んでいるのか。
考えれば考えるほどに、自らの心がまともではないのではないかと思えてしまう。
決して険しくはないのだ。ただただ、心が不安定になるだけでしかない。
それでも道中は、私に多大なる疲労を強いるものであった。
旅は延々と続いた。
それでも、目的の場所までたどり着くことはできた。
“大渓谷”。その時、私はそう一言だけ呟いた。
そして魔界の中央に関するいくつかの情報に共通する“厳しい自然”という言葉の意味をすぐに理解できた。
尖った針のように鋭くそびえる岩山。その合間を縫うように流れる激流。
木などなければ苔すら存在しない。何者も生かされることのない険しすぎる自然。
私は宙に浮き、飛ぶことができるからこそ苦などは感じないが、もしもここを歩きで踏破しようとするならば……確実にその生命を落とすことになるだろう。
空を飛び回る夥しい数のドラゴン達に見下されながら……私は心休まらぬままに、死の渓谷を越えていった。
そうして、そのような旅を超えて、辿り着いたのだ。
魔界中央都市、セムテリアに。
……そう、美しい。
今までに見た、どのような都市よりも……建造物よりも……そう、何よりも……。
けど、ここには……しかし……。
……セムテリアについて、私から語ることは何もない。
その美しさを言葉にすることはできず、その虚しさを言葉にすることもできないからだ。
セムテリアに到着して二日後、私はその美しき場所を離れて、次の場所を目指し始めた。
次は……久々に、故郷のクステイアを訪れようと考えている。
故郷で旅の疲れを癒やし、そしてひとまずは、この気持を一冊に纏めるつもりだ。
……この旅は、私を大きく成長させてくれた。
そしていい意味でも悪い意味でも、変えてくれた。
旅をやめるつもりはない。
本を書き終えたら、再び長旅に漕ぎ出す予定である。
……魔界の何処かに、外界と繋がる扉があるという噂だけど……。
次はそれを探してみるのも、悪くはないわね。