ここは魔界中央都市セムテリア。
大渓谷の中央に位置する、無人の彫刻都市である。
誰が名付けたのかはわからない。
かつて誰かが……おそらく魔族か魔人のどちらかが立ち寄って、名付けたのであろう。
人が訪れることのない都市ではあるが、その名は魔界の中心地として広く知られているようだ。
……もっとも、行く手を阻む激流や空を旋回するドラゴンの姿も相まって、そうやすやすと近づける場所でもないらしいのだが。
「“ビールを我が手に”」
丁度、塒の真下に位置する廟堂の前で、私は原初の力によるビールを生成した。
そこそこ姿を模しているアルミ缶ではあるが、ラベルもどこか歪んでおり、じっと何秒か見つめていれば偽物だと気づけるものだ。
味だって似たようなもので、感覚としては第三のビールに近いかもしれない。
原初の力で生成したものは、何だって味が安っぽくなってしまう。
「……乾杯」
それでも、これは私が生み出した最初の酒でもある。
魔界が出来る前の夜の最後に飲んだのも安っぽいビールだったし、初めて神綺に振る舞った酒もこのビールであった。
だからこの酒には、ちょっとだけ思い入れがあるのだ。
少なくとも、この廟堂の前でこうして、缶を掲げるくらいには。
「ライオネル」
廟堂前の石畳に座る私の背後から、サリエルの声が聞こえてきた。
「やあサリエル。ここで会うのは珍しいね」
「まあ、そうだな」
振り向けば、やはりそこにはサリエルの姿があった。
生命の杖を持ち、六枚の翼を広げた美しい天使である。元々は男の姿であったのだが、こうして長い間女である彼女を見ていると、もはやこっちの方がしっくりきてしまう。本人も女の動作の方が慣れてしまったらしい。口調は相変わらず、男っぽいけれども。
「……ここは、墓だと言ったな」
「ああ。サリエルはまだ中に?」
「入っていない。あまり、神綺から良い顔をされないものでな」
なるほど。
けど神綺も、サリエルを拒絶しているというよりは、私からの決定がないから頷いていない、という方が大きいのかもしれない。
そういえば私はまだ、サリエルに“中に入っても良いよ”と明言はしていなかったように思う。
……仮にもサリエルは魔界の守護者だ。彼女には、もっと以前から廟堂の中に足を踏み入れる権利があるだろう。
「サリエル。中に入るかい」
「……その前に、この巨大な廟堂には何者が祀られているのか……それが先ではないか」
「ああ、それもそうか。まあ、それは歩きながら話すことにしよう」
廟堂は広く、長い。
話すことも多くはないので、中を歩きながらでもすぐに話し終えてしまうだろう。
「ここに祀られている名も無き女神は、私の願いと祈りより生まれた神だった。彼女はきっと地球上において、一番最初に生まれた神だと思う」
「……一番、最初の……」
地球上では、この名も無き神が一番最初だ。
けど、それよりも先に生まれたのは魔界の創造神、神綺である。
だが最も巨大な力を持っていたのは、間違いなく恐竜の時代に生まれた竜骨塔の唯一神、アマノであろう。
三人とも、私が意図せず生み出した神々である。
その中でこの名も無き女神は、最も不幸な結末を迎えた神に違いない。
「彼女は、私の願いを叶えるために動いていた。だが私は、誤って彼女を殺してしまった」
「何故だ?」
「事故だった。誤認していた。言い訳はあるけど、つまりは私が愚かだったからだ。私のせいだよ」
「……だから、廟を作ったのか」
「そう。せめてもの罪滅ぼしになればと思ってね」
しばらく歩くうちに、廟堂の中央部へとたどり着いた。
そこに鎮座するのは、神骨の杖。神の頭蓋骨を先端に据え、背骨や腿骨によって柄を組んだ、罪深き遺骸の杖である。
その杖を見て、サリエルの顔はより一層強張った。
神族である彼女は、目の前にある杖の制作過程を想って、寒気を感じたのかもしれない。
「さて……今度こそ乾杯だ」
私は杖の前に再びあぐらをかいて、缶を掲げた。
隣ではサリエルも小さく正座し、瞑目している。
長旅を終え、地球に戻ってきてから、様々な人と再会した。
神綺にサリエル、そして神族、魔族、悪魔達……。
沢山の人が生きていたことには、深く安心したものだ。
再び話ができたことも、非常に嬉しかった。
しかしこれから人類の文明が広まり、私が人間たちと関わるようになってしまうと……きっと、多くの別れを経験することになるのだろう。
神族や魔族は長きを生きる。しかし多くの人間にとってそうではない。彼らは百年を跨ぐことさえ困難な、非常に脆弱な生き物なのだ。
実際、私でさえこのように頑丈な身体でなかったならば、地上に飛び出して数日もしないうちに死んでいたことだろう。
別れを経験したことなんていくらでもある。
しかし相手に愛着を覚えてしまうと、非常にしんどく感じてしまうのは何億年たっても変わらないものだ。
「なんて、私が言うのは勝手かな?」
無名の神を祀った無名の廟堂。
その最奥部に封じた神骨の杖を想い、私は缶を大きく傾けた。
安っぽい味と爽やかな炭酸の流れが口を通り、喉の隙間からぼたぼたと溢れてゆく。
「……うん、いつもの味だ」
人間の文明。人間との交流。
きっとそこには、再会以上に多くの別れが待っているのだろう。
それでも私は、彼らとの出会いを求めたい。
人間と関わり、人間の歴史を見つめていきたい。
人はどのようにして、地上の魔族や神族と関わってゆくのか。
どのようにして魔術を扱い、関わってゆくのか。
そして21世紀。なぜ、私の生きていた世界では、魔というものが消えてしまったのか。
それを見届けなくては、五億年も生きてきた意味が無いというものである。