東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 その後、十日ほど岩の前に座り込んで待っていたが、二人の女性が戻ってくることはなかった。

 時間が悪いのか、いくつかの条件が整わなかったのか。様々な可能性はあるが、会えなかったことに変わりはない。

 話したいことを何種類か考えてはみたが、どうやらそれもしばらく死蔵されることになってしまったらしい。

 

 次に会えるのは、いつだろうか。

 よほど運に恵まれていない限りは、おそらく私がいた時代よりも未来になるのだろう。

 

 彼女たちは好奇心が強いようだったが、魔法は知らなかった。

 つまりそれは、未来の日本に魔法は普及していないということである。

 

「はぁ」

 

 私は仮面の中に無風の息を吐いて、大岩の前から歩き始めた。

 

 

 

 

 日本は狭い。ちょっと魔力を出せば、横断するのも一瞬のことである。

 というより横断するまでもなく、瞬きする間に瞬間移動することだって容易だ。

 

 それでも脚を使って歩くのは、それが旅の作法ゆえ。

 魔人のルイズのように、自らの足でゆっくり歩くのも悪くはない。

 飛行を使わない非効率的な旅路は、カンブリア紀に地上を彷徨っていたあの日々を思い出す。

 

 もちろん、今は五億年前に比べると、格段に自然の彩りは鮮烈になった。

 歩いても歩いても、多様な木々や草花がそこに根ざし、幾多の試練を乗り越えた生物の末裔が地上を忙しく行き交っている。

 何を見ても飽きない。何を聞いても面白い。

 地上に訪れた束の間であろうこの平和は、果たしてあと何千年、何万年の間、続いてゆくのであろうか。

 

 鹿を追って野山を駆け回る人間の男たちは、まだ露とも知らない。

 いつかこの地上にある自然が、人の手によって掌握されるであろうことを。

 

 

 

 

 長野を歩き、岡山を越え、山口を出て、長崎についた。

 人の文化の薄い今の日本は、まだまだ注視する程度に至っていない。結構な時間をかけて歩いてはみたものの、このちょっとした旅で私が見たものは、長閑な日本の原風景がほとんどだった。

 なので私は、海を超えて別の国を訪れることにした。

 いや、国というよりは、大陸と呼ぶほうが正しいか。今はまだほとんどの場所で国が成立していないのだから。

 

「さて、確かあっちにも古くから文明があったはずだけど」

 

 確か、黄河文明だっただろうか。

 学生時代に世界史をもっと真面目に受けておけば……なんて、もう天文学的な数字になるほどの数だけ後悔したけれど、こうして手探りで歴史を見てゆく旅というのも、案外新鮮味があって悪くはないものだ。

 

 というわけで、しばしの間さらば日本。

 目指すは中国。大陸の大自然を楽しむとしようではないか。

 

 

 

 空から眺めた世界地図上の、おそらく中国であろう場所。

 もちろんそこにも、古代からの文明は存在した。

 

 日本は未だ狩猟と採集でせかせかと自給自足を楽しんでいるが、少し文明が進めば、耕作を行うようになる。

 栄養価の高い草をもりもり育てれば人も増えるし、もっと草を食べたいので更に工夫する。草が余れば暇になる人も現れるので、直立二足歩行で育まれた無駄にでかい脳みそを、また別の方面に使い始める。

 そうして文明は急速に発展してゆくのだ。

 

 その始まりは、やはり川沿いであろう。

 中国を訪れた私は、ここでもまた川沿いでいきいきと草を育てて生活する人々の姿を見ることが出来た。

 もるんもるんした粟は氾濫原の多くの場所で育てられ、人の生活もかなり潤っているようであった。

 

 人々の生活水準もなかなか高いようで、使っている道具も様々だ。

 未だにウホウホ言ってそうな日本とはランクが違う。

 

 ……彼らの営みの中には呪物的な器具もいくつか見受けられたが、悪魔を呼び出せるほどの魔法への理解は持っていないようである。

 精々が天候に対する祈願、疫病から逃れるための簡単な呪物。かすかな力は感じられるものの、それらに効果を発揮するだけの能力はないように見える。

 

 彼らは魔族や悪魔に対抗するためのお守り程度は持っていたが、積極的に霊的な存在を遠ざけようとしているようだった。

 人々は繁栄していたが、そこに魔法が付け入る隙はあまり存在しないのだろう。

 理解不足故の、忌避感というやつだ。

 

 少々寂しいが、これもまた時代というやつだろうか。

 魔法がもう少し普及すれば、理解も得られるとは思うのだが。

 

 

 

「やれやれ……」

 

 河を離れ、更に歩く。

 中国の険しい自然は日本のものとは違っていたが、それを見るのもまた楽しみである。

 人のいない山道は、それでもなかなか充実した旅路であった。

 

 ……人の営みよりも自然を見る事のほうが癒やされるというのは、少々悲しいものがあるなぁ。

 いや、私も人が嫌いになったわけではないのだが。

 ただ単に、魔法を使ってくれないとちょっと見ていて面白みがないというだけで。

 

「……おや?」

 

 沢の岩場を歩いていると、ふと魔力的な気配を感じた。近くにある。

 私はかすかな気配を辿って大きな岩の影を覗いてみると、そこに一人の男が座り込んでいた。

 

 赤い着物を纏い、手に大きな弓を持った顔立ちの良い男。

 その風体から、彼が人間ではなく神族であることは、すぐにわかった。

 

 ……気配は微弱だが、まだ息はある。

 しかし全身のあちこちに深い矢傷があり、頭にも打撲痕がみられる。それらが治癒していない様子を見るに、彼にはもうほとんど力が残されていないのだろう。

 

「誰、だ……」

 

 男もすぐ側に佇む私に気付いたのか、意識を覚まして声をかける。

 そこには少々の警戒も含まれていたが、男にはもう弓を構えるだけの力も残っていないらしい。

 

「私は偉大なる魔法使い」

「魔法……」

「酷い怪我を負っている。魂にも少なくない負担が掛かっているようだ。貴方の命は、このままだともう長くはないだろう」

「……知っている」

 

 私が声をかけると、男はそれに応えてくれた。

 しかし彼は何か諦めているようで、助けや救いを乞うような素振りを見せてこない。

 

「……俺は、地上でも生きてゆけると思っていたのだ」

「ふむ」

「命さえあれば、二人であれば……それで大丈夫なのだと」

 

 男は語る度に、涙を流している。

 過去に何かがあったのか。それを思い出して、彼は泣いた。

 

「それ以上はやめておきなさい。あまり精神を追い詰めると、死期が早まってしまう」

「……?」

 

 マイナス思考は、ほとんどの神族にとって毒物だ。

 精神的に自らを追い詰めてしまえば、その生命は急速に削れ、消えてしまう。

 

 だから私は彼の言葉を遮って、一本の小さな瓶を渡してやった。

 

「それを飲めば、貴方は癒されるだろう。傷は消えて魔力は漲り、おそらくどこへでも歩いて行けるようになるはずだ」

「……薬、か」

「別にお代はいらないよ」

「……これは、俺だけの薬なのだな」

「ああ、そうだとも」

「そうか」

 

 男はしばらく、気の抜けたような顔で瓶を見つめていたが、しばらくして私の差し出す瓶を手に取った。

 

「……ありがとう。後で……これを、飲ませてもらうよ」

「どういたしまして。今すぐにでも飲むべきだとは思うけど」

「いや、良いんだ。今は、このままで」

 

 手にした小瓶を飲もうとしないまま、男は再び涙を流す。

 

「俺は、気持ちに整理を付けたいのだ。だからまだ……このままで」

「……そうか」

 

 男はこのまま、自らの心が砕けるギリギリまで泣き続けるのだろう。

 その後しっかり薬を飲むのか、それとも飲まずに死ぬのかは……私にはわからない。

 

 だが私は、きっと彼は薬を飲むのだろうと思いながら、結果を見ることなくその沢を後にした。

 

 

 

 魔法を知らない地上の人間。

 世界の隅に必ず存在する、神魔の者達。

 

 なかなか交わり難い二つを見つめる私の旅は、まだもう少しだけ続く。

 

 

 


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