東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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羿

 

 我々高天原の神々は、月に移住した後に“月の民”を名乗るようになった。

 現地には他の神族が入植させたものと思われるウサギの眷属が先住していたが、これを併呑して“月の民”と認める。

 簡易的な拠点構築後、我々はただちに防衛機構を備え、地球やその他外敵から身を守るための都市の建設を開始した。

 

 いくつかあった都市計画のうち、我々の総意として選んだものは“最も安全性に優れた都市”であった。

 神々は実用性を度外視して美しさを求める気質が強かったけれど……月にやってきてすぐに起きた事件が、彼らの考え方を変えたのかもしれない。

 

 

 

 月の空に浮かんだ巨大な煙の髑髏。

 遠目にも理解できる規格外の巨大さと強大な魔力の波動を前にして、私達は立ち竦むしかなかった。

 中には立ち向かおうとした者もいたが、それは力の差を正確に理解できないが故の蛮勇でしかない。

 わかる者にはわかるのだ。

 あれは、敵に回してはならない程度の力を備えた“悪夢”なのだと。

 私にとってもそうだったし、隣りにいた姫様にとってはそれ以上の衝撃があったことだろう。

 

 

 

 悪夢のようなその頭蓋は、宇宙の果てに消え去ってから姿を現していない。

 邂逅は月に来た最初の一時きりのみ。偶然にしてはあまりに出来過ぎたタイミングだと思わないでもないけれど……我々は長い年月を月で過ごす間に、次第にあの時の恐怖を忘れるようになっていった。

 

 月の魔力には、狂気を促す力がある。

 もしかすると我々は、知らずのうちに狂気に呑まれ、正常な判断力を失っていったのかもしれない。

 

 

 

 月に昇った我々“月の民”が再び地上に接触したのは、月の都を完成させてから数千年後のことになる。

 接触といってもそれはサンプルの“採取”に近いだろう。

 遷都以降は百年近い周期で地上に遠隔探査機を飛ばし、研究材料の鹵獲を続けている。

 月には穢れが存在せず、また危険な魔族もほとんど存在しない。そのために、穢れに纏わる調査が全く進まなかったのだ。

 極々稀に妖精が出没することもあるが、すぐに存在が希薄になって霧散する個体がほとんどなので、研究対象としては全く向いていない。それに大切なのは、多様性を持つ地上の生命を研究することにある。

 

 わざわざ月にやってきて、地上の穢れを求めるというのも矛盾した話ではある。しかし、いつ何時、地上から恐ろしい力を備えた穢れがやってくるともわからない。

 定期的に穢れや生物相を検査して研究することには、月の都の防衛として非常に大きな意味があった。

 

 そしてその採取行動も、データが集まり危険性を正確に認識できるようになれば、更に踏み込んだ領域へと移行する。

 月の遷都より途方もない時を経て、私はようやく地上での探索調査に乗り出せるようになったのであった。

 

 

 

「……記録映像で見るものとは、やっぱり違うわね」

 

 大八島の警戒や調査はそこそこ反復されているので、今回の実地調査ではそちらに用はない。

 私は月から出発すると、まずは大陸側の安全な陸地へと降り立った。

 一見しただけでも、長い年月を経て生物相は変化し、新種らしきものも増えているようである。

 深く調査を続けていけば、おそらく地上に生きる“神々”の影響も見て取れるのだろうが……私はそちらの方にもあまり興味はない。

 

「生物の信仰に頼る生命維持だなんて、まるで穢れのような生き方だわ」

 

 今現在、地上では“信仰”とやらを集めて自らの存在を確立し保全する延命法が蔓延っているのだという。

 自らの霊魂を変容させ、外部からの供給によって流動的に存在を保っていく算段なのだろう。

 

 多少であれば、悪く無い手段だとは思う。力を必要とする時に外部から力を収集し、発動させる。それであれば非常に効率的だし、非常時の手段として控えておくのも悪くはない。

 

 しかし、自らの存在全てをそれに頼るのはあまりにも危うい。

 無尽蔵に力を増幅出来うると言えばそうだろうけど、逆に信仰が失われた時の反動も強いので、外部からもたらされる信仰量と一蓮托生になる可能性が高まるのだ。

 月の都でも、信仰だけならばと力を貯めこむ神々がいるが……私はそうはなるまいと、常日頃から思っている。

 

「そんなことよりも……こっちね」

 

 しかし、そのようなことはどうだって良い。

 神々が生きようが死のうが、そんなものは私には関係の無いことだ。

 

 私にとって最も重要なのは、輝夜の命なのだから。

 

 

 

 もはや私は、サリエル様が未だこの世に存在するとは考えていない。

 長い時の流れの中で、私もようやく彼への気持ちに整理がついたのだ。

 

 かわりに私の中で生まれたのは、地上で拾い上げた神族……蓬莱山 輝夜への強い依存心。

 清く、そして美しい彼女を護ること。サリエル様を失った私にとって、重要なことはただその一点だけである。

 

 

 

「他の場所は変わっているのに……ここは相変わらずなのね」

 

 月の都の重臣達には“生物相の現地調査”と伝えてあるが、それはあくまでも建前に過ぎない。

 本来の目的は、輝夜と初めて出会った神秘の孤島……“蓬莱山の孤島”の調査にあった。

 

 蓬莱の木が立ち並ぶこの孤島では、あらゆる穢れが自動的に浄化され、無害となる。

 今や蓬莱の木の構造に関して調べる事はないのだが、この島の成り立ちそのものの謎については、未だ解き明かされていなかった。

 

 何故、私が考案した蓬莱の木がここに群生していたのか。

 この島を覆う結界は一体何者が構築したのか。

 かつてここには、何者が住んでいたのか……。

 

 そんなことが気になった私は、もう一度この島へとやって来たのである。

 

「……変わらない、ようにも見えるけど」

 

 風化して更地に変わった遺跡。

 地形の変動によって崩れた山。

 それでも同じ場所に存在し続ける、木造の家。

 

「何人かがここに立ち入ったようね」

 

 歪んだ斜面に立つ木造の家に入ってみると、内装は少々荒れているように見えた。

 家具は乱雑に床の上に転がり、埃はそこら中に山積している。地形の変化で家自体が傾いたが故の荒れなのだろう。

 

 ……が、人の痕跡がないわけではない。

 内装のいくつかの備品は不自然な場所に移動していたり、または使用されたような形跡が残っている。

 物が上から下に落ちることはあっても、下から上に登ることなど滅多にあるものではない。私の他にも、結界を解除できる者が居たということだ。

 

「魔法の台頭、か」

 

 魔法。それは科学とはほとんど真逆の位置に存在する、神秘の力を行使する技術だ。

 昔も魔法は存在していたが、現在の地上に普及している魔法は、今までの独自性ある魔法よりも格段に優れているという。

 魔法もある程度体系化されて、馬鹿な連中にも伝わるようになったということか……。

 

「ッ……何者!?」

 

 気配。

 私は扉を蹴破って外に出ると、背にした弓を構えて弦を引き絞った。

 

 小屋の外には、神族らしき男が大きな弓を構えて立っていた。

 私が突然飛び出してきたので、一瞬だけ躊躇したのだろう。番えた矢を放つ機会を逸し、反対に私に向けられた矢を見て、額に脂汗を浮かべている。

 

「……お前は誰だ」

「それはこちらの台詞」

 

 生憎と、私は魔族からの奇襲に慣れている。

 余裕ぶらず、私よりも先に弓を構えて音もなく近づいていれば、この場においては優位に立てただろうに。

 まあ当然、あの程度の飛び道具を処理する用意は整えてあるけれど。

 

「……落ち着いてほしい。俺は妖魔の類ではない」

「ならば弓を置きなさい」

「わかった」

 

 私が冷淡に命じると、男は迷うことなく弓を放り捨てた。

 他には何もなしと両手を挙げて、全身で無害を主張している。

 

「ここに来た目的は? 小屋に入った隙を狙っていたのかしら」

「ち、違う! 違います、断じて!」

「では何? 正直に答えなければこの矢があなたの複数の臓器を同時に貫きます」

「は、話せば長くなるのですが! 私は元々天界にいた神族の一人でありまして……!」

 

 男の必死の弁明は、それから二十数分にも及んだ。

 

 ……相手が無害だとは最初からわかっていたけど、やっぱり脅しかけてやると話がスムーズに進んで良いわね。

 

 

 


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