東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 頭を冷やし、しばらく座り込んで冷静に考えたところで、おそらく数分が経過した。

 腕が光る。まぁ、それも良いだろう。この際そんな不可思議な現象にすら目を瞑ろう。重要なのは、そればかりでもない。

 

 私が気にしなければならないことを、一度よく整理する。

 不可解なことは多いものの、私の望むことはただ一つだ。

 

 生きること。

 生きていれば、それでいい。生きていられるならば、この際突っ込みどころしか存在しない今に、何も言わないでおこう。

 

 現状、何か苦痛を感じているわけでもない。飢えてもいないし、体感としては健常そのものである。

 枯れ果てた身体に、石造りの密室。そして、謎の光る腕。疑問は尽きないが、この時において重要なのは、もはや私が従来より持ち合わせている常識などではない。

 もっと動物的な、生きたいと望む本能。その成就こそが、私の成すべき目標である。

 

 ……要は、混乱し過ぎで今なにするべきかわからないから、生きているならひとまず落ち着いても良いんじゃないってことだ。

 

 

 

「しかし、出ないことには始まらない、か……」

 

 身体は動く。腹も減ってない。なら、今私がやるべきことは、この真四角の石空間からの脱出のみだろう。

 ここが一体どこなのか……東京湾に沈んだか、ピラミッドの中の未知なる空間に転移したのかは定かでないが、とにかく密室というのはそれだけでマズい。

 出ないことには、生きるもクソも無いのである。

 

「出口、出口……」

 

 石壁に手を這わせながら、出口を探る。

 この謎空間が脱出ゲーム的仕掛け満載の部屋であることに望みをかけ、とにかく壁伝いに手探りし、可能性を見つけるしか無い。

 

 壁を叩いて、音の違う場所を探してみたり。

 壁に手をかざし、風が吹いてきそうな隙間を探ってみたり。

 はたまた、微妙なひっかかりを押し込むことによって、どんでん返し的なギミックが発動するのを期待してみたり。

 

 

 

「駄目だ、なんて美しい立方体なんだ……」

 

 二十分後。私の心は折れ、硬い地面に突っ伏していた。

 駄目であった。壁も床も、紛うことなき完璧な、ただの石だったのだ。

 継ぎ目も何もあったものではない。ここは完全無欠、見事に普通の石部屋であるらしい。

 

「……なら、どうやって出れば良い……」

 

 ここまで数多くの謎を撒き散らかしておいて、出られないまま謎の密室死を迎えるなんて、冗談にしたってタチが悪い。

 訪れるのは窒息が先か、餓死が先か。いずれにしたって、一縷の希望も無い点で言えば、どこぞの立方体謎空間に閉じ込められる某映画以上の不幸待遇である。

 

「ああ……私はこのまま、死ぬのか……?」

 

 私は固い石床に寝っ転がり、床と同じ材質の天井を見上げた。

 

 思い起こされるのは、つい数時間前まで過ごしていたであろう、退屈でありながらもそこそこ充実した日常の日々。

 仕事をして、アパートに帰って、寝て……。

 それで……あと……そう、そんな感じの繰り返しの、充実の日々……。

 

 ……虚勢はやめよう。充実と呼べるほど、充実はしていなかった。

 至って退屈、ただそれだけの日々だった。

 

 けど、私はそれで良かったのだ。

 私は平穏であれば、多くを望まない。ただ、毎日呼吸を許されて、三食のご飯を食べて、それさえあれば、そんな灰色の毎日でも良かったのである。

 

 私が何か、罰が当たるような悪いことでもしただろうか。この前、自販機の隣の缶専用のリサイクルボックスにペットボトルをこっそり入れたのが神の逆鱗にでも触れてしまったというのか。

 この圧迫された空間が、そういった細々とした罪の結晶なのだとしたら……私はあまりに理不尽な罰を背負わされてはいないだろうか。

 細々と生きてきた私だ。ならば慎ましいなりの赦しが欲しい。

 

「ああ、神よ……この世を統べる神よ……」

 

 私は仰向けに寝そべったまま、輝く両腕を天井に掲げる。

 やるべきことは、全て試した。壁も床も調べた。あとに残されているものと言えば、私には神頼みしか存在しなかったのである。

 

「神よ……どうか私に、手を……」

 

 私はキリスト教徒でも仏教徒でもない。一年のうちのいくつかのイベントに便乗するほどのどっちつかずでもない。

 神仏とはほとんど縁のない、どちらかといえば科学的な人生を送ってきたものである。

 しかし人間、こうなってしまえば、手を合わせるなり、十字を切るなりするしかないだろう?

 調子が良い奴だと罵られても構わない。もしもこの状況から救ってくれる存在が世に実在するのだとすれば、私は神でも悪魔でも信仰し、赦しを請う他に術はないのだから。

 

「どうか……」

 

 私は醜い声で呻き、醜い細腕で、ただただ闇の中をもがいた。

 

 

 

 その時、私の手に暖かなものが触れた。

 

「え……」

 

 私の手に、私の手以外の、暖かな何かが触れている。

 私は、瞼があるかどうかもわからない瞼を開き、再び天井に意識を向けた。

 

「……あ」

 

 そこには、私の腕と同じように淡く光り輝いた、一人の美しい少女が浮いていた。

 

 銀の長髪に、紅いローブ。

 背中より広がる、大きな六枚の黒い翼。

 

 顔立ちは幼く、少女と呼ぶに相応しい程に見えたが、彼女が全身から醸し出す神々しさを前にしては、“美少女”という俗な一言は浮かばなかった。

 

 私は少しの間を開けることも無く、心の奥深くで確信する。

 目の前に現れた彼女こそが、神なのだと。

 

 その神が私の手を取り、宙に浮かんでいる。

 

 神は、私の声に答え、現れてくれたのだ。

 

「……神よ」

「……はい」

 

 私が彼女に言葉を投げかけると、そう呼ばれた彼女は時間をかけながらも、確かに私の言葉を肯定し、反応した。

 その仕草は気品と慈愛に溢れ、神々しい。間違いない。やはり、彼女は神なのである。

 

「……私は、死んだのですか」

「……あなたが、死んだ……?」

 

 神が可愛らしく首を傾げる。

 

 うん? 私は死んだのではないのか。

 

「えっと、私は死んだ……?」

「いえ、あの……多分、死んでないと、思います……?」

 

 疑問を煮え切らない答えで返された。

 もっとこう、神様なら、毅然とした態度で……“そう、あなたは子供を助けようとして、トラックに跳ねられて死んだのです……”とか言うかと思ったのに。

 

 私の中で、更なる疑問が湧いて出る。

 

「ええっと、あなたは、神で間違いない?」

「は、はい、多分、この世界の神……で、間違いないはず、です」

 

 えっ、本当に神なのかなこの人。

 

 ……ちょっと、しんみりとした態度を改めよう。

 よく見たら私の手を取る彼女の表情は困惑とおどおどした弱気に満ちているし、威厳も何もありはしない。

 

 私はひとまず、その場から起き上がって、石の上で胡座をかいた。

 すると私の正面に浮いていた神、らしき少女も床の上に降り立ち、そっと床の上で正座する。

 

 胡座を組む私と、ちんみりと正座する神。

 私の中で、疑惑が確信に変わる。この子、多分私が思うような神ではない。

 

「あの」

「はっ、はい」

 

 私が再び声をかけると、少女は緊張したような素振りで返事を返した。

 

「私は、死んでいない?」

「死……って、あの、おっしゃることの意味が、私には……」

「ええと……じゃあ言い方を変えて……私って、何か貴女の不手際とか、神さえ予期しなかった不幸か何かで死んだとかではない?」

「ふ、不手際? い、いえ、ごめんなさい、多分違うと思います。私、今ここに現れたばかりなので……」

「あ、そうなんですか」

「はい……」

 

 どうやら、私は死んだわけではないらしい。

 トンデモな可能性のひとつとして、以前ネットで読んだような、トラックに轢かれて別の世界に送られる、なんて物語を想像したんだけど……そうでもないようだ。

 

 ……しかし、そうなると?

 

「では、何故貴女……神は、私の目の前に?」

「え」

 

 私が少女に問うと、彼女はあからさまに困ったような表情を浮かべた。

 

「どうして、あなたの前に、って……だって、それはあなたが私を創ったからじゃ……?」

「えっ?」

「えっ」

 

 私と少女は、しばらく疑問しか浮かばない顔を見合わせた。

 

 


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