東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 地上の魔族達が、その数を大幅に減らしているらしい。

 それは大八島にいる者達からの報告や、天界に及んでいる実害の少なさからも窺い知れることだった。

 

 ……高天原で暮らす私達は、日々を魔族に怯えながら過ごしていた。

 大八島も、内陸側からの魔族の猛攻によって陸地を完全に分断され、ままならぬ状況であったという。要は、私達はほとんど死に体であったのだ。

 このタイミングで魔族たちが攻めの手を緩めてくれたのは、幸運であると言う他ないだろう。

 

 ……偶然に救われたのは癪ではある。しかし、その時点では月への移住計画も中途半端なものであったので、緊急手段を使わずに済んで良かったのは本音だ。

 月への一斉転移を実行するには、下調べと準備を完全に仕上げてからにしたい。

 結果が不明瞭なままでは、たとえ九割近い可能性があったとしても実行できない。やるとしてもそれは、本当に差し迫った状況でしか取れない選択肢である。

 たとえ高天原の住民が私に全幅の信頼を寄せていようとも、彼らを……特に輝夜を危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 

 

 地上の魔族たちの衰退。その原因は、魔界にあるのだという。

 魔界についてはまだまだ不明な点が多いが、地獄の者でさえ近付かない危険地帯であることは天界でも周知の事実。

 その上穢れを嫌う我々高天原の民にとっては、調査にさえ出向きたくもない、最も忌み嫌われている場所の一つだ。

 

 その魔界がどうやら、地上の魔族たちを引き込み、回収しているのだとか。

 凶悪にして凶暴な連中を一体どのように回収するのか。一体どのような目的があってそのような事をしているのか。謎はあまりにも多すぎるが、事実だけを見ればそれは好都合なことだった。

 

 地上は今、魔族の巨大派閥が消失したことにより、再びの紛争が巻き起こっている。

 この機を利用しない手は無い。

 私は研究と調整を急ピッチで進め、ついに月への移住計画を実行可能な段階にまで引き上げたのだった。

 

 

 

 原理は複雑。

 計画を実行に移すためには、高天原の高貴なる神々の助力も必要だ。

 中には目隠しをしなければならない者がいたり、特定の者同士で手を繋いでいてもらわなくてはならない者がいたり、計画中ずっと口を噤んでいてもらわなければならない者もいる。申し訳ないとは思ったが、繊細な作業も多分に含まれているので、万全を期さなくてはならなかったのである。

 

 神族の協力者の中には、もちろんのこと輝夜も含まれている。

 数時間も単調な力の放出を維持しなくてはならないので、落ち着きの無い輝夜にとっては、特に辛い作業になるだろう。

 

 ……長い付き合いだし、絶対にそうなるだろうとは思っていたのだけれど。

 ……けれど……実際にいざその時になると、輝夜の様子は、いつもとは全く別のものであった。

 

 

 

 高天原の周囲一帯に強力な結界が形成され、高天原が天界から、文字通り“隔絶”される。

 それにより高天原は一時的に外界へ出現し、一部の出不精な神族にとっては初めての“地球”の姿が顕となった。

 

 一部のお気楽な神族は、浮島から見下ろされる地球の姿をみて“美しい”だの“やはり穢れているな”だの好き勝手な感想を口にしていたが、輝夜だけは地球を見下ろしたまま、口を閉ざし続けている。

 

 高天原を乗せた浮島はこれから、その高度を維持したまま新たな結界を構築し、異界を経由して最短距離で月へと向かう。

 異界への転移、供給される月からの魔力、天候、周辺地理とその安全性、全てが計画通り。

 浮島はおよそ八時間にも及ぶ慎重かつ大規模な転移によって、月へと到着することだろう。

 

 月読見の事前調査では、月には既に謎の種族がいるらしいが……まぁ、それはどうでもいいことである。

 適当に支配下に収めるなりすれば何も問題ないし、相手の態度によってはいざとなれば地上に放逐すれば良いのだ。

 

 月を見上げる者。青い地球を眺めながら談笑する者。

 

 その中で、輝夜だけはいやに真面目な表情で、地球を眺め続けている。

 

「……輝夜、どうされました?」

「ん……エイリン。地球を眺めていたのよ」

「それはわかっていますが……」

「探していたのよ。かつて私が暮らしていた、蓬莱山の姿をね」

 

 気付けば、輝夜はその手の中に一着の赤いローブを抱え込んでいた。

 

 それはかつて私が輝夜と出会った時、彼女が着用していた出自不明の衣類である。

 防護の魔法がかけられているために、赤いローブは長い年月を経た今でも尚、色褪せず朽ちていない。

 

 ……今にして思えば、それは当時地上に存在していた魔法技術から見てもかなり高度な代物であり、蓬莱山に存在していた小屋なども謎が多い。

 魔法関係についてはいくら予想しようとも正確な答えを導けないので、結論を諦めていたけれど……あの島は、一体どのような種族が生活していたのだろうか。

 

「また……蓬莱山を走り回って遊びたいわ」

 

 輝夜はそんな山の思い出を夢想しながら、青い星を物憂げに眺めている。

 

 その視界には、きっと蓬莱山の姿は映っていない。

 かの山は周囲一帯が高度な魔法の結界によって覆われており、解除しなければ立ち入ることも、認識することもできないのだ。

 それは結界の内側で生まれ、育ってきた輝夜であろうとも例外ではない。

 

 ……そう。

 あの地球から離れるということは、輝夜が故郷から離れることを意味していた。

 離郷という意味では天界を去る我々にとっても同じだが、まだまだ精神的に未熟な彼女にとっては、踏ん切りのつかない所も多いのだろう。

 

「……姫、これを」

「え、何? ……あ」

 

 私はそんな彼女に、一本の枝を差し出した。

 

 彼女に手渡すのは、七色の宝玉を実らせた蓬莱の枝。

 私が蓬莱山より採取した枝を、更に独自に発展させ、球状の結晶を実らせるように改良を加えた品である。

 

「……エイリン、ありがとう」

 

 蓬莱の樹の枝を受け取り、輝夜が心から嬉しそうに微笑む。

 

 ……この枝が、月における暮らしで少しでも彼女の慰めになれば……。

 そう思わずにはいられない。

 

「……そろそろ月に到着する頃ね」

 

 そして、私も……。

 彼女と同じように、地上への未練を完全に捨てきらなくてはならないわね。

 

 

 

 

 無事月に転移し到着した浮島は、同時に防護結界を展開することにより、安全を確保した。

 当然ながら、地球から丸見えの地表に降り立つなどという馬鹿な真似はしない。計画通り地球から見て月の裏側に転移し、無事に都をその場に固定している。

 無事に転移が成功したために、月読見を含めた多くの神族が安堵しているようだ。

 

 しかしこれで終わりというわけにもいかない。次にはこの月において住みやすい環境を整える必要がある。

 月読見の見立て通り、大気は薄いものの呼吸に不具合はないようなので、予め定めた行動表通りに順々に済ませていけば、すぐにでも都の建築作業と調査に乗り出せるか。

 

「来たのね、月に」

「ええ姫様。到着ですよ」

 

 岩石質の大地。広がる清き海。生い茂る桃の木。

 そして、夜のような星空。

 

 地球や天界とは全く異なる景色であり、尖った見方をすれば殺風景である。

 もしかしたら輝夜には、この土地は肌に合わないのかも……。

 

「きゃーっ! 海! 海だわ! 行きましょエイリン!」

「……はぁ、そんなわけないか」

 

 一瞬心配してしまったけれど、新しいもの好きの輝夜が月に来て早々にホームシックになるはずもなかったわね。

 となると、もうしばらくは確実に問題ないということか。

 ああ、そう考えるとなんだか、とても肩の荷が降りた気分になる……。

 

「八意様、あれを! 地球から、何かが飛来してきますッ!」

「な……なんですって?」

 

 どこかで一人の神族が叫び、私を呼んだ。

 

 その者は顔に汗を浮かべながら、しきりに空を指さしては、狼狽えている。

 いいや、彼だけではない。その周囲や、他の者達の多くも、空にいるらしい異常事態を見て驚いているようだった。

 

「一体何が……」

 

 私は空を見上げた。

 

「あるっていうの……」

 

 そこには、暗雲が広がっていた。

 

 

 

 ……いや、おかしい。

 雲ですって? あり得ない。

 

 月に水が存在することは以前からわかっていた。

 しかし、この星で巨大な雲が形成されるのは難しいと、月夜見と他海に纏わる神族達が判断を出していたはずだ。

 

「いや……雲じゃない。あれは……煙?」

「やっぱり間違いない、こっちに飛んできている!」

「そんな馬鹿な、魔族が我々を追ってきたとでもいうのか!?」

「八意様、月夜見様、迎撃しますか!?」

 

 慌てふためく神族たち。

 今回の転移に際して、私達は多くの防衛武器を持ち込んでいたので、迎撃の準備はすぐにでも整うだろう。

 仮にあれが一般的な魔族だとするのであれば、撃退するのは容易なことである。

 

 しかし……。

 

 最初はただの霞のように見えていた暗雲も、次第にこちら側へ近づくにつれ……その巨大さを、全貌を露わにしてゆく。

 

 

 

「な、なんて……」

 

 誰かがそう零した。

 

「あれは一体……」

 

 遠距離光学武器を手にした誰かが、それを地面に取りこぼした。

 

「……頭蓋骨」

 

 月の裏側、その空を覆い尽くすかのように浮かぶ、巨大な灰色の煙。

 

 それは丁度我々の頭蓋を模したような、不気味な様相でもって、私達を見下ろしていた。

 

 うっすらと輝く煙は時々揺らめきながら、しかし定まった頭蓋の形は崩さずに、私達を見つめている。

 

 その姿の巨大さに、恐ろしさに、私達はその場を動くことができない。

 

「エイリン……なにあれ……」

「……輝夜、私から離れないで」

 

 怯える輝夜を私の後ろに隠しはしたが、空の彼方からこちらを見つめるあの頭蓋に対して、一体どれだけの隠蔽効果があるというのだろう。

 あの煙は……その大きさは、月と同じほどではないだろうが、確実に小惑星ほどの大きさを持っている。あれが意思を持って、何らかの攻撃を加えてきたらと思うと……生きた心地は全くしない。

 

「……八意様、穢れであるならば、私が……」

「よしなさい天照。無闇に刺激しては駄目」

 

 穢れに対して強力な浄化能力を持つ神族も中にはいるが、到底力が及ぶとは思えなかったし、天照も陽の当たらない場所においては、全力を発揮することも難しいだろう。

 下手に刺激して、アレを怒らせたら……それこそどうなるか、わかったものではない。

 

「あっ、動きが……!」

「ひいっ……」

「嫌……!」

 

 緊張の時が続く中、空に浮かぶ巨大な頭蓋は……奇妙なことに、その口元を弧のように歪めて……確かに、“笑った”。

 実際の骨格においては再現できるはずもないその不気味な笑みは、私達の体を竦ませ、何人かの神族を震え上がらせるには十分な恐怖を持っていた。

 

 アレは、意識を持っている。

 そして、私達を認識している。

 

 そして……何を思ったのか……“笑った”。

 

 奴は何者だというのか。月の先住民なのか。それとも地球から飛来した魔族なのか。

 私は持ち前の頭脳を全力で働かせるが、答えらしい答えは一向に現れない。

 

「あ……」

 

 私達が恐怖に震え、抱いていた戦意すらも喪失する頃になると、不意に空に浮かぶ頭蓋はその顔を背け、宇宙へと飛んでいってしまった。

 

 私達を見て、何を思ったのか。何をするのか。それは、全くわからない。私達には理解も及ばない。

 しかし地球とはまた別方向の、暗黒の宇宙へと飛び去ってゆくのを見送ると、神族たちは揃ってその場に座り込み、大きな息を吐き出した。

 

 それは、私の後ろに隠れていた輝夜も例外ではない。

 

「こ、怖い……ねえエイリン、何なのよ、あれは……」

「……わかりません」

 

 どんどん遠ざかる灰色の煙。

 

 あの煙の正体は、この私にも理解できない。

 

 今唯一わかるのは、宇宙を飛行する正体不明のあの煙が、寿星に近い方向を目指して飛行しているという、あまりにも漠然とした、少なすぎる事実だけである。

 

 

 

 ……安住の地、月。

 けどそれは、あまりにも楽観的過ぎる認識だったのかもしれない。

 

 ……これからは、月の都の防衛能力を最大限まで高める研究と開発に追われる日々が続くのだろう。

 

 一体どうして、こんなことに……。

 

 


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