東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 ミトラ様の途方も無い力によって魔界への入り口が作られると、配下の軍勢はこぞってその中へと飛び込んでいった。

 

 剣を持つ者、牙を持つ者、巨体を持つ者、雷を操る者、毒を操る者。

 様々な能力を持った魔族たちが、意気揚々と魔界へ乗り込んでゆく。

 彼らの持つ能力の多様さは、正直俺にも把握しきれていない。だが、好戦的に門を潜ってゆく彼らのほとんどは、天上の神族にさえ匹敵する戦闘能力を有していることは間違いない。

 

 それでも俺は、この門の先に潜む奴らに勝てる気がしなかった。

 

「魔界という場所は、地獄の連中にも攻めこまれた過去があるらしいな」

「へえ、地獄。そいつは面白い。じゃあ既に魔界は地獄の連中の手に落ちてるわけか」

「地獄か……連中の焔は厄介だが、いい機会だ。地獄にも攻め入って、格の違いを教えてやろうか」

 

 まだ見ぬ異界を空想し、談笑しながら門を潜る歴戦の猛者。

 奴らは確かに、俺なんかよりもずっと強いだろう。俺と奴らには、天と地ほどの力の開きが存在するだろう。

 

 でも、奴らは俺と同じだ。

 あの時、絶対に勝てると思って門をくぐり抜けた、昔の俺と全く同じ……。

 

 

 

「どうした。お前たちは潜らないのか」

 

 そうして足踏みしている間に、辺りに立ち並んでいた魔族の大群は、全て居なくなっていた。

 まるで最初から大軍勢など存在しなかったかのように、数百程度の魔族だけが草原に取り残されている。

 

 見回してみれば、どこか懐かしい顔ぶれだけが残っていた。

 記憶に新しいわけではないが、彼らの顔を見ればすぐに共通点が思い当たる。

 

 こいつらは皆、俺と同じ。あの日、ヨウェン様と共に魔界へ乗り込んだ魔族の、数少ない生き残りだ。

 

 生き残ったものの、すぐさま新たな派閥に併呑され、弱き者として蔑まれてきた者達。

 

 だがその弱さ故に、決して立ち向かってはならない相手を知る者達だ。

 

「魔界へ進軍せよと命令したはずだ。お前らは何故動かないのか」

「……」

 

 弱い俺たちに向かって、光り輝く異界の門の頂点に浮かぶミトラ様が訊ねる。

 

 正八面体の金属塊。俺たち魔族を力で纏め上げる、強き者の長。

 魔族王ミトラ。

 俺たちは、今まで誰もこの人には逆らえなかった。

 

「魔界へは……行けません」

「ほう?」

 

 だが今日この時ばかりは、口にせねばならない。

 

「ミトラ様、今からでも遅くはありません。魔界は恐ろしい場所です」

「その通りでございます。魔界は……魔界だけは」

「それがミトラ様のためでもあります」

 

 俺を皮切りに、次々に仲間たちが反対の意見を口にする。

 これまで機嫌を損ねないよう、細心の注意を払ってばかりだった俺たちであるが、今回の遠征で思うことは同じだったのである。

 

 決して魔界に攻め入るべきではない。

 決して魔界に関わるべきではないのだと。

 

「ほう、ほう。つまりお前たちはこう言っているわけだ」

 

 だがミトラ様は今まで開いていた門を閉じて、威圧的な銀の輝きを放ち、言う。

 

「この私が、魔界に屈すると?」

 

 誰かが、威圧に呑まれて情けない声を出した。

 目が潰れてしまいそうな銀の輝きに照らされ、誰もが膝を折り、その場に崩れ落ちる。

 

 圧倒的な魔力。圧倒的な殺意。

 暴力や殺意など、これほど長く生きていれば何度となく味わったことはある。

 

 それでも今この時、ミトラ様から向けられる死の気配は、過去の経験を遥かに上回るものがあった。

 

 

 

 そう、今までに……。

 

 ……いや、どうだろうか。

 

 ……違う。

 

 ……こんなものではない。

 

 本当の“死”の気配とは、この程度のものではない。

 俺達は知っている。その身に、その目にしっかりと焼き付けているはずだ。

 

 玩具にされ遊ばれているかのような、圧倒的な力の差。

 全身を掠めるように降り注ぐ、死と破壊の流星群。

 

 そして……荒れ果てた地上に堕ちた、ヨウェン様の傷ついた姿。

 

 俺達は知っている。

 あれを上回る絶望など、この世には存在しない。するわけがない。

 たとえ、現支配者の猛威を目の前にしたとしても。

 

 

 

「……魔界だけは……」

 

 俺は全身を震わせながら、かすれるほどの声を出した。

 

 捻り出された言葉は、先程までと何ら変わりはない。

 ただ拒否するだけ。対案も何もない、ただの反対。

 

 なんと情けないことだろう。なんと愚かなことだろう。

 目の前に浮かぶ支配者は、俺達程度の存在など、一瞬のうちに焼き殺してしまえるというのに。

 

「ふっ……そうか。やはり私の力では、魔界には遠く及ばないということか」

 

 死を覚悟する長い沈黙の果てに、ミトラ様は笑った。

 それと共に、辺りに振りまいていた強い殺意の輝きを消して、ただの金属塊へと形態を戻した。

 

「良いだろう。魔界を拒む……実に懸命な判断だ」

 

 ミトラ様からのお許しをいただけた!

 魔界に行かなくても良い!

 

「さすが、私の見繕ったとびきりの弱者、といったところか」

 

 俺達は顔にまで出して喜んだが、次の瞬間には、再びミトラ様が輝きを放っていた。

 

 視界を埋め尽くす白銀の輝きに、様々な想いが交錯する。

 

 不意打ちか。

 やはり死ぬのか。

 いや、ミトラ様が見繕ったとは、一体――?

 

 閃光が収まった時、答えはそこに浮かんでいた。

 

「ひっ……」

「神族!? しかも、翼……天使だ!」

「うわぁぁあっ!」

 

 強烈な光の後、ミトラ様がいた場所に浮かんでいたのは、一人の神族。

 六枚の白い翼を羽撃かせ、桃色の長髪を霊気に靡かせる、美しき女天使。

 

 身を焼くような強い神力が物語っている。

 この女は魔族と正反対の位置に存在する神……神族なのだと。

 

 当然、俺達は恐慌状態に陥った。

 俺達は弱い。もちろん、ただの神族であれば勝ち目はあるかもしれないが、目の前にいるこの女は、どう見ても勝利を目算できる相手ではなかったのだ。

 

 神族の中でも高位に属する、天使。

 天界に住まう神族の中でも特に強力な力を持った、天を統べる者達……。

 

「やれやれ、真の姿を現しただけでこれとは」

「……」

 

 俺も、この女に勝てる気はしない。一つでも傷をつける自信はない。

 だからこそ俺は、この女に敵意が無いことに気付けた。

 そして、理性的な目で俺たちを見回しては、どこか面白そうに……慌てる様子を眺めていることにも。

 

「……ミトラ様……か?」

 

 俺は呟くように、宙に浮かぶ女に訊ねかけた。

 届くとも思えない小さな声だったが、女は私の声を聞き取ったのだろう。青い目をこちらに向けると、またそれを面白そうに細め、小さく頷いてみせた。

 

「いかにも、私はミトラだ」

 

 女神族の言葉に、慌てふためく俺達の動きが完全に停止する。

 動きばかりではない。きっと俺たちのほとんどは、その思考までも止められてしまったのだろう。

 長年付き従っていた絶対者からの告白は、それだけの力を持っていた。

 

「ミトラばかりではない。私はもっと多くの名を持っている。そのほとんどは、お前たちの知らないものだろうが……そうだな例えばこの姿では、メタトロンと呼ぶのが正しいだろうか」

「……何故、神族が……化けていた」

「私が最も適していたからだ」

「何故俺たちを騙していたッ!」

「必要だったからだ」

「何故!」

 

 力の差は百も承知。俺はその上で叫ばなくてはならなかった。

 

「まさか……ということは、お前は……ミトラばかりか、その前にも……!?」

「その前。それも無数にあるが……お前たちの言っているのは、ヨウェンのことか」

「貴様ァ!」

 

 ついに怒りが恐怖に打ち勝ち、俺は背負った大斧を握りしめ、奴に斬りかかった。

 

 許せるものか。

 たとえこの場で殺されたからといって、許してなるものだろうか。

 

 この者を……ヨウェンを名乗って俺たちを欺き……何年にも渡って心を弄んできた、この……下賎な神族を!

 

「いかにも、私はヨウェンでもある。ミトでもあり、ヨウェンでもあり、ミトラでもあり……またメタトロンでもある」

「ぐ……!」

 

 斧は、奴の手にした一冊の本によって容易く受け止められていた。

 決して頑丈そうには見えない本の防御は、俺の斧による攻撃を一ミリでさえも通そうとはしない。

 

「そんな、ヨウェン様が……」

「やつがミトラで、ヨウェン……!?」

「俺たちを、ずっと騙していたのか!」

「そうだとも。お前たちには利用価値があった。だから魔界侵攻の捨て駒として利用したし、魔界の土産話を地上へ広める広報役にもなってもらった」

「貴様……貴様貴様ッ……」

 

 すまし顔で語るメタトロン。斧に力を込めてはいるが、それが相手に負荷を与えている様子は微塵も感じられない。

 だが、それでも俺は斧を押し込んだ。力は少しも弱まらない。

 

「何故だ……俺達は、信じていたのに……!」

「……」

「必ず俺たちを、栄光に導いてくれると……! ずっと付き従うと、信じていたのに……!」

 

 憎きメタトロンの顔を睨む。怨嗟の言葉は、次々と湧いて出た。

 見れば、奴のすました顔はどこか、ヨウェンの冷徹なものと似通っている。

 だからこそ俺は、なおのこと目の前の女が許せなかった。

 

「……正直、これは私にとっても予想外の反応だ」

「何!?」

「私は貴様らのことを、何の役にも立たない矮小で卑怯な……穢れきった汚物だと考えていた」

 

 本に突き立てていた斧が空に弾き飛ばされる。

 それとほとんど同時に、俺は本の背表紙によって腹部を強く打ち据えられ、草原の上を何メートルも転がされた。

 

「だが、意外なことに貴様らには……考える頭があった。弱さ故に逃げを躊躇わない判断力だけではない。何者かに付き従い、それに忠誠を誓うだけの……穢れとはまた別の清さが存在した……」

 

 静かに語るメタトロンを前に、俺達は何もできない。

 怒りに任せて襲いかかることも、罵声を浴びせることも。今しがた強烈な一撃を貰った俺でさえ、何もできなかった。

 

 どこか物憂げに、淡々と語るメタトロンの姿が……いつの日かのヨウェンに、似ていた気がしたから。

 

「いや、予想外……という程でもなかったのかもしれないな。薄々と、私は貴様らの中にある善性には気付いていたのかもしれん」

「何を……」

「魔界での戦いで敗北したあの時……傷付いた私を背負い、必死に逃げる……お前を見た時から」

「……」

 

 大斧を握る手から力が失せる。

 刃先が草原に落ち、分厚い刀身が土に埋まる。

 

「……なあ、ヨウェン」

 

 俺がかつての名で呼びかけると、メタトロンは相変わらずの澄ました表情でこちらを見つめた。

 

「何だ」

 

 少しの合間を開けて返ってきたのは、かつて共に歩んできた魔族……ヨウェンの声。

 姿は女のままだったが、その声は確かに、ヨウェンだった。

 

「ヨウェン……俺達の目指していた栄光は、嘘だったのか?」

 

 俺が訊けば、辺りに立ち尽くしていた魔族たちもメタトロンに顔を向けた。

 構えかけていた武器も下ろし、次に放たれる言葉を静かに待っているようだ。

 

 メタトロンは口を閉じ、取り囲む俺たちを見回す。

 それは、かつて魔界へ飛び込む間際にも感じた、支配者からの冷ややかな眼差し。

 

「……嘘ではないさ」

 

 ふと、メタトロンが笑う。

 まるであの時のヨウェンのように。

 

「栄光の時は、必ずやってくる。……それは、魔族による無秩序な平穏とは、少々違うかもしれないが……」

 

 メタトロンは手にした羽ペンを掲げ、草の生い茂る地に放り投げた。

 

 すると羽ペンの落ちた地面が白く輝き出して、色付いた魔力が風となって辺りに吹き荒れる。

 地面に、大きな魔界への扉が形成されたのだ。

 

「ミトラではなく、ヨウェンとして命じよう。お前たち、あの扉から顕界を抜け、魔界へ降り立て」

「なっ……!」

「ま、魔界へ!?」

「……お前たちには少々怖い思いをさせたが、魔界はさほど恐ろしい場所ではない。こちらから刺激しない限りには、向こうは快く受け入れるだろう。以前、最初に出迎えがあった時を覚えているだろう?」

「そ、それは……」

 

 確かに、魔界に攻め込んでから戦いになるまでの短い間、向こうはこちらに対して、何らかの便宜を図ろうとしていたようだった。

 

 しかし……だが……。

 

「魔界へ行け。そして魔界で、お前たちの栄光を掴め。きっとそこには、地上とは違う……力が全てを支配するだけでない世界が広がっているはずだ」

「……そんな、世界が……」

「力によって支配される場所ではない。規則に則り、身の振りをわきまえ、自らの落ち込んだ場所で力を活かす……これこそ、お前らにとっての栄光ではないだろうか。力なく、穢れに穢れたお前たちにとっては、最善の」

 

 魔界に繋がる白い扉の向こう側は、全く見えない。

 そこに広がる景色は、以前と同じ荒野なのか。それとも、また別の場所へとつながっているのか。

 

「……ヨウェン様」

「ん?」

 

 俺は大斧の柄を握り、肩に担いで、メタトロンに向き直った。

 メタトロンは自身の膝に頬杖をついて、どこか期待するような目で俺たちを見渡している。

 

「最後に、あの時の……ヨウェン様のお姿を、見せてはいただけませんか」

「……」

「俺からも」

「お願いします」

「是非、最期に」

 

 俺達はそれぞれの武器を手にしたまま、あの時のように適当な整列を組み、彼女の前に傅いた。

 彼女はしばらく、そんな俺達を珍しそうに眺めていたが……。

 

 

 

「……ありがとうございます、ヨウェン様。これより出立します」

「必ずや、我々の栄光を掴んで参ります。ヨウェン様」

「さようなら、ヨウェン様」

「また……いや。ありがとうございました、ヨウェン様」

 

 そうして、俺達はゆっくりと歩き始めた。

 草原の上にぽっかりと開いた、異界への扉に向かって。

 

 その向こう側でうまくやっていけるかどうかは、正直ちっともわからないが。

 俺ら持ち前の弱さと警戒心で、どうにか凌いでみるしかないだろう。

 

「ああ、行ってこい。救いようもないほど薄汚れた、俺の忠実な配下達よ」

 

 だが、きっと上手くやっていけるはずだ。

 

 なにせ俺たちは、栄光あるヨウェン様の配下なのだから。

 

 

 

 

「魔界へよおこそ! 早速ですが、魔都での模範的な過ごし方について説明させていただきます!」

「あ、はい」

 


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