東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 煤に汚れた服。凝固した血がこびり付いた、両腕の包帯。

 紅の装いはお世辞にも清潔とは言えなかったが、神綺の生物創造において、そういった外面の要素はあまり重要ではない。

 大事なのは中身だけ。神族や魔族が持つ、霊魂の内面的特性。それこそ、神綺にとって唯一模倣すべき要素なのだ。

 

「このままで?」

「うん、そのまま動かないでね」

 

 紅は平坦な岩の地に直立したまま、緊張した面持ちを浮かべている。

 神綺はその周囲をフワフワと飛び回り、時々原初の力によって生み出された淡い輝きを紅にかざして、何かを測るようにスキャンしているようだ。

 これはサリエルや魔族に対しても行っていた作業なので、慣れたものである。伊達に魔界中のほとんどの魔人を手がけてはいない。

 

「はい、もう大丈夫よ。ありがとうね、紅」

「終わりですか?」

「うん。お疲れ様」

 

 そんな神綺の観察作業は、たったの二分足らずで完了した。

 多方面から観察し、スキャンし、それを覚える。

 神綺の記憶力は私ほどではないがかなり優秀な方なので、一度覚えた霊魂の特徴は、何万年くらいであれば、記憶だけを便りに参照できるらしい。すごい。私はこういう方面はよくわからない。一応魔力を複雑に構築すれば、霊魂を一から創造することもできるのかもしれないが……わざわざやりたいとは思わないなぁ。

 

「じゃあ、魔人を……悪魔を創造するわね」

 

 さて、スキャンが終われば次は創造の実践だ。緊張の時である。

 私と紅は少しだけ神綺から離れ、ワクワクドキドキといった感じで見守る態勢に入った。

 

 目を瞑り、両腕を広げる神綺。普段はホワホワ、外敵に対してはピリピリとしている彼女だが、こういう力を扱うときは、実に真面目な表情を浮かべている。

 しかも今回は、魔族である紅から生物を創ろうというのだ。神綺にとっては、いつも以上に力が入るだろう。

 

「えい」

 

 しかし、生み出すのは一瞬だ。

 強い輝きが瞬くように迸ると、晴れた視界のそこには、既に新たな人影が出現していた。

 

「……?」

「……これが、私の」

 

 生み出されたのは、赤い髪の女。紅よりも少し粗末な衣服を纏った、背の低い少女。

 紅と同じ長く紅い髪を持った、色白で端正な顔立ちの子だ。

 生み出された名も無き彼女は自らの両手を眺めたり、不安げに辺りや私達に目をやったり、まさに“生まれたて”な反応を示している。

 その姿に動物的な特徴は無く……いや。

 

「あ、ライオネル、見て下さい。羽が……」

「本当だ」

 

 魔族を元に、サリエルを見本とした時と同じように完璧な人型が生まれたのかと思ったが、少々違ったようだ。

 よくよく見てみれば、新たに生まれた彼女の側頭部には、小さな一対の翼が生えている。

 それに私の角度からは隠れていたが、背中にも同じようなデザインの翼を持っているようだ。

 

 翼は、コウモリのようである。

 いや、コウモリ……として見ることもできるが、少し違うか。

 深く、血が固まったような赤黒い翼。それは喩えるならば、コウモリというよりは……ドラゴンの持つそれに近いのだろう。

 

「……? あうぅ……」

「あらあら」

 

 私がしげしげと観察していると、彼女は見つめる私に気付いたのか、怯えるように神綺の陰に隠れてしまった。

 

 ……うん。直接顔を見せると怯えるところは、魔人そっくりだね。

 でも良かった。怒って攻撃せずにいるところを見るに、少なくとも魔族的な攻撃的特徴を強く受け継いでいるわけではないようだ。

 こういったところは、紅を元にしたが故の成功なのかもしれぬ。

 

「大丈夫よ。あの人は怖くはないから」

「ぅ……?」

「大丈夫」

 

 怯える悪魔に紅が近づいて、優しく頭を撫でた。

 身長差は、結構ある。紅が姉とするならば、悪魔はちょっと歳の離れた妹に近いだろうか。

 私が無意味に恐れられているという悲しい一点に目を瞑れば、実に微笑ましい。

 

「それじゃあ、神綺。しばらくの間、言葉を扱えるくらいまで、その悪魔の面倒を見てあげてくれないかな。魔人の集落に預けてもいいけど、一応魔族を元にした悪魔だし、共同生活ができるかどうかはわからないから」

「ああ、ライオネルでは難しいですものね。わかりました」

 

 怯えられる私では、魔人や悪魔の育児はできない。子育てを丸投げするのは毎度のこと少々罪悪感もあるのだが、こればかりは仕方がなかった。

 言葉を扱い、知識を身につけ、私に協力してくれるようになるまでは、しばらく彼女を育てなくてはならないだろう。

 まあ、十年とか百年も待てばいいだけのことだ。大したことではない。

 

「……あの、神綺様。その子を育てる役目、私にお任せしてはもらえないでしょうか」

「え? 紅が?」

 

 私が頭の中で色々な方針を固めていると、悪魔をあやしている紅から驚きの一言が飛び出してきた。

 なんと、紅が自ら悪魔を育てると。……母性ってやつなのだろうか。

 

「別に良いけど……今のままだと言葉も全然使えないし、大変だと思うわよ? 生まれたては特に、こっちの言うことをなかなか聞かないところがあるから……」

 

 多くの魔人を育て上げてきた神綺の一言である。重みがあった。

 

「お任せを。お二人の役に立つ、立派な子に育ててみせます」

 

 だが紅の目は顔に真面目で、凛とした目は本気であった。

 

「……そう。ライオネル、どうします?」

「うん、良いんじゃないかな。紅がそう言っているのなら」

「ありがとうございます」

 

 この悪魔は神綺が創造した子ではあるが、表現を広げれば、紅の子であるとも言える。

 自らを型として生まれた悪魔を見て、紅にも少なくない情が湧いたのだろう。彼女が育てたいというのであれば、止める理由はない。

 

 それに、神綺から聞いた話では、紅は常識人であるという。

 紅ならば、きっと問題なく、理性的な悪魔を育て上げるはずだ。

 

「それじゃあ、紅。悪魔をよろしくね」

「はい」

 

 こうしてしばらくの間、紅による悪魔の子育てが始まった。

 

 


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