封印式の前に立ち、正式な手順で限定封印を解除することにより、一応は誰でも、法界の内部に入ることは可能である。
中から外へ出る際にはかなりの労力を必要とするだろうが、入る分にはさほど力を使う必要もないのだ。
それに、法界は莫大な魔力を使用することによって進入するという手段もある。中を見ようと思えば、結構中途半端な魔法使いであっても可能かもしれない。
まぁ、私は自分以外の魔法使いにはほとんど出会ったこともないから、具体的にどんな魔法使いが凄い魔法使いなのかもわからないんだけどね。
「……ああ、まだあそこにいたのか」
「紅、いますね。生きてるのでしょうか」
「うん、生きていると思う。すごい集中力だ」
法界にはいくつもの進入手段があるが、私と神綺は原初の力によって、直接内部へと転移できる。
なので、私達は紅に会いに行こうと決めた次の瞬間には、既に紅を眼下に捉えていた。
荒廃した岩の荒れ地の中、一人胡座をかいて座り込む赤髪の女。
目の前には骨を組んで作られた焚き火が置かれ、彼女はそれを前にして、死んだように俯いている。
あれから、もう何年経ったのだろう。
魔人たちが何度も何度も代替わりし、クベーラと取引をし、本を書き上げ、研究を進め……。
その間もきっと、彼女はここでこうしていたのだろう。
もう一度言うが、彼女は死んでいない。生きている。
確かに法界は過酷な環境ではあるが、現状を維持する技術に関して言えば、紅はなかなかにやり手なのである。
伊達に何万年も、ドラゴンの骨を背負ったまま旅を続けていないということだ。
「紅」
私と神綺は静かに法界の大地へと舞い降り、紅のすぐ近くに着地した。
すると紅は、つい先程まで意識が残っていたかのような自然な動作で、ふっと顔を上げてみせる。
「神綺様、それに……ライオネル様」
顔を上げ私達を見る紅の表情は、どこか穏やかで、明るい。
私は旅を続ける彼女の顔は、常に刺々しくピリピリとしたものであったが、今の彼女の顔も、なかなか似合っているように思う。
……ただ、私の名前を呼ぶ時に少し詰まったのが気になるなぁ。
「久しぶりね、紅。ずっとここで座っていたの?」
「はい。この骨を護ることこそ、私の役目ですから」
神綺の問いかけに、紅はまっすぐに頷いた。
骨を組んで作り上げた、簡易な竜骨の塔。
それは古代を生きる竜達にとって、唯一神アマノを象徴する分社であり、アマノそのものでもあった。
当時のパンゲア全域に満ちていた神気と熱狂をこの目で見ていた私には、紅の抱く固い意志が、なんとなく理解できる。
「……もしや、私に何か御用でしょうか」
「ええ、話が早いわね。実はちょっとだけ、紅に手伝ってもらいたいことがあったのよ」
「手伝ってもらいたいこと……?」
「そうそう」
何かを頼まれるのだろうとは思っていても、具体的にどのような事を言われるのかを全く想像できない紅は、不安げに首を傾げるばかり。
神綺の無駄に楽しげな表情もあって、なんというか、言葉にならないプレッシャーを感じ取ったのだろう。
だが、頼みというのは実際、本当にちょっとしたことなのだ。
神綺が“紅を元として魔人を創りたい”ということを伝えれば、紅は大きく快く頷いてくれた。
「ただ、私は神綺様に見てもらえば良いだけなのですね? であれば全く問題ありません。お好きに調べてください」
「ありがとう、紅。なるべく失敗しないように創ってみせるからね」
生命を創造する神綺の能力。それは、アマノの眷属でもある紅にも、どうにか歓迎されるものであるようだった。
「……しかし、穢れを増やすということだけが気になります」
「うん?」
「穢れは通常、死や霊魂に触れることで濃さを増すもの。それを意図的に増やすという事は、かなり危険なのではないでしょうか……」
「ああ、それならきっと大丈夫。魔族の持つ穢れの許容量は、神族よりも結構高めだからね」
私は得意の穢れ理論をちょっとだけ展開し、心配そうな紅をなだめた。
実際、穢れの許容量が多いというよりは、穢れに対してある程度の耐性を持ち、多量に保有していても影響が少ないというのが正しいのだが……こういう説明は、ただわかりやすく伝われば良いのである。
「神綺様、私もその……生命の創造というものを見せていただいてもよろしいですか」
「え? 見たいの?」
「……できれば」
「うんうん、もちろん良いわよ。紅を元にした子だもの。やっぱり気になるわよね」
神綺が朗らかに笑うと、紅はどこか恥ずかしそうに赤い髪を掻いた。
……よし、紅も結構乗り気であるらしい。
お手本となる魔族本人から賛同を得られたのだ。これならば、私達の望む魔人を……いや、悪魔を創ることも可能になるだろう。
「それでは、一旦法界を出ようか。この内部だと、さすがに圧力が強すぎる」
「わかりました」
「うふふ、楽しみだわ」
そういうわけで、私達は揃って法界の外に出て、そこで悪魔を創造することにした。
といっても、創るのは神綺だけなんだけどね。