売り言葉に買い言葉。威勢よく牙を向いて、ヨウェンと名乗る魔族の長と闘うことになった私。
私とヨウェンは“ここでは狭すぎる”とばかりに空へ飛び立ち、声が聞こえなくなるほどの高度まで上がると、そこでようやく飛翔をやめ、お互いに向かい合った
「ふむ」
ヨウェンの翼には、やはり魔界文字が描かれている。
“話があるからとりあえず離脱してくれ”。
そんなわけで大人しく離脱してやったものの、話とは何だろうか。
私が訝しんでいると、ヨウェンは黒翼に描かれた文字を消して、こちらに掌を向けた。
「防御したければするがいい」
「じゃあ念の為に。“異形の煙”」
何か魔法でも発動させるのだろう。
向こうに考えがあるようだ。この世に私に耐えられない魔法があるとは思えなかったが、やりようによっては封印紛いなことも不可能ではないので、とりあえず私の方でも防御用の魔法を展開する。
“異形の煙”によって作られた灰色の煙は様々な魔法の術式に対して変容と組み換えを行うことのできる便利なもので、咄嗟の時に魔法の成り立ちを無茶苦茶にしたり、無力化することができる。魔力を再利用できるという所が何より素晴らしい。
「“暗幕”」
「おお」
対してヨウェンが使用したのは、光と音を大きく遮断する黒い煙。
それが大きく間を取って私とヨウェンを取り囲み、擬似的な密室を形成する。
実際のところ、ヨウェンが翼に文字を出現させた時から薄々気付いてはいたのだが、この魔法を見てようやく確信が持てた。
「まさかメタトロンが自分からここに来るとは思わなかったよ」
「意外だったか?」
「結構」
私が杖で肩を叩きながらケタケタと笑うと、メタトロンも血の気のない顔で柔和な笑みを浮かべた。
「それにしても、よく私がメタトロンだと気付いたな。サリエルは気づかなかったというのに」
「うん。メタトロンの使った魔界文字が、結構古かったからね。読ませにくくする方式も、以前私が魔導書に記したものだったし」
「なるほど。流石、ライオネルは魔法に長けている」
そう、彼は姿形こそ違うが、天界最上部の管理者である神族、メタトロンである。
メタトロンは常に外見を変えているので、不自然に慣れた感じからすぐに誰だかわかってしまった。
しかし正体に気付いた私だが、彼がここに来たことについては、驚きを隠せないでいた。
「何故メタトロンが魔族と一緒にここへ? もしかして魔界を侵略しようと思ったり?」
「まさか。サリエルだけならばともかく、お前とあの魔神を同時に相手取ろうなど、考えたくもない」
“地獄の二の舞いは御免だ”と、メタトロンは笑う。
ごめんなさい。地獄についてはまぁ、正直やりすぎたと思ってる。メタトロンの管轄かどうかは知らないけど。
「実は取り急ぎ、魔界へ報告しなければならない事があってな」
「報告?」
「ああ。天界を取り巻く現在の状況や、地上の魔族について。配下の天使団を遣わせても良かったが……」
「サリエルの様子が気になって?」
「奴はどうでもいい」
そのちょっと怖い顔で凄まないでほしい。
いや、私が言えたことじゃないか。しかしメタトロンも素直じゃないなぁ。
「現在、天界は分裂を始めている」
「分裂? もともと浮島は分かれているように見えたけど」
「そういう意味ではない。天界という巨大空間が、それぞれ引き離れ、剥離を始めているのだ」
「……なるほど。それぞれが別結界になると。住んでいる神族達の影響だろうか」
「はっきりとはわかっていない。神族達の派閥が発する力の影響かもしれないし、地上の魔族達の影響かもしれない。または……天界そのものの力が、少しずつ弱まっているのかも」
「ふむ」
天界の分裂。なるほど、あり得ないことではない。以前にも似たようなケースを見たことがある。
結界で覆われた空間が拡大し、力が希薄になる箇所が発生すると、そこは結界の範囲内として認識されず、新たな境界を生んでしまう場合があるのだ。魔力や魔力の残滓が豊富に存在する魔界内でも、そのような現象が発生することもある。
内部に力の強い神族が増えているのであれば、それぞれの力が干渉して別空間に……という流れを作ってしまうのも、あり得ないことではない。
元々、天界はアマノが聳え立っていた大地の名残である。
いつかはエネルギーの不調や不足を起こすものだ。
「故に、これからは外部の者が天界を訪れる機会は減るだろう」
「なるほど……これからは気軽にそっちに行けなくなるのだろうか」
「サリエルを使え。奴ならば分裂した後の天界でも、入り口を見つけることができるはずだ」
「彼女を買ってるんだね」
「元大天使だからな」
元を強調しないでやってください。
「それで? 地上の魔族というのは?」
「ああ、本題はそれだ。今、下には私が連れ込んだ多くの魔族がいるだろう」
「うむ。結構強い魔族たちだね。知能もそこそこあるし……土産だとしたらいらないけど」
「はは、そのようなつもりはない。あれはただのサンプルだ」
ヨウェンは天使にあるまじき邪悪な顔で笑う。
「下にいる連中は、魔族の中でも下級の連中だ。ずっとずっとランクの低い……私が長として率いていなければ、すぐにでも喰らわれて消え去るような、弱小の妖魔に過ぎん」
「……あれで弱小」
「そう。今の地上は恐ろしいぞ、ライオネル。実のところ、私ですら準備もなく地上を出回りたくはないな」
メタトロンでさえも恐れる地上の現状。
強い魔族たち。分裂する天界。
どうやら今、魔界の外は大変みたいである。