東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「皆の衆! 私はこれより、魔界初の快挙を成し遂げるであろう!」

 

 湖の上に浮かんだ大きな木製イカダの上に立ち、一人の魔人が声高に叫んでいる。

 がしかし、どれだけ声を張り上げようとも、彼は一人だけ湖の上。大きなカルタル湖の中心とあっては、その声もさざなみの中に消えて、ほとりまで届くことはなかった。

 

 まぁ、そのことは彼自身も気付いているのかもしれない。

 とにかくその魔人、フロイゼンという男は、一人で叫んでいたのである。

 彼の声を聞いているのは、魔法によって音を増幅させて聞いている、私と神綺の二人だけであった。

 

「私は今から、天井高くに浮かぶあの巨大な赤き巨城を目指し、飛行する!」

 

 フロイゼンが拳を掲げ、宣言する。

 堂々たる決意表明だ。しかし悲しいかな、湖の端にまでは声が行き届かなかった。

 岸に集まって見物している百何十人かの魔人たちは、誰もが退屈そうに腕を組んでいたり、爪をいじったりで、静かに始まるのを待っている者ばかりである。

 

「ライオネル、あの魔人は飛ぶと言ってますけど……赤き巨城ってもしかして」

「ああ。アレのことだよ」

 

 私は星でも指差すように、空の彼方に浮かぶ巨大な影を指さした。

 

 形は、巨大な立方体。

 構成するのは、無数の赤い煉瓦。

 

 空に浮かぶ、巨大な浮遊建築物。

 それは私が過去に創り上げた、魔界上空を回遊する巨大図書館都市であった。

 

 

 

 内部は街のような建造物によって街のような様相を呈しているが、そのほとんどは無数の本棚と、本を維持するための多数の保護魔法を備えた機構で埋め尽くされている。

 本はすべて、私が書き上げたものばかり。

 拙い物語や、魔法についての考えを適当に思いつくまま述べたものや、五百年間毎日同じ樹木を観察し続けた日記など、蔵書の種類は多岐に渡る。

 それらの本はすべて、巨大図書館都市の中央にあるマジックアイテム、“刻印のスフィア”にて出力されたものであるが、それについては話が逸れすぎてしまうので割愛しよう。これひとつだけをとっても、語りきれるものではない。

 

 要は、あの湖の上に立つ魔人は、今からそんな巨大なブックシェルフを目指そうというのである。

 もちろん、あの魔人も、見守る他の人々も、空に浮かぶ“赤い巨城”がただのでかい図書館であるとは、思ってもいないだろう。

 

「私達やゼンのように飛べたらいいのに……魔人って、不便ですよねぇ」

「……まぁ、そうだね」

 

 魔人には、翼がついていない。

 大元は、神綺がサリエルを原型として創ったものであるが、彼らには翼はなく、空を飛ぶための能力が先天的に存在しなかった。

 サリエルを元にしたとはいえ、創りだされる魔人たちは全くサリエルに似ていないので、これが正しいかどうかはわからないのだが、サリエルの考えでは“私が風を掴む力を失ったから、彼らもまた飛ぶことができないのだろう”ということらしい。

 

 メタトロンによって堕天させられたサリエルは、それと同時に神族としての飛行能力を消されてしまった。もちろんサリエルは月魔法を扱えるので、初歩的な技術である“浮遊”によって空中を動き回ることはできるのだが、神族としての飛行能力はもう完全に持っていないとのことである。

 

 魔界には魔力が豊富に満ちているが、月魔法を扱うために適した月の魔力は、希薄だ。

 月が無くとも、慣れてくれば魔力さえあれば月魔法と同じものは使えるのだが、魔力に漲る本物の月を知らない魔人達には、月魔法というものがピンとこないようである。

 故に、魔人たちは先天的にも、後天的にも、空を飛ぶ手段というものに恵まれていなかった。

 

「けど彼らは今、空を飛ぼうとしている」

 

 確かに、魔人は種族として空を飛ぶことができない。

 月魔法を扱えず、“浮遊”によって宙に浮かぶことができない。

 

 しかし、空を飛ぶ方法など、それ以外にだって沢山ある。

 鳥は羽ばたいて宙に浮いてみせるし、タンポポの種は風に乗って高く遠く、どこまでも飛翔してゆくだろう。大量の化石燃料を燃やして、その勢いで浮き上がることだって、立派な空を飛ぶことだ。

 魔法を使わずとも、それだけ膨大な手段でもって、空を目指すことはできるのだ。

 

 ならば魔法を使えば、不可能であるはずがない。

 

 

 

「それではとくと見よ! このフロイゼンの偉大なる第一歩を! 未踏の地へと到達する、歴史を変えるこの奇跡を!」

 

 勇気ある魔人、フロイゼンが大きな革袋を掲げ、叫ぶ。

 

 袋の中身は目に見えないが、きっと中身は風魔法の触媒で満たされているのだろう。

 大量の触媒が生み出す巨大な魔力でもって、彼は空へ躍り出ようとしているのだ。

 

「うまく、いきますかね」

「どうだろう……私にもわからないな。彼らにとって、風魔法の触媒は結構な貴重品だからね。失敗するつもりでやっているわけではないと思うけども」

 

 私も昔は触媒魔術のお世話になったが、触媒魔術を極めきる前に、月魔術の“浮遊”を生み出していた。

 当時の地球環境が若干風魔法の触媒に乏しいものであったこともあり、私はそれ以降、風魔法の触媒を大量消費してまで空を飛ぶということを、試みたことはおろか、考えたことさえなかった。

 だから本当に、今から行われる飛行への挑戦の結果については、私にとっても未知な領域なのである。

 

 ……が。

 

「まぁ……あまり期待せずに見ていよう」

「え?」

 

 多分、失敗するんだろうなぁ。

 

 

 

「ゆくぞ! 触媒、投入!」

 

 イカダの上で、フロイゼンが大袋の中身を、イカダ中央に空いた穴の中へと流し混む。

 イカダの真ん中は丁度、海中に沈む形で長い丸太が垂直に沈んでおり、その中央は大きく刳り抜かれていた。

 

「そして……! ぐぬっ……本体……接合っ!」

 

 で、今度は触媒を詰めた深い穴の中に、一本の丸太を抱えながら、押し込んでゆく。

 穴へ入れられる丸太は、丁度その太さに合致するサイズであり、どうにかその重い丸太をそこに押し込むと、フロイゼンは額の汗を拭いながら、満足気にそれを見上げた。

 

 それまではただのイカダであったそこに。長い木製の柱が聳えている。

 イカダの上に垂直に立つ丸太の先端は削られ、尖っており、見た目はそのまんま、ロケットのようであった。

 

 しかもこの木製ロケット。驚くべきことに実際の扱いも、ほとんどロケットと同じなのである。

 

「さあ行くぞ! 出発準備良し!」

 

 使い方はシンプルだ。

 水中に沈んだ部分を火薬(触媒)の詰まった薬莢とし、触媒を杖と同じ働きをするロケット本体によって作動させ、属性の持つ力を解放させるのである。

 下部の丸太に収められた触媒は一気に膨張する。その有り余る風圧の勢いによって、弾丸に当たるロケット部分を射出させ、上空を漂うブックシェルフまでひとっ飛びという寸法なのだ。

 

「いざ――!」

 

 言いたいことはわかる。

 やりたいこともわかる。

 

 しかし、悲しいかな。

 

「ぐわー!?」

 

 彼らには圧倒的に、色々なものが足りていなかった。

 

 

 

「……イカダ、爆発しちゃいましたね」

「うん……まぁ……そうだね」

 

 海中に仕込んだ風触媒にフロイゼンが魔力を送り込むと同時に、イカダは真下から派手に大破してしまった。

 吹き上がる水しぶきは、まるで大砲を水面に直撃させたかのようである。

 

 当然の結果だ。多少、薬莢部分の丸太にロープを頑丈に巻きつけたところで、同じ丸太を上空高く撃ち上げるほどの衝撃に耐え切れるはずなどなかったのだ。

 

「……前から、こんな調子なんですか?」

「うん……そうなんだよね」

 

 空を目指す魔人の挑戦。

 それは数百年以上前から延々と続いてはいるのだが、遅々としてその成果を見せていなかった。

 

 わかりやすく言えば、スランプみたいなものである。

 


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