一人の女が、魔界の地を歩いている。
背の高い女であった。
しかし、筋肉質というわけでもなく、細身である。
黒いショートカットは乾いたそよ風に靡き、やや高めのヒールは、砂地に深い跡を残す。
一歩一歩進むたびに、細かな砂が黒タイツの生地目に入っているが、女はそのことを気にする素振りもない。
これといって特徴の無いブラウンの細い目は、遠くにある魔人の集落を、心ここに在らずといった風に眺めている。
「……」
ふらふらと歩く女の目の前に、突然少女が舞い降りてきた。
六枚の黒い翼に、長い銀髪。彼女は魔界の主であり、名を神綺という。
神綺は見慣れない女の姿を注視して、首を傾げる。
道を塞がれた女は、歩くのをやめてその場に直立したままだ。
少しの間、そのような沈黙が続いた。
両者とも口を開かず、手出しもせず、ただお互いに視線を交錯させるだけ。
「……あの」
先に沈黙を破ったのは、魔神の方であった。
「ライオネル……? 何をしてるんですか……?」
「あ、ばれた?」
「いや、まぁ、はい……」
神綺はとても申し訳なさそうに、空を見上げた。
ふむ、ばれたのならば仕方ない。
女の上空十五メートルほどの位置に浮いていた私は地面に降りて、女の代わりに神綺の前に着地した。
「操り人形のように動かしていたんだけど、不自然だったかなぁ」
指先から伸ばしていた魔術製の糸を解除し、女との繋がりを絶つ。
すると、それまで直立していた女はぐにゃりと全身の力を失い、砂地の上に倒れ伏してしまった。
私が操作していた力が消え失せ、ただの肉体に戻ったのだ。
「なんですか? その死体」
「いや、久々に私も生物創造なんてしてみたくなってね。思い切って人を出してみたんだけど……」
「動かない、と」
「うむ。だからせっかくだし、無理やり動かしてみた」
「なるほど……」
私も神綺と同じで、原初の力を扱うことができる。
しかし私には、神綺のように生物を生み出すセンスが皆無であった。
神綺は最初から“とりあえず生物っぽく動けるもの”は創れるのだが、私は今までに、微生物ですら創れたことがない。
それは永い年月を経た今でもなお、変わらないようである。
「私にはゴーレムしか作れないのかもしれないなぁ」
「き、きっと練習すれば出来るようになりますよ」
「そうかなぁ」
再び女の抜け殻に糸を繋げ、ぐいんと無理矢理に叩き起こす。
表情まで再現するにはもうちょっと複雑な式を持たせなくてはならないが、身体自体は私の命令に従い、なかなかキレの良いダンスを踊ってくれた。
こうして魔術を使えば、まるで魂を持った人間のように動かすことはできるのだが……。
この女に魂は無い。
「……生物の創造に関しては、今までもそうだったけど、これからもずっと神綺のお世話になるかもしれないなぁ」
「うーん」
“うーん”と言いながら、神綺さんは苦笑いである。
彼女もまた、私にはある種の才能が無いことを認めているのだろう。
「やはり私に一番合っているのは、魔術だけだな!」
私は右手の指をパチンと弾き、魔術を発動させた。
すると地面から砂が巻き上がり、砂は渦を巻くようにして女の足元から全身へと登り、絡みつく。
瞬く間に激流と化した砂は女の体組織を削り、すぐに赤茶けた色に染まりきった。
中央に向かって凝集する砂。
砂が擦れ合う音が鳴り止むと、そこには一本の赤錆色のポールだけが残っていた。
土属性魔法“生命廃棄”。
言葉の通り、土や砂を使って生物を処理する魔法だ。
「さて……せっかくだし、ここの集落の様子でも見ていこうかな」
「ライオネル、ご一緒しても?」
「おお、一緒に見ていこうか」
「わーい」
そんな感じで、私達は久々に辺境の集落を訪れたのであった。