東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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「私は、魔族と神族に明確な差は無いと考えている」

 

 テーブルの向こう側で、干からびた遺骸――ライオネルが語る。

 机上には二つのティーカップが置かれ、向こう側のカップにはドス黒い熱湯が、私の方には透明な液体が入れられていた。

 

 向こうの飲み物が黒いと言っても、泥水などではないだろう。立ち込める香りはどこか芳醇で、香ばしい。

 そして私の目の前にあるこの水らしきものも、きっとただの水ではないのだ。

 

「神族が神族たり得ているのは、その長命。逆に魔族が魔族たり得ているのは、穢れなどの影響によって起こりえる、身近な落命。確かに、穢れという一定の差は存在するが、それは先天的であれ後天的であれ、除去は可能。取り去ってしまえば、あとは穢れ無き天界なり月なりで、半永久的な生を獲得できるだろう」

 

 ライオネルは語りつつ、熱い黒い熱湯を口元へ運ぶ。

 それは彼の喉を通り――喉にあるいくつかの“穴”や“裂け目”から、ぼたぼたと零れ落ちた。

 

 しかしライオネルは自らのローブに垂れたそれらを少しも気にした風もなく、“やっぱりインスタントだ”などと感想を零している。

 

 ……おかしな人だ。

 私はそう思いながら、一応は礼儀であると、与えられた水を口に運んだ。

 

「!」

 

 するとその瞬間、私の身体に強い“魔力”が流れ込んできた。

 いいや、流れ込むという表現は正確ではない。私の中にあった小さな“力”の灯火が、一気にその勢いを強めたのである。

 

 異変を自覚すると共に、急速に私の体中の傷は治り、疲労感が消え去ってゆく。

 驚愕のあまり、口も開けない。

 この飲み物は一体、何だったのだ。

 

「そして神族も魔族も、その本質は魔力だ。霊魂だの穢れだのといった部分的な表現も一部ではされているが、要は魔力と言って差し支えないものだ。ならば特定の魔力を増幅してやれば、神族や魔族は、自らの存在力を回復できる」

「……この、水は」

「魔力増幅薬。といっても、それは魔界産だけどね。材料の問題なのか、オーレウスの使っていたキノコ以上の薬効が出なくて困っているんだ」

「……」

 

 その後に続いて、ライオネルはそのキノコについて語り始める。

 しかし私は、彼の話すことのほんの一部も理解できない。

 ただただ黙って聞き入り、時々カップに満たされた薬を口に含む他に出来ることはなかった。

 

「おっと……ちょっと専門的な部分に入りかけてしまったかな。ここから先の話は、安定した穢れの波長についての知識がないと難しいか」

 

 私が丁度薬を飲み終えると、ようやく話の脱線に気づいたらしいライオネルは一人語りを止めた。

 彼は気恥ずかしそうに頭を掻き、ゆっくりと立ち上がる。

 

「さて、紅。もう既に傷も疲れも瘉えただろう」

「はい」

「それじゃあ、歩きながら話すとしよう」

「……わかりました」

 

 彼の言う通り、既に私が全身に負った傷は、ある程度まで癒やされた。

 寸前までは自分が消えるか消えないかの瀬戸際だったのが、劇的な回復である。

 

 もちろん、旅をしている最中の状態には遠く及ばなかったが、もう何ヶ月かは、不眠で歩けるだろう。

 

「ついてきなさい」

 

 私は椅子の脇に置いたズタ袋を持ち、ライオネルの背を追った。

 

 

 

 

「神族と魔族。そして魔獣。それらが存在するずっと昔の地球には、多くの動物が息づき、暮らしていた」

 

 無人の町を出て、再び荒々しい岩肌を露出させた渓谷に出た。

 しかし足元は整備されているらしく、それなりに歩きやすい、なだらかな一本道が整えられている。

 道は緩やかな坂になっているようで、進んでゆけば渓谷の岩の高いところまで登っていけそうだ。

 

「当然、今の地球にも多くの生命がいる。陸を歩く獣。草むらを潜る虫。湖を泳ぐ魚。だがその昔には、今よりもずっとずっと不可思議な生物が、信じられない程たくさんいて、共存していたのだ」

「……共存」

「そう、共存。もちろん、誰もが全く他者を害さないわけではなかったし、残酷な犠牲も多くあった」

 

 ……何故だ。

 頭が、ズキズキと痛む。

 

「しかし地球に生きる生命の全ては、その世界を受け入れた。魂の奥底から歓迎し、信仰を捧げた。……偉大なる一塔の神の祝福によって成り立つ、その世界を」

 

 疼痛を訴える額に手を当てたまま歩いていると、先導するライオネルの肩越しに、開けた魔界の空が見えた。

 

 黄昏に輝く、茜色の魔界の空。

 渓谷の間を進み続けている時には決して見えなかった景色が、一際大きな岩の表面を登ることによって、はっきりと視認できた。

 

 

 

 赤い空を飛び回る、無数の黒い影。

 それらが鳥でないことは、直感で理解できる。

 

「……竜」

 

 あれは、竜。私と同じ……いや、私の“元となった存在”と同じ、“母”を護る同胞たちだ。

 同胞が、大勢いる。あんなにも多く、空を飛んでいる。

 

「紅。私は大体、貴女の存在に予想がついているが……貴女が良ければ、最終的な確認をさせてもらえないだろうか」

「……確、認?」

 

 私は突然声を掛けられたように、間抜けな声で訊ねる。

 

「そう。その袋の中身を、私に見せてほしい」

「……」

 

 ……正直に言って、嫌だった。

 この中にあるものは、神聖なる母への捧げ物。それを、魔界の重要な人物であろうとはいえ、見せるのは……躊躇する。

 

「もしもそれを見せてくれるなら……私は、貴女の求める答えをあげよう」

「!」

「どうだろうか」

 

 私の求める答え。

 私がずっと求めてきたもの。

 

「……母に、会えるのですか?」

「……」

 

 ライオネルは黙っている。

 顎を指でさすり、返答を考えの内に留めたまま、考えている。

 

「貴女がその地を求めているのかは、私にはわからないが。私の知る限り、この世界で唯一、貴女が求めるであろう場所へ、案内できる」

「ほ……本当?」

「ああ」

「それは、本当なの!?」

「もちろん、本当だよ」

 

 ライオネルは頷いた。

 私に、母へたどり着く答えをくれると、そう答えてくれた。

 

 本当なら、少しは疑うべきだったのかもしれない。しかし今の私には、精神的な余裕などなかった。

 縋れるものならば、何にでも縋りたい気持ちであった。

 

「ど、どうぞ! ご覧になるだけで、あれば……!」

 

 だから私は、袋を差し出した。

 神綺様に対して見せるのと同じように。いや、むしろそれよりは、より位の高い相手へ献上するように。

 

「ありがとう」

 

 ライオネルは一言礼を告げ、袋に片手を入れてしばらくの間弄った後、そこから一本の骨を取り出した。

 

「……ふむ」

 

 それは、白骨。袋の中にある、何の変哲もない骨の一本である。

 ライオネルはそれを興味深そうに様々な角度から眺め、舐めるように見た。

 

「……凄いな。死後、何年経っているかもわからないというのに……未だにこの骨は形を残し、遥か昔に刻印された操舵魔術の一部を遺している」

「刻印……操舵……? どうしたのですか?」

「いや、なんでもないよ。答えがわかっただけだから」

 

 彼は取り出した一本の骨を袋の中に静かに入れて、私に向き直る。

 

「……火を吹き、空を飛び回り、骨を運ぶ、塔の守護者。紅きドラゴン、その十七体目。貴女はこのドラゴンの死後の霊魂の影響を強く受けて誕生した、地上の魔族だ」

「!」

 

 骨。塔。ドラゴン。

 続けざまに繋げられたその言葉は、聞きなれないものであるにしても、どうしてか、私の感情を強く揺さぶった。

 

「良いだろう。貴女であれば、“彼女”の眠る地に踏み入ることを認めよう。いいや、ぜひ一度、その目で見ておくべきだ」

 

 ライオネルが虚空に手をかざし、そこに輝く力を流し込む。

 すると何もなかった空間に、ひとつの白っぽい渦の扉が現れた。

 

「神族も魔族も関係ない。紅、貴女はアマノの守護者であり、愛されるべき多くの子の一人だ。……子ならば、会っておくべきだろう?」

「……アマ、ノ」

 

 アマノ。

 ……美しい響き。

 懐かしく、そして愛おしい響き。

 

 私はその名の響きに酔ったまま、吸い込まれるようにして渦の扉へと進んでいった。

 

 


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