東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 神綺と話した後、私は殺害したゼンの遺体をその場に埋めようとしたが、それは止められた。

 なんでも、“後で利用するから”という事らしい。

 

 ……毒を持った魔族の死体は、ただの死体ではない。利用するとしても、そういった毒の用途以外には思いつかないのだが……。

 しかし魔神が使うというのであれば、別に私は止めないし、そのことを深く詮索するつもりもない。

 

 魔神が突然現れた時は驚いたけれど、それも私を害したりだとか、裁くだとか、そういったことではないらしいので、一安心である。

 

 ……神綺の言う、生かすべきか、殺すべきかという話には少し考える所もあったが、やはり私は、私自身の判断を間違っているとは思わない。

 奴らは、魔族は、自らが害し、喰らう相手を顧みないのだ。

 奴は悪だ。自らの力のためだけに、身勝手に生きようとする。私はそれを許してはおけない。

 

 この考え方が、多くの人々のものと違うことはわかっている。

 しかし私は、生命を喰らう畏れを知らない連中が、どうしようもなく嫌いなのだ。

 

 

 

「……ふう」

 

 ズタ袋を丁重に抱えつつ、どうにか土の塔の内部から這い上がると、空は既に橙色に染まっていた。

 遠方には森や山が薄っすらと見えている。目を凝らしてはみるが、その先に何があるのかは、わからない。

 

 しかし、ここクロワリアは辺境の村だ。

 もっと先に、あの景色の向こう側に行けば、きっと他の集落も存在するはずである。

 おそらくはこのクロワリアのように、既に魔族と接触しているような集落が。

 

「ねえ、どう? 魔界は」

 

 私が塔の上から景色を見つめていると、すぐ真横から神綺が訊ねかけてきた。

 しかし、先ほどまで彼女はいなかったのだ。現れるまでに何の前兆もなかったので、私は内心でかなり驚いている。

 

「どう、というのは……」

「そのままよ。紅はここに来るまで、色々な場所を見てきたんでしょう?」

「……様々な景色があると、思いました」

「……むう、なんか期待してたのと違うなぁ……別にいいけど」

 

 私の感想に、正解も間違えも無いと思うのだが……。

 

「ちょっと無愛想で面白みがないけど、貴女が悪い魔族じゃないとわかって良かったわ」

「はあ……」

「他の場所でも、ここと似たような状況になっている集落もあってね。いっそのこと魔族を滅ぼしちゃおうかとも思ってたんだけど……魔族と魔人。ライオネルの言う通り、不可能ではないのかも」

「共存、ですか」

「ええ」

 

 簡単に言うものだ。魔族と魔人が共存するなど、容易いことではない。

 ……しかし、彼女は魔神。この広大な魔界を創りあげた、創造神だ。

 もしかしたら……そんな世界さえ、作り上げてしまうのだろうか。

 

 

 

 ――そのような世界ができたなら、是非、私も――

 

 その時、私は確かに肯定的な感情を抱いていたのだが、口からは出なかった。

 言葉は喉元でせき止められ、それ以上は動かない。

 

 口をぱくぱくと動かす私に、神綺が不思議そうな顔を向けている。

 だが、不思議なのはこちらも同じである。

 

 何故、今の気持ちが言葉に出せないのだ。

 

「まぁ、色々と問題はあるからね。当分先の事になると思うわ。あまり期待せず、気長に待っててほしいわね」

「……そう、ですか」

 

 適当な相槌は、それまでの不可解な躊躇とは違い、すんなりと出てきた。

 ……何故。

 

「ところで紅、貴女の持っているその袋……何が入ってるの?」

「――」

 

 魔神からの質問に、それまで不可解な失語に傾けていた私の精神が、一気に現実へ引き戻される。

 

 私の持っている、袋。

 その言葉だけで、魔神に警戒を孕んだ氣を差し向けるには、充分であった。

 

「あら、もしかして怒ってるの? 聞いたらいけないことだった?」

 

 私は命を脅かす意志を持って氣を解放していたが、目の前の魔神はそれに怯む気配がない。

 氣自体を感じ取ってはいる。しかし、それを歯牙にもかけていない様子だ。

 このまま私が本気で闘ったとしても、この魔神に勝つことはあり得ないだろう。

 

「大丈夫。別に貴女の荷物を取ったりしないわ。だから安心して?」

「……」

 

 私が全身の闘志を滾らせながらも、神綺は私を安心させるため、朗らかに微笑んでいる。

 そこに、私の荷物をどうこうしようという害意は見られない。

 

 ……冷静になろう。

 彼女は理性的な神だ。私を騙そうなどするはずがない。仮に私の荷物を狙っているのだとしたら、私を一瞬の内に殺し、後から悠々と奪い取ればいいだけである。

 

「……失礼しました」

「ううん、いいの。それ、何かは知らないけど、大切なものなんでしょ? 大切なものを守りたいっていう紅の気持ち、私にはよくわかるわ」

 

 私はほとんど全力で抵抗の意志を向けていたというのに、彼女の笑顔には屈託がない。

 それどころか、私に自身との似た一面を見て、親近感までも覚えている様子だ。

 ……本当に、私は小さきものという扱いなんだな。

 

 ……神綺様には、とても敵いそうにない。

 

「……中身は、これです」

「うーん?」

 

 私は先ほどの無礼も兼ねて、自らの腹の内を明かした。

 敵意を持たない相手に、こちらから敵意を向けてしまったのだ。私が何と旅をしているのかくらいは、この広大な箱庭の管理者である彼女に話しておかなければなるまい。

 

「なにこれ……骨?」

「はい」

 

 私が広げたズタ袋の中には、大小様々な白骨が詰まっていた。

 骨には全てに私の氣による保護がかけられており、年月や衝撃によって破損・摩耗することがない。

 

「私は……魔族として地上で生まれた時、岩山の頂上に横たわった、この遺骸の側に居たのです」

「……この骨の、側に」

「荒涼とした岩山には他に何もなく、動物の姿も疎ら。あるのは、ひとつの遺骸だけ。……だからきっと私は、この骨の生物の生前の想いや、死後の強い意志によって生まれた魔族なのです」

 

 その証拠に、私は他の魔族とは異なる性質を多く持っている。

 性格も、行動原理も、ただの魔族でないことは、最初から自覚できていたことだ。

 もちろん多少は魔族としての穢れも持っているが、他の者よりも少ないのは、はっきりとわかる。

 

「私は、この骨の生物が……私に何を託したかったのかを、知りたいのです」

 

 太い骨の一つを握り、見つめる。

 長年、私が氣によって守り、時を共に過ごしてきた、私の根源である白骨。

 

 魔族はそれぞれが何かしらの“由来”を持っている。

 しかし、私の持つ由来は未だにわかっておらず、果てしない旅を続けてきた今でさえ、不明瞭だ。

 

 私は何故生まれたのか。

 私は何をすればいいのか。

 

 私は……ほとんど直感として、本能として守り続けているこの白骨を……どうすればいいのか。

 

 それを知りたい。それを果たしたい。

 謎が解けるまで、私が役割を果たすまで、旅は続けられるのだ。

 

「……そう、貴女は……そうだったの」

 

 私が自らの身の上を吐露すると、神綺は何か納得がいったように、ゆっくりと深く頷いた。

 そして真剣な表情のまま、茜色に染まった遠方を指差して、彼女は言う。

 

「紅。貴女は、魔界の中央を目指しなさい」

「……魔界の、中央」

「そう。魔界の中心、大渓谷。魔人達がセムテリアと呼ぶそこに、行かなければならない」

「それは、何故……」

「そこに、貴女の求めている答えがあるからよ」

「!」

 

 神綺は断言した。

 茶化すような物言いではない。真剣な言葉だった。

 

「神綺様……貴女は、何を知っているのですか」

「……そこから先は、紅。貴女自身が見つけ出す必要があるわ」

「神綺様!」

 

 私が訊ねても、魔神は意味深に躱すばかりで、響くようには答えない。

 そのまま彼女は翼を広げて宙をひらりと舞った後、魔界の空へと飛び去ってしまった。

 

「……魔界の……中央」

 

 悪しき魔族が死んだ塔の上で、私は一人、立ち尽くす。

 夕焼けは沈み、藍色の闇が空を覆いつつある。

 

「魔界に、答えがあるっていうの……?」

 

 陽は沈んだ。

 長い黄昏が終わった。

 

 旅は、再開する。

 


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