東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 地下空洞の天蓋に満ちていた仄かな緑光は、ゼンの死と共に急速に輝きを失い始めた。

 長い廊下の壁に備え付けられた明かりも、彼女の力によって点灯していたのだろう。

 地下はゆっくりと闇に侵されてゆく。

 

 しかし、紅髪の女にそれを気にかけるほどの余裕はない。

 彼女の目の前には、この魔界における最上位である存在、魔神が立っているのだ。

 

 何故ここにいるのかはわからない。

 いつから居たのかもわからない。

 確信しているのは、たった今力を使い果たした自分では、どうあっても抗えないまま殺されてしまうだろうという確信だけであった。

 

 抵抗はしない。しかし、身動きが取れない。

 女は暗がりが辺りを覆う中、ただ立ち尽くすしかなかった。

 

「“天蓋よ、光れ”」

 

 視界すべてが闇に消えるかと思われたその時、神綺の掲げた手と、一言だけ紡いだ“命令”によって、地下は淡い光に包まれた。

 

 その瞬間、女は染み渡るように広がっていた力の流れを、生来より持ち合わせていた力によって感じ取った。

 だが同時に、その力は初めて見るものであり、また自分が決して扱えないであろう特殊な力であるということも、理解した。

 

 格の高い神族は、その言葉や意志だけで、この世界に強く干渉できるのだという。

 目の前に立つ魔神はその類の、桁外れな次元の者なのだ。

 

「貴女、魔族よね。さっきも、魔族とか何とか言っていたみたいだし」

「……はい」

 

 神綺の問いかけに、女は偽りなく答えた。

 

「貴女の名前は、なんていったかしら」

「……私に、名はありません」

「あれ? ……ああ、そういえば最初の時にもそう言ってた魔族がいたっけ。不便じゃない?」

「いいえ、特には……」

「そう。けど私が不便だから、貴女に名前をつけてあげる」

 

 神綺は人差し指を宙に泳がせて、可愛らしく唸った。

 

「……じゃあ、貴女の名前は今から(コウ)ね。紅い髪だし、血のついた包帯を巻いてるし、血まみれに殺した魔族も、そこに転がっているものね。ピッタリだわ」

 

 今しがた絶命したばかりのゼンの遺骸を指さして、愉快そうに魔神は笑う。

 しかし、紅髪の女……紅にとって、今現在は自分の命が浮ついている状態だ。その冗談が奇跡的に彼女の感性を刺激するようなものだったとしても、とても笑うことなどできなかった。

 

「紅、貴女はそこに転がっている魔族と闘って、殺したみたいだけど……どうして殺したのかしら?」

 

 (コウ)。魔神より与えられた己の名。

 自らを指す言葉など持ち得なかった彼女は、一瞬遅れて言葉に反応した。

 

「……私は。この女が……クロワリアの魔人たちに、卑劣な行いをしていた事に気付いて……その跡をつけたところ、戦闘となったので……殺しました」

「ふうん。クロワリアの魔人たち、ねえ。別に、跡をつける必要はなかったんじゃないの?」

 

 正直に答えれば、また問いかけ。

 だが、紅は動揺しなかった。

 どうせ力では敵わないし、嘘や綺麗事が通じる相手だとも思えない。ならば、事実を言うしかないのである。

 

「魔族は信用できませんし、クロワリアの人々が心配でもあったので……つけました」

 

 そして紅は人一倍、嘘が嫌いな魔族でもあった。

 

「……そ」

 

 答えを聞くと、神綺はさほど興味も無かったように小さく頷き、その場でふわりと浮き上がった。

 

「……魔神様」

「ん?」

「ひとつ、お尋ねしても」

「良いけど。でも、私の事は神綺(しんき)って呼んでね」

「は」

 

 神綺を呼び止めた紅は“神綺様”と呼び名を改めてから、真摯な蒼眼を向ける。

 

「以前から神綺様は、このゼンという名の魔族の悪行を、ご存知だったのでは」

 

 戦闘終了とほぼ同時に、突然現れた神綺。

 紅が疑問に感じたのも無理は無い。ここでのイザコザがあらかじめわかっていたのであれば、地下で力をつけていたゼンの悪行を知っていてもおかしくはない。

 紅は、神綺の魔神としての力がどこまでのものかをわかっていない。だが、先ほどの明かりや、突然現れた奇怪な力を見る限り、あらゆることが可能であるように思えてならなかった。

 

「……ええ、知っていたわ」

 

 そして紅の予想通り、神綺は頷いた。

 

「そこに転がってる奴の計画は、クロワリアに住み着いて最初からね……。サリエルの“眼”にかかれば、空洞で繋がっている場所なんて、どれだけ深かろうとも、曲がっていようとも、意味は無いから。そいつが懸命に地面を掘っているところから、わかっていたわよ」

「……では、何故」

 

 何故、見過ごしていたのか。

 それは非難するような言葉であったが、自らの傍観を悔やむような神綺の悲しげな表情を見てしまっては、訊かずにはいられなかった。

 

「……だって、この町の人たち、とても幸せそうだったんだもの」

 

 神綺の哀愁に沈んだ一言に、紅の瞳が揺らぐ。

 

「お馬鹿なのよ、クロワリアの魔人たちって。外敵がいないからって、わざわざこんな痩せた土地までやってきて。狩猟もしない、余所者も警戒しない。枯れたような作物を分けあって、その日その日を、細々と暮らして……」

 

 クロワリアは、砂漠に限りなく近い辺境の集落。

 実のところ、ある程度丈夫な魔人たちでさえ、定住するには全く適していない土地であった。

 

「一応、忠告はしていたのに……魔族がやってきた時なんかは、お祭りを開いて歓迎しちゃって。住み分けどころか、わざわざ自分たちから内側へ受け入れて……」

 

 紅は、地上でのゼンの慕われようを思い出した。

 集落の人々から声を掛けられ、慕われ、頼りにもされている。

 

 最近のクロワリアからは、ゼンが密かに広めた病の影響によって、魔人達が集落を飛び出してゆくことも多かったのだという。

 それでも、多くの魔人は残ったのだ。

 この寂れた貧しい集落で、全ての元凶さえ含んだ、大切なものと共に居続けるために。

 

「……そいつが来てから、本当に幸せそうだったのよ。本当に。上手く利用されているだけだったのにね」

「……だから、手を出せなかった」

「ええ。まぁ、毒といっても、少しずつ生命力を奪うだけだった、ということもあったから。一生分、長く掠め取るようなものだったんでしょうね」

「……それは、許されるということですか?」

「ううん。……どうなのかしら。悪い面もあれば、良い面もあったから」

 

 ゼンの死体を見て、神綺は淋しげに微笑んだ。

 

「でも、こいつを殺した紅の判断を、悪い事だったとは思っていないわ」

「それは、何故……?」

「だって……やっぱり私は、こいつのことが嫌いだったから」

 

 外見並みの無邪気な笑顔を浮かべ、神綺はローブの袖で口元を隠す。

 

「私は踏ん切りがつかなかったけれど……正直、紅がやってくれて、良かったわ」

「それは、……どうも」

 

 悩む魔神。笑う魔神。

 紅はこの短い時間で、様々な表情を見てしまったものだと驚いた。

 

 


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