平坦な地面から、凹凸のある岩場へ。
岩場から、小さな草や孤立する低木が点在する平原へ。
魔界は広く、様々な地形が連なっているらしい。
地上ではあり得ないような、平原の上に乗せたかのような、唐突な山岳。
浅瀬がなく、一歩目から見通すことのできない水深の海。
瘴気混じりの、灰色の砂漠。
私も地上の成り立ちに詳しい方ではないが、この魔界に存在する自然はどれも奇妙で、不可思議である。
生息する生物も、地上では見られない不格好なものが多い。
私はその不可思議さに、度々足を止めては風景をじっと眺める。
だが、どれにおいても、私の目的地とは遠くかけ離れている。そのことに気づけば、再び荷物を肩に提げて、歩いてゆく。
ここではない。ここでもない。
やっていることは、地上にいた頃と同じだ。
違いは一つ、外敵がいるかどうかだけ。
何日も、何ヶ月も、何年も、私は歩き、流離い、見知らぬ魔界の道なき道を往くのだ。
そのような旅を続けて数年後、私は延々と続く薄黄色の砂漠を踏破した辺りで、ひとつの建築群に遭遇した。
建築は小さな塔のようなものが多く、濡らした土を固めて作られたものらしい。
本来、そういった建築物は早く劣化するものだ。
つまりあの建築物には、何者かが棲んでいる可能性が高いだろう。
「……」
私は砂漠を越える前に、砂丘の陰に潜み、隠れた。
身体に纏わる氣を目に集中させて、土の塔の周囲を観察する。
氣によって鋭敏になった視力は、塔の周囲で活動する人々の姿を捉えた。
質素な薄汚れたローブに、痩せた身体。
人々は木を編んで作った籠のようなものを抱え、そこに作物を載せて、運んでいるようだった。
一見して、人々に危険性はない。
わざわざ誰が来るかもわからない土地で、あのような姿で流浪者を騙そうとする気長な奴もいないだろう。
それに、私も砂漠を長く歩いたせいか、少々身体にガタが来始めている。
魔界の瘴気は多少の疲れを癒してくれるようだが、それも微々たるものである。
「……あそこなら、休息できるかもしれない」
どれほどの時間いられるかはわからない。
だがあそこが安住の地であるならば、一時でも羽を休めるのは悪くない。
決めた私は、再び荷物を片手に、集落に向かって歩き始めたのであった。
集落は、間近で見ても貧相なものだった。
活力のない人々。小振りな農作物。漂う瘴気。
「おや……貴方は、旅の方でしょうか」
「はい」
集落に入り、一番に声をかけてきた黒髪の男の声も、どこか力が無い。
土地が痩せているせいだろうか。だが、彼らがそれほど食に執着を必要とする種族とも思えない。
「おお、旅の方とは珍しい……ようこそクロワリアへ」
「……クロワリア?」
「この土地の名ですよ。魔界の中心、セムテリアからは遠く離れた場所であります故、聞いたことがないのも無理はないでしょう。私は族長のカラスと申します」
カラスと名乗った彼は、どうやら族長らしい。
クロワリアの族長、カラス。
やはり彼の様子を見る限り、この集落は敵対的ではなかったようだ。
そして、今の話で、魔界の中心という言葉が出てきた。
魔界の中心、セムテリア。中心というからには、栄えた場所なのだろうか。
“魔神”神綺、“死の天使”サリエルも、そこにいるのかもしれない。
いつか、そこも訪れてみるか。
「しかし……はるばる遠方から来てくださったのに、申し訳ありません。今のクロワリアは、旅人様を御持て成しすることができないのです」
「持て成しなど、私には……しかし、どういうことなのでしょう」
「はい。このクロワリアは、数十年ほど前より、謎の病が蔓延しているのです」
「病」
「ええ」
病は、地上でも度々耳にした事がある。
一度病が広がれば、その土地の集落は潰え、滅びる。
強力な病の力を操る魔族は、爪の一掻きで他者を速やかに死に至らしめる。
私は氣によって弱い病から身を守り、定住せず流離う暮らしを続けているので無縁だったのだが、まさかこの魔界で、病を持った集落と出会うことになるとは思わなかった。
病は危険だ。
ここは休まず、先を急ぐべきだろうか。
「病といっても、すぐさま死ぬようなものではありません。力を蝕まれ、徐々に衰えていくような……そういった類のものです。この土地の食物を口にしない限りにはかかることもないので、ご安心ください」
「……食物によって罹る病なのか」
「ええ。しかし、数十年かけてわかったことは、それだけです。未だ、病を防ぐ術は見つかってはおりません……」
カラスは、集落の端に位置する土の塔を眺め、息を吐いた。
その塔は、長いこと整備されていなかったのだろう。中程から崩れ、歪な短い形で立っている。
「……衰弱の病から逃れるためには、この土地を離れる他に術はありません」
離れればいいのではないか。
私はそう言いかけたが、崩れた塔を見る彼の目は、力なく、もの悲しく、哀れで、何も言うことはできなかった。
「……さあ、旅の方。こちらへどうぞ。身体を休めるだけでも、我々は力になれるはずです」
「……はい」
徐々に迫る死を見据えた族長の言葉に、私はただ頷いた。