東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 地上に降りてサリエル様を捜索していた私は、結界に隠された島で、穢れなき少女に出会った。

 その子の名前は、輝夜(かぐや)という。地上の蓬莱山より天界へとやってきた姫である。

 

 地上からやってきた神族ということで、高天原では一時期、“穢れを持っているのではないか”とか、“災いを齎すのではないか”といった非難が上がることもあった。

 

 しかし彼らのそんな言葉も、一度輝夜を目にしてしまえば、すぐに引っ込んでしまう。

 輝夜が持つ生来よりの清さ、そして美しさ。それは穢れだとか、災いなどというものとは一切無縁の、完璧なものであったからだ。

 

 最初はあーだのこーだの言っていた連中が、一目見ただけで掌を返すのだから、見ているこちらとしては滑稽というか、面白いものである。

 輝夜は努めて大人しくしていれば問題ない。逆に喋るとボロが出てしまう。

 

 ともかく、輝夜は高天原に来て程なくして、余所者でありながら高い地位を得るに至ったのだ。

 

 

 

「エイリン、エイリン!」

 

 そして、ああ。また輝夜がやってきたらしい。

 なんて落ち着きのない子なんだろう。

 

「エーリンっ!」

 

 扉を開け放ち、輝夜が部屋に飛び込んできた。

 両手にはまだ摘むには青すぎる桃の実が沢山抱かれている。余計なことを。

 

「姫、声が大きいですよ。ちゃんと聞こえていますから」

「エイリンが返事をしなかっただけじゃないの!」

 

 確かに私は返事をしていないが、それはただ研究に没頭していただけのことだ。

 そしてその研究は、彼女の抱えている山ほどの食べられない桃の実よりも格段に重要である。

 正直、数時間置きに部屋に突入するのは勘弁してほしい。

 

「エイリン、この前作ってくれた桃を甘くする粉を頂戴! まだまだこれは美味しくないけど、あの粉があれば食べられるはずよ!」

「姫、今度は量を増やすつもりでしょう。根本的な解決にはならないのですから、熟すまで待ったらどうなんですか」

「待てないから持ってきたんじゃないの」

 

 どういう成り行きか、私は輝夜の従者という立場になっている。

 成り行きも何も、私が輝夜を手っ取り早く高天原に迎え入れるためにそのような“設定”を作っただけなのだが、それを取り消すタイミングを失い、こうして定着してしまったのだ。

 だから今の輝夜、そして蓬莱山家は、実質この高天原でも五指に数えられる程の地位にある。

 

 

 

 ……ちょっと、美しいものの力というものを、過小評価していたのかもしれないわね。

 

 高天原では違和感なく彼女を受け入れているが、私のように間近でわがままを聞く身としては、たまったものではない。

 

 ……拾ってきたのは私だから、文句なんて言えないんだけど。

 

 

 

「エイリン、それなにやってるの?」

 

 桃の次は、私の研究だ。

 彼女の興味は四季を待たずに、コロコロと移り変わる。

 

「これは、月へ行くための道具ですよ。姫」

「……それが?」

 

 私が手にしている物を見て、輝夜は怪訝そうな目を向けてきた。

 

「ただの光る輪っかじゃないの」

「見た目はその通りですね」

 

 彼女の言う通り、私が今手がけている道具は、ただ外観を見ただけでは、直径一メートルの、青白く輝くだけのただのリングである。

 しかしこれは、ただ眩しいだけのリングではない。私が以前垣間見た“新月の書”の内容を元に作成した、立派な“装備”なのだ。

 

「月って、空に浮かんでいるあれでしょう?」

「ええ。この道具が完成すれば、リングの中に入ることによって、月まで飛んでゆくことができます」

「嘘おっしゃい。エイリン、ついにおかしくなっちゃったの?」

「姫、嘘ではありません。まぁ、まだ完成しているわけではないのですが」

「未完成なの。道理でさっぱりした形をしているわけだわ」

「いえ、外形はほとんどこのままですよ」

 

 使い方は単純だ。

 このリングに身体を通して、腰辺りの位置で手に持つか、脇の下に挟んで固定するだけ。

 あとはリングが生み出す月の魔力を利用した浮力により、月まで一直線に飛んで行けるという寸法だ。

 

「ただ現時点で使おうとすると、月まで行くのにとてつもない日数を必要としますし、使用者は二日以内に十六以上の死因によって、高確率で死んでしまうでしょう」

「エイリンは拷問器具にも造詣が深いのね。天才ってやっぱり凄いわ」

「研究はトライアンドエラーなのですよ、姫様」

 

 当然のことながら、私は現状のこのリングの完成度に満足していない。

 もう何年もこの道具の研究をしているが、出来上がるのは失敗作ばかり。

 死体でさえも、月に到着できる確率は1%未満だ。

 

 月の魔力とほぼ同じものによって作られた、浮遊のリング。

 あと少し、ほんの少しのアイデアだけで、完成すると思うのだけど……。

 

 

 

「エイリンって、月が好きよね」

 

 何気ない輝夜の呟きに、私の鼓動が僅かに早まった。

 

「ねえエイリン。エイリンはどうして、そんなに月に行きたいのよ」

「……行きたいというわけでは……」

「それこそ嘘よ。エイリン、ずっと前から月関係の道具ばかり作ってるじゃない」

 

 ……研究の仔細には全く興味がないのに、こういう所は目ざといのよね、この子って。

 

「……月は、我々神族にとって非常に重要な場所の一つなのですよ」

「えー、そんなの初めて聞いたわ」

「はい。これを知る者は天界でも極僅かでしょう」

 

 月。それは、大いなる魔力の源。それ故に魂を揺さぶる、狂気の源泉。

 しかし、それだけではない。神族や穢れのほとんどは、月を力の発生源としてしか認識していないが、月は天界と同じ、私達の命を長大にする力を持っている。

 

 いわば、非常に清らかなのだ。

 この少女、輝夜のように。

 

 

 

 確かに、天界は私達にとって安住の地である。けどそれは現時点でのことであって、今後この限定された空間が、そのままの形で存続されるという保証はない。

 いくら強力な結界によって外界から隔たれているとはいえ、輝夜がここにやってこれるように、少々内部からの手引があれば、外部の者の侵入はあまりにも容易なのだ。

 

 それに、実質この天界全域を司っている“天上の神々”のさじ加減ひとつで、私達の存在が脅かされるというのも困りものだ。

 脳天気な連中は何も感じないのだろうけど、まるで常に首根っこを掴まれているようで、心が休まる気がしない。

 

 “天上の神々”は、あのサリエル様を切り捨てたのだ。

 そのような組織の影響下で呑気に暮らせるほど、少なくとも私は呆けていない。

 

「いつか我々高天原の神々は、一族全員で月に行くかもしれませんね」

「えーっ、そうなの!?」

「ふふっ、さあ、どうでしょうか」

「あっ!? さてはエイリン、また私のことをからかってるわね! 今日ばかりは騙されないわよ!」

 

 ……高天原の一族全員で、月への移住……か。

 姫は冗談だと捉えているけれど、その計画は、多分……。

 

 


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