東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 穢れ無き山。穢れ無き樹木。

 その様相は、まさに地上に造られた天界のよう。

 ここならば、穢れを嫌う伊弉諾でさえも、喜んでその身を晒して移り住むだろう。

 

 ……しかし、ここは自然が生み出したものではない。

 大気さえも封鎖し、外敵を寄せ付けない結界。私が考案した穢れを吸着する樹木の完成形。

 これらが自然界で偶然に発生するなど、全く考えられるはずもないのだ。

 

 ここには、何者かがいる。

 穢れの対処法を熟知し、魔法さえも扱うことのできる、何者かが……。

 

 清らかな森の中に点在し始めた桃の木を見て、私は再び強い確信を抱き、進んでゆく。

 

「……!」

 

 そうして私は森を抜け、その向こう側に人工的な建造物を発見した。

 思わず、素早く木陰へと隠れる。

 

「やはり、誰かがいる」

 

 そっと樹木からのぞき込むと、森の向こう側の平原には、建造物……の跡らしきものがあった。

 人工物ではあるが、あれはその名残り。遺跡のようだ。

 

 規模は、それなりに大きいか。

 大昔に、あの平原を拠点として、何らかの一族か派閥が住んでいたのだろう。

 

「……」

 

 生物はいない。私はそう仮定して、木陰から出て、遺跡に向かって歩きはじめた。

 もちろん、警戒は怠らない。弓は手に構えたまま、いつでも矢を撃てるよう意識を残している。

 

 遺跡の側まで近づくと、建築群の簡単な基礎らしき構造が明らかとなった。

 木製の柱を地中に埋める、一般的かつ原始的な工法である。柱自体は朽ち果てて影も形もないが、柱を支える基礎部分の石材についた模様から、ここに入っていたものが木製だとわかる。

 

 数千。いや、数万年か、それ以上。

 この島の気候が定かでないので断言はできないものの、風化は非常に緩やかだったはず。

 相当に昔の遺跡であると考えても良いだろう。

 

 ……もしもここにまだ生き物がいるならば。

 この遺跡の基礎を再利用しない手はない。

 かつてここに多くの生き物が住んでいたということは、この場所がそれなりの利便性を持っていたことの証でもあるからだ。

 しかし何者もここに居を構えていないということは、少なくとも一族単位の生物は、もうこの島にはいないということである。

 だとすれば、警戒する必要はないだろう。

 

 しかしそうなると、別の疑問が現れてくる。

 ここは平穏で、穢れもない土地だ。神族であれば、ここで自然死する理由は無い。

 

 ならば、この遺跡は一体?

 一族は、果たしてどこへ?

 

 私は足元の基礎から目を離し、辺りを見回した。

 

 集落の数は、非常に多い。

 争った形跡は、見られない。何者かの手によって住処を奪われたわけではない。

 では、ここは一体……。

 

「……!」

 

 私が不可解な遺跡に頭を抱えていると、ずっと向こう側の森の近く、集落の遺跡から離れた場所に、ぽつんと孤独に佇む建築物を発見した。

 それは、遺跡ではない。

 今なおそこに健在する、年季は入っているが朽ち果てていない木造の建築物だった。

 

 思わず、姿勢を下げ、弓を構えてしまう。

 窓は二つ。そこに人影は無い。

 

 だが建物はある。木製の建物がある。

 それは、高い確率で何者かがここにいることを示していた。

 

「……サリエル様、であればいいけれど」

 

 この島には、複雑な結界が張られていた。しかしその結界は、ある程度の智慧を持つ者に解法を教える、外部の者を歓迎する構造でもあった。

 歓迎されているのであれば、私が危険な目に会う可能性は低いと考えられる。

 けれど、あの結界や樹木を生み出すような存在だ。力量は、私より上だとしても何ら不思議はない。そのような相手に、歓迎されているのだから無警戒のままでいろというのは、無茶な話である。

 

「……しかし、接触を図るしか無い」

 

 それでも、私はあの小屋に近づかなければならない。

 何者かが住んでいるであろう、あの小屋の主に会わなければならない。

 

 この島の謎を解かなくては。

 サリエル様に再会する可能性を、見つけ出さなくてはならないのだ。

 

 

 

 集落の遺跡を離れ、素早く小屋まで近づいた。

 小屋は古い木造で、建築から数百年は経過しているかのように伺える。

 

 ……そう、そのように“見える”。

 しかし私は、小屋に近づいてみてある事に気がついた。

 

「……術?」

 

 木造の小屋には、何やら魔法のようなものが仕掛けられているらしかったのだ。

 試しに小屋の外壁に触れ、撫でてみる。

 すると、わずかであるが、外壁を撫でた私の手が、不可思議な抵抗を感じ取った。

 

「……」

 

 私も術に詳しいわけではない。

 しかし、かつて途中まで読んだ“新月の書”にあった理論の一部が、ここに用いられているように感じる。

 月の魔力を収集し、利用する術。

 そしておそらく、触れるものを……外部のものから、材料を保護する術。

 その二つが、この小屋には掛けられているのだ。

 

「見た目の年代は、参考になりそうもないわね」

 

 この小屋は、術によって保護されている。

 術は魔力を集めることによって半永久的に継続し、途切れることはない。

 つまりこの小屋はずっとこの姿のまま、ここに建っているのだ。

 

 その証拠に、小屋の下部、建造物の根本の付近では、術の影響する範囲と影響しない範囲とで、地面に大きな差異が生まれている。

 地面は非常に安定しているが、永い年月を掛けて移ろうもの。その変化が生じた部分と変わらない部分とで、境目が出来ていた。

 

 見たところこれは、少なくとも数千年以上。

 あまり指標としてあてになるものではないが、最低限経過しているであろう年月は推測できる。

 

 ……だとすると……。

 

「この小屋にも、既に誰もいない?」

 

 私は弓を背に戻し、小屋へと踏み込んだ。

 

 

 

 入り口を開け、木造の小屋の中へ。

 小屋の中も古いが、保護がかけられているらしい。内装や調度品の一部は無事のようだった。

 しかし所々で風化したであろう塵や埃のようなものがあり、過ぎ去った年月の名残が見て取れる。

 

「……術、だらけね」

 

 小屋の中は、術で埋め尽くされているかのようだった。

 詳細は不明。しかし、大半は同じ保護の術がかけられているのだろうと理解できる。

 

 椅子、テーブル、寝具。

 様々なものが置かれているが、どれも高天原や、その近辺に棲まう者達の文明ではない。

 ここ固有のものか、別の神族の文化が生み出したものであろう。

 

「……これは」

 

 その中で、私は興味深いものを見つけた。

 大きな木製のテーブルの上に置かれた、いくつものガラス瓶である。

 

「……魔石。あの樹木から採集したものね」

 

 テーブルには、穢れを吸う樹木からもぎ取ったらしい色とりどりの石が、無数の硝子瓶に詰められていた。

 乱雑に入れたもの。色ごとに分けたもの。グラデーションを意識したのか、ひとつの瓶の中で色を徐々に変えながら詰め込んだもの。

 魔石としての性質は、それぞれ大差ないはず。しかしこうした無意味な分け方をしているところを見るに、採取した人物は単純に見た目の問題を意識したのだろう。

 

「……サリエル様、らしくはないわね」

 

 私はなんとなくではあるが、この小屋の主がサリエル様でないことに薄々気付きつつあった。

 サリエル様もお茶目なところはあるけれど、こうした楽しみ方は好まれない性格だ。

 あの方であればむしろ、この島に美麗な建築物を築きあげる方のが似合っている。

 

「……うん?」

 

 私がテーブルの上の硝子瓶を眺めていると、その中のひとつに変わったものが混じっていることに気がついた。

 思わずそのひとつを手にとって、間近で眺めてしまう。

 

「……花……造花?」

 

 それは、ガラスの瓶の中に入れられた、精巧な一輪の花。

 透き通った硝子で造られた、名も知らぬ花……。

 

 

 

「そこにいるのは誰?」

 

 声。

 背後からの声。

 

 私は一瞬の緊張のあまりにガラス瓶を落とし、そんなことは欠片も気にせず、背負った弓を構え、矢を番えた。

 

「わっ……!」

「……」

 

 私が冷淡な殺意をもって振り向けば、そこには一人の少女がいた。

 

 長く艶やかな黒髪。

 少しの曇りもない白い肌。

 完璧と言う他に例えようのない、満月のような美貌。

 その見た目とは対極的な、薄汚れたぶかぶかの赤いローブ。

 

「な、なにそれ……ちょっと、やめてよ……酷いこと、しないでよ……」

 

 そこには、あまりにも美しすぎる少女が居た。

 両手に瓶を持ち、その中には七色の魔石が詰められている。

 

 そして、私の構える弓に、魔力の矢に、心から怯えているようだった。

 

 害はない。むしろ、害になっているのは私。

 私は直感的に目の前の少女の無害を確信し、すぐに弓の構えを解いた。

 

「申し訳ございません、誰もいないものと思っていたもので……」

「い、いるわよ。ここは、私の家。見ればわかるじゃない……」

 

 少女はよほど私が恐ろしかったのか、怯えているようだった。

 しかし彼女の性格そのものは気丈らしいのか、下手に出るような素振りはない。

 私としては、こちらのほうが話が早くて助かった。

 

「無礼をお許し下さい。私は高天原よりやってきた、八意と申します」

「なによ、それ……そんなの知らない」

「天界の派閥のひとつです、近隣には……」

 

 私はそこまで言って、これ以上の説明が無駄であることを悟った。

 私が天界と言っても、高天原といっても、彼女は怪訝そうな顔のまま、少しの態度も変えていなかったのだ。

 

 彼女は、天界を知らない。

 天界で生まれ育った神族ではない。

 

「……失礼ですが、貴女は何者ですか?」

 

 私は、まずは彼女が何者かを知るために、直接的な質問を投げかけることにした。

 

「知らない」

 

 彼女はあまりにもきっぱりと、そう答える。

 

「気付いたら、この島にいたの。私はずっと、一人でここに住んでいるわ」

「……そうですか」

 

 間違いない。

 彼女はこの島で生まれ、そして育った神族だ。

 

 全く穢れのない環境で磨かれた霊魂が長い年月をかけて少しずつ集まることによって、彼女が生まれたのだろう。

 

「そうだ。貴女、私のコレクションを見てみない? とっておきばかりを集めているのよ」

「え、ああ、まぁ……はい」

 

 私は色々な考えを巡らせていたのだが、それは少女の強引な誘いによって中断された。

 

「私と同じ人に会ったのなんて、初めて。すごく嬉しいわ」

 

 ……更なる質問を投げかけるには、もう少し彼女に付き合う必要がありそうだった。

 

 


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