東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 以前に盗み見てしまった、サリエル様の書物。

 “新月の書”。そこには、月より発せられる魔力に関する事と、その運用法が記されていた。

 目を通した相手の動きを強制的に封じ、本の内容を無理やり頭へ刻み込むという恐ろしい書物ではあったけれど、あの本にあった内容は、いい意味でも悪い意味でも、今の私を形成する上で重要な知識となっている。

 

 月を司ると自称する神族は、天界において数多くいる。

 しかし一体その中の何人が、実際の月へ赴き、月の神秘を理解していることだろう。

 高天原にも“月を司る者”はいる。伊弉諾の子、月夜見(ツクヨミ)がそうだ。しかしあの人でさえも、私以上に月を理解しているとは思えない。

 

 月の力は、偉大だ。

 月は地上に莫大な魔力をもたらしてくれる。私はそれを知っている。

 魔力を用いた魔術を扱う者は、いつからか天界でも珍しくはなくなったけれど、月の魔力に関する細かな所まで把握できている者は、きっとほとんど居ないはずだ。

 いるとすれば、かつて月の秘密を守護していた彼、サリエル様くらいのものだろう。

 

 

 

「ふッ」

 

 私は弓に番えた魔力の矢を撃ち放ち、遠方に蠢く魔族の脳天を貫いた。

 

「……キリがない」

 

 これで、二百二十体目。

 まだ地上に降りてから数ヶ月だというのに、敵対的な動きを見せる穢れとの遭遇は収まることを知らなかった。

 月の魔力によって矢を無限に生成できなければ、こうして長期間の捜索に乗り出すことも難しかっただろう。

 

「こんなに恐ろしい場所、長く居られないわね……」

 

 私は弓を背に戻し、冷や汗を拭って、また果てしない旅を続けた。

 目的は当然、サリエル様の捜索である。

 

 地上の民であれば、誰でもいい。手がかりになるものを、探さなければ。

 

 

 

 それから私は、何年も何年も地上を彷徨った。

 地獄によって多少改善されているとはいえ、地上は穢れに満ちている。魔法によって抑えてはいるものの、いつ、私の身体に変調をもたらすかはわからない。

 戻ろうと思えば、すぐにでも高天原へと帰還できる。

 それでも私は、未だにサリエル様が地上にいることを想像してしまうと、一人穢れを恐れて逃げ帰る気にはなれなかった。

 

 地上を歩き、多くの地上人に出会った。

 かつて堕天したという一族に遭遇した。

 固有の文明を築き、天界そのものを忘れてしまった集落にも訪れた。

 

 しかしどこへ行っても、サリエル様は見つからない。

 彼の痕跡は、見つからない。

 

 どれだけ河を跨いでも、どれだけ山を越えても、あの人の影は、どこにもない。

 

 終末へ誘う忌まわしの穢れ。

 忘却の彼方に追いやられた、偉大な天使の痕跡。

 私の旅は、彷徨うほどに、絶望で満ちていった。

 

 

 

 満月の夜。

 魔力に満ちる、神秘の時。

 私は豊富な力を利用して、海の上を飛んでいた。

 

 どこまでもどこまでも、延々と続く青い海。

 視界の端にも、薄ぼんやりとも、陸地は見えない。

 ただどこまでも水だけが続いている。

 

 陸地のほとんどを大まかに探し、サリエル様の痕跡が見当たらないことを半分確信した私は、新たな陸地を目指して飛んでいた。

 月に一度だけ可能な、超遠距離を行く、孤独な海の旅。

 それは私の最後の希望でもあり、悲しい逃避行でもあった。

 

 陸地はない。あっても、どこにもサリエル様はいない。

 近頃は逆に、私は陸地など見つかってほしくないとさえ思ってしまう。

 

 この世界を……この地球を、全て見て回ってしまった時……その時こそが、私にとっての旅の終わりとなってしまうから。

 私は、サリエル様が存在しないだなんて、認めたくはない。

 私のせいで堕天してしまったサリエル様が、もう、……死んで、いるだなんて。

 

 ……そんな結論が、もしも出てしまったならば……私は。

 

 あの方と同じように、この地上で穢れに蝕まれて死んでやろうと、そう考えている。

 

「……!」

 

 私が昏い感情に心を傾けながら飛んでいると、不意に身体が微弱な魔力の流れを感知した。

 思わずその場から引き返し、感知した地点へと舞い戻る。

 

「……今、何か」

 

 勘違い、ではないはずだ。

 全く未知の、言うなれば不可思議な感覚だったのだ。気のせいではない。

 

 私は言葉で言い表せない感覚を覚えたその場所に、そっと震える手を伸ばした。すると……。

 

「!」

 

 空間が、ピリと、刺激を発した。

 その刺激は、魔力に由来するものである。感覚として理解できた。

 

「これは、結界……!」

 

 地上と天界を隔てる結界。その感触に、とても良く似ている。

 しかし馴染みはない。似た理論によって作られたものではあるが、つながる先は全く別の場所だろう。

 私は何も考えず、その結界へと魔力を流し込んでみた。

 

「やっぱり……! それに、これは……!」

 

 魔力を通してみると、結界はその姿をはっきりと可視化させた。

 青白く発光する私の魔力は空間上に魔力文字となって拡がり、結界の様相を露わにする。

 

「暗号……では、ない。けど、これは……結界の解除方法……」

 

 なんと結界には、魔力を通すことで解き方を出力する機能が備わっていた。

 魔力を通してただ開くだけの場所ではないようだ。

 

 智慧の無い者には開けることのできないセキュリティ。

 魔力ある者だけを歓迎するヒント。

 

「サリエル様……!」

 

 わたしはこの二つの要因から、あの人の存在を思い浮かべずにはいられなかった。

 

 地上へ堕とされたサリエル様。あの方が作った、空間を隔てる魔法の結界。

 良かった。あの人は生きている。あの人はこの中にいるんだ。

 

 私は目に涙を湛えながら、空間を捻じ曲げる結界を解除していった。

 

 

 

「うっ……!」

 

 結界を解き放つと、生ぬるい風が吹き込んできた。

 同時に歪められていた視界が一気に変わり、目の前に大海ではなく、ひとつの島が現れる。

 

 ここが、魔法によって隠されていた場所。

 

 その島は小さいものであったが、いくつかの大きな山があり、自然が豊かであろうことは、すぐにわかった。

 

 そう、ここにサリエル様が。

 そう思って島の中へと踏み込んでいった私は、ひとつの違和感を感じ取った。

 

「……穢れが、無い?」

 

 島の浜辺を過ぎ、林を過ぎ、山へ入り、森をゆく。

 その間中、地上で常に感じられていた纏わりつくような穢れの気配が、これっぽっちも感じられなかった。

 

 何故、この場所はこれほどまでに清らかなのだろうか。

 これも、サリエル様の力によるものなのだろうか。

 

 ――いいえ、落ち着かなくては。

 

 何でもサリエル様を前提に考えるべきではない。もっと別の、他の何かによるものかもしれないのだから。

 

 

 

 私は不気味なほど清らかな山の中を、念の為に弓を構えながら、そろりそろりと進んでゆく。

 辺りには騒がしい魔族も、大きな動物の気配もない。

 しかし未知数な空間の中で、私は気を抜くことができなかった。

 

「……え?」

 

 そして警戒しながら進む中で、私は自分の周囲を取り囲む木々の異様に気がついた。

 

「う……そ」

 

 何気なく歩き、何気なく横切り続けていたいくつもの細い木々。

 ただの樹木だと、私はそう思っていた。

 

 でも、違う。見ればこの木々は、どれもがその枝に葉をつけていない。

 そして樹肌は、私が今までに見たあらゆる植物とも違っていた。

 

 何より……。

 

「これは」

 

 私は思わず弓を取りこぼし、ひとつの樹木に近づき、枝を見る。

 一見すれば、葉をつけていないただの枝である。

 しかしこの枝の先には……よく見れば……鉱物が結晶化したような、まるで宝石のような、多角形の“実”が、付着しているのだ。

 

「これは……私の……」

 

 その植物は、私がかつて目指していた“穢れを吸う植物”の理想的な完成形に、酷似していた。

 まるで、私の頭の中から理想だけを抜き出して、この山のあちこちにばら撒いたかのように。

 

「この木は……結晶体は……間違いない、穢れ……浄化された穢れ、魔石……そうか、樹木全体を珪化木に似た構造にすることで結晶を……」

 

 私の研究で辿り着けなかった理想体が今、目の前に群を成して自生している。

 島が現れ、島に踏み込んだ際に穢れを全く感じられなかったのは、この木々たちが原因だったのだ。

 

「……もっと、調査しなくては」

 

 この島は、何かある。

 私は新たな決意を胸に、弓を拾い、穢れ無き山を進んでいった。

 

 

 

 


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