東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 高御産巣日(タカミムスヒ)

 それは私、八意思兼(ヤゴコロオモイカネ)の父に当たり、また、高天原において最も古いとされる人物だ。

 かの伊弉諾や伊弉冉以上に古いルーツを持ち、高天原の創建にも関わった私の父は、高天原において創造の主と敬われている。

 

 父の力をもってすれば、あらゆるものの創造が可能であると、誰もが疑わない。

 実際、父の力は偉大であるし、高天原の地を生み出すに当たって、あの人が多くの力を割いたのは事実であると思う。

 

 けれど、私は知っている。

 確かに父は高天原の創生に関わった。しかし、一から全てを生み出したわけではないことを。

 

 父自身が、私に教えてくれたのだ。

 この高天原という大地は。いいや、天界という巨大な石の塊は。

 私よりも偉大な、ひとつの大いなる神によって創られたのだと。

 

 

 

 父によって“賢くあれ”と生み出された私は、生まれながらにして高天原における頭脳としての立場を手にしていた。

 造化の主たる父の直系の娘ということもあって、私の高貴さは不動のものだ。

 伊弉諾が三人の子を成し、その子らが高天原の行く末を担おうという今になっても尚、私の立場は変わることがない。

 私は高天原のため、“主”の意志を成すために、長い間ずっと、この高貴なる知恵を絞り続けてきた。

 

 でも、私はただ考え、提案し、助言するだけの存在ではない。

 

 私も、人。自分なりに悩む、ひとつの心を持っている。

 

 高天原の頭脳としてここを動けない自分が、酷くもどかしい時もある。

 

 ……サリエル様が下界に堕とされたと知ったあの時などは、特にそうだった。

 

 

 

 その昔、天界において最も高貴であろう一族の一人が、この高天原を度々訪れていた事がある。

 彼の名は、サリエルという。

 高貴な青い衣。私よりもずっと綺麗な銀の長髪。理性的な顔立ち。

 本来であれば、とても言葉を交わす事など叶わないような高貴なあの方が、わざわざ高天原にまで立ち寄っていた時期があったのだ。

 

 サリエル様は種族を天使といい、彼は月の秘密を守り、天界を守護する役目を担っていた。

 それ故彼は月の天使と呼ばれ、天界の上層部の堅い秩序の象徴として有名だった。

 

 天界の守護者。厳格なる月の天使。

 

 実際に会うまでは私にもそのようなイメージがあり、厳格かつ冷淡な人物を想像していた……のだけれども、いざ目の前にして話してみると、彼は非常にユーモアのある、面白い人だったりする。

 

 サリエル様は、よく私の元を訪れては、天界中の様々な話を聞かせてくれた。

 それは遠く離れた地における制度のことであったり、別地方での武器はこうであるとか、またそこに存在する植物や見応えある地形など、様々だ。

 高天原から出ることの叶わない私にとって、天界中のあらゆる事を知り尽くしたサリエル様の話は新鮮で、いつまで聞いていても飽きがこない。

 私は自分自身を賢い者だと自負してはいる。けれど、サリエル様の持つ知識や見聞は広く、それは私の閉じた頭脳では生み出すことのできないものばかり。

 

 そのため私は、サリエル様と出会ってすぐに、彼の訪れを待ち焦がれる身になってしまったのだ。

 サリエル様は、高天原の地を、たまにしか訪れない。あの人には重大な役目がある。それは仕方のない事だ。

 わかっている。それでも、私はあの日々のほとんどを、待ち焦がれて過ごしていた。

 

 淡白な、頭脳としての日々。

 煌めいた、一人の女としての日々。

 

 ……あまり経験のないことだから、なんと言えば良いのか悩むところではあるけれど。

 多分、幸せだったんでしょうね。

 

 

 

 ……幸せだった。だからこそ、私は自らの行いを悔いている。

 

 あの時、サリエル様が置いていった本さえ読まなければ……。

 私が、好奇心に打ち勝ってさえいれば……。

 サリエル様は、堕天せずに済んだというのに……。

 

 

 

 あれから、どれほどの長い年月を過ごしただろうか。

 サリエル様が地上に落とされても、私の高天原での役目は変わらない。

 私は頭脳として、伊弉諾と伊弉冉が生み出した地上の統治に向けて計画を練らなくてはならず、あの方の行方を探す暇は与えられなかった。

 その上、伊弉諾は件のこともあって、穢れや魔というものに強い抵抗を持っている。

 私が訴えたところで、私が地上を散策するという許可が降りるはずもないのは明白だった。

 しかも他の地上には、他の派閥の者の支配下にある所も多く、強力な穢れは年月と共に増えるばかり。

 

 サリエル様は、地上で生きているのだろうか。

 穢れに冒され、死んでしまってはいないだろうか。

 

 私はあの方を捜索したい気持ちに焦がれながらも、今できることをやるしかなかった。

 穢れそのものの研究。穢れを払う研究。

 それらへの取り組みは、私の高天原での地位を更に盤石なるものへと変えていったが、なんということはない。

 私はただ、この遠き場所から、どうにかサリエル様を救いたかっただけ。

 

 

 

 穢れは加速する。

 地上の穢れは生き死にと共に濃度を高め、穢れの影響を受けた者は魂に干渉され、その性質を悪しきものへと傾ける。

 それは私達、天上の神族に限ったことではない。地上に生きる、神族ではない者達にも強く及ぶものだ。

 高天原の管理下にある大八島でさえ、凶暴化した穢れの力が強まっている。他の無秩序な場所においては、穢れの凶暴性は想像を絶するものとなっているだろう。

 

 私はそうした穢れの性質を明らかにすると、すぐにその穢れを中和し、元の無垢な霊魂に還元するための方法を模索し始めた。

 表向きは、高天原や大八島の保全。実際には、今もまだ地上を彷徨っているかもしれない、サリエル様のために。

 

 しかし穢れを封ずる研究は、一向に捗らない。

 私は様々な方策を模索したものの、どれも実現困難なものばかりであった。

 

 穢れを浄化する粉末の散布。

 穢れを通さない壁。

 穢れを破壊する炎。

 穢れを吸収する植物。

 

 どれも試した。試作は膨大な数にも及んだ。

 それでも、決定的な物が生まれない。どれも場当たり的なものばかりで、現実的ではない。

 

 “穢れを地上から無くしたい”。その願望そのものが現実的でないことはわかっていた。

 馬鹿な話。馬鹿な女。全くもって理性的ではない。わかっている。

 それでも、私は作り続けたのだ。

 生きているかどうかもわからないサリエル様を救うための、都合のいい道具たちを。

 

 

 

 やがて、冥界と地獄という二つの機関が本格的に稼働したという報告が入ってきた。

 それは、私が地上における穢れの対処を諦め、地上を直々に散策する方法を模索していた頃のことである。

 

 どうやら、他の派閥はいくつかが集まって、穢れに対抗する大きなプロジェクトを推し進めていたらしい。

 地上を揺蕩う穢れを巻き込むような環状の流れを作り、地獄と呼ばれる地下の浄化施設で穢れを一気に消滅させるというのが、その計画の目的であるようだ。

 もちろん、それだけでは完璧ではない。たとえそのような施設を作ったとしても、穢れが根本的に消えることは有り得ない。地獄はただ、その場その場で穢れを解消し、穢れの無限増殖を防ぐことが目的なのだ。

 

 私は一瞬、その計画を“不完全な”と嘲笑った。

 そして直後に、気付いてしまったのだ。

 そんな私は未だ、何一つとして穢れを祓っていない事に。

 

 

 

 皮肉なことに、地獄の発足によって冥界の管理が確かなものとなると、伊弉諾は奥方の影を恐れなくなったのか、地上の穢れに対して大らかになった。

 増加傾向を辿っていた地上の穢れに一定の歯止めが掛けられたことで、私は期限付きではあるが、地上を探索する許しを貰えたのだ。

 

 ――こんなことであれば、私も地獄の発足に協力すれば良かった。

 

 そんな後悔も、今更なことである。

 

 唯一役に立った私の行動といえば、どうにか地上探索の許可を得るために磨き続けていた弓の腕くらいのものだろう。

 そのおかげで単独での探索ができると思えば、やるせない気持ちも少しは報われた。

 

「お気をつけて、八意様」

「ええ、行ってきます。天照(アマテラス)、しばらくの間、高天原を任せますよ」

「はい。お任せを」

 

 とても。

 とてもとても、長い時を経て。

 

 高天原のほとんどの者が、サリエルの名はおろか、死の天使という不名誉な二つ名さえも忘れた頃になって、私はようやく、彼を探す旅に出かけたのだった。

 

 


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