東方遺骸王   作:ジェームズ・リッチマン

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 振り向くと、そこには想像の通り、老人が立っていた。

 艶のない褐色の肌に、赤い髪。赤い髭。質素な薄汚れた衣服も相まって、どこか見窄らしい姿である。

 とても本人の前で言えたものではないが、まるで物乞いのようだ。

 

「おや……お主、ここらでは見ない顔じゃのう」

 

 が、可笑しいのはむしろ、私の方であったか。

 オーレウスを訪ねるために用意した変装に身を包み、仮面までつけているのだ。

 見た目のインパクトで言えば、こちらの圧勝に違いない。

 

「はじめまして。私は、旅する魔法商人ライオネル」

「旅の……それもまた珍しい。しかも、魔法商人とな」

「いかにもいかにも……貴方は?」

「ワシは地上を歩くただの老いぼれじゃ」

「ほう、老いぼれですとな」

「そう、老いぼれじゃ」

 

 どうやら、知性ある神族のようだ。

 魔法にもそこそこの心当たりがあるらしいので、妙な軋轢も無いだろう。

 身の上を多く語らないところを見るに、魔法関係で天界から追放された一派なのだろうか。

 

「ところで、老人よ。先ほどの穢れというのは、一体?」

「見ればわかるじゃろう、ここらを漂っている、あいつらのことじゃ」

 

 老人は先ほどまで私が眺めていた高次自由魔力……別名、霊を指さして、そう言った。

 

「あいつらは、死した我々の成れの果て……自らの形を、記憶さえも亡くしてしまった、哀れな穢れよ」

「成れの果て」

 

 なるほど、つまりあれは、本当に霊だったのか。

 魔力さえ感覚で掴むことができれば、特に観測に不自由しない存在だったんだなぁ。

 

 ……けど、霊だ。つまり、死した神族である。

 ここを漂っている夥しい数の霊は、全て……つまり、この町の住人だったということなのか。

 

「穢れに取り憑かれた者は、穢れの持つ感情に心を動かされ、しかも存在力さえ奪われてしまう。ここは危険じゃ」

「おお、そうだったのか……うむ、そうしておこうか」

 

 偶然であった老人から、まさかの大きなアドバイスである。

 穢れの正体が、今の一言でほとんど解明されてしまったではないか。

 

「全く、最近は本当に、物騒になったものよ」

 

 とりあえず私は、老人の曲がった背中を追い、廃墟を離れることにした。

 まぁ、私だったら穢れの影響も大丈夫だとは思うけれど、一応、ポーズとして。

 

 

 

 穢れ。これはかつて、地上を這いまわる原始魔獣達を示す言葉だったのだが、今では少々、使い回しが異なるようだ。

 現在では地上に存在する高次自由魔力、霊を指して、穢れと呼ぶらしい。

 しかもその霊の中でも、とびきり悪いやつを言うのだとか、要は、悪霊のことだろうか。

 

「穢れは集まり、散って、集まり、散って……どんどん悪性を増し、強力になってゆく。悪性を増した穢れは、散っていても尚、危険じゃ。わしらも、その悪性によって穢されてしまうからの」

「それは初耳だ……」

「ふむ……まぁ、旅の者であれば、知らぬのも無理はない。この土地では特に、穢れが多いからの」

 

 地域差もあるのか。

 ……ふむ、つまり、神族が降りたり、住み着いた場所には、穢れも多いということかな。

 死ぬと霊になって、穢れを振りまく。振りまかれた穢れが、さらなる死を呼ぶ。

 そして霊が膨大に集まれば、悪性を増した原始魔獣の出来上がりだ。

 

 ……私がかつて見た魔族たちは、その悪性によって生まれた存在なのかもしれない。

 

「穢れか……かなり、深刻な問題のようだな」

 

 そしてきっと、ここだけでなく、他のあらゆる場所でも。

 

「穢れの無い土地があれば、一度訪れてみたいもんじゃがの。だが、そのようなものはおそらく、この世には天界をおいて他には、無いのだろうさ」

 

 老人は遠くの廃墟に見える、キツネのような動物を眺めながら、自嘲するかのように薄く笑った。

 

「生と死を繰り返し、穢れを溜めてゆく。穢れた意志は様々な生に宿り、さらなる穢れを作ろうと牙を向く……このままでは地上は、穢れに満ち、破滅した未来へと突き進むばかりじゃ」

 

 誕生、捕食、寿命。

 それは地上の生命が繰り返してきた、命の輪廻。

 そこに神族の欠片が加わることで、悪意と穢れが加速する。

 

 ……私は元人間だ。

 なので人間の感性からすると、それはあまり、不思議でもないように思える。

 食うのは当然だし、寿命が来るのも当たり前だからだ。むしろ寿命がなければ、人の一生はあまりにも様々なことがありすぎて、生きづらいとさえ感じてしまう。

 

 だが数百年、数千年、数万年を生きる神族の末裔たる彼らには、その先細りがどうしても許せないのかもしれない。

 

「穢れがない場所……といったら、あとはもう、月しかないだろうなぁ」

「ん?」

 

 何気なく言った私の一言は、老人の意外な反応を見せてくれた。

 

「月。月と言ったか?」

「え、おぉ、うむ」

 

 言ったよ、月って。

 そりゃそうだよ、月には穢れがないのは当たり前だ。あそこには海があっても、生物なんてものは全くいないのだから。

 その上、あそこには潤沢な月の魔力がある。魔術でもお世話になるほどの魔力源がすぐそこにあれば、魔力を必要とする神族も、ある程度は長生きするに違いない。

 永遠とまではいかないだろうが、天界と同じような環境にまではなるはずだ。

 

 もちろんそれは、あの月に下手に穢れが存在しないことが条件であるし、穢れが生まれるたびに、それを処理することが大前提である。

 あと、月に住まなきゃいけない。流石の私もそれは勘弁だ。あんな何もない場所に住むのはさすがに嫌だ。

 

「ふむ……そうか、月か」

 

 老人は赤い顎鬚を掻きながら、興味深そうに唸る。

 

「……もしも地上に、穢れ無き清き生命が残っているのであれば……月に移り住み、末永く、清く生きてもらいたいのう」

「穢れ無き生命、か……うむ、確かに」

 

 昼間の月を見上げ、私は夢想した。

 穢れのない月に住む、清浄なる生命の姿を。

 

 私のイメージでは、そこに生命の姿はない。

 生命のような振る舞いをする、別の何かが、楽しそうな雰囲気を出して、ただ居るだけだった。

 

 


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